第63話 鬼
カフェ“楽園”の真正面に位置するその建物は、冒険者組合建物よりも入口が大きく、建物それ自体は横長に作られていた。
魔物調教師組合ハルヴァーン支部であるその建物は、壁面には多くの魔物の彫刻が刻まれ、また入口には二体の竜の像が組合を出入りする者を見下ろしている。
迷宮が近くにあるために、古くより魔物との共存を行ってきたハルヴァーンでは、魔物調教師は敬われ、憧れられる対象である。
また、実績も非常に多く積んできており、優秀な者も多いため、魔物調教師組合ハルヴァーン支部の建物は、他の下部組織のそれと比べ、群を抜いて大きかった。
魔物を中に連れて行くことが多い、というのも影響しているが、一番は資金力が違うからだ。
ハルヴァーンの魔物調教師組合はハルヴァーン周辺の物流を担う魔物馬車の元締めであり、これを使わない者はいないのである。
そんな魔物調教師組合建物の最上階の一室において、一人の魔物調教師の運命が決められようとしていた。
「――馬鹿な! なぜそんな者の言葉を信じるのですか!? これは陰謀だ! 私に責任など無い!」
そう大声で叫んだのは、魔物調教師組合でも新人の教育を担当する講師の一人で、いずれ魔物調教師組合の幹部になるのも時間の問題だと言われていた期待の星、エミリオ=ルヴァーデンであった。
男性にしては長めの金色の髪の一部を編み込みにしているその髪型は女性的な顔立ちを良く引き立てており、また印象深い青い瞳は一目見た女性を確実に射抜くだろうと思われる、中々の二枚目であった。
彼の隣には一匹の非常に醜い人食鬼が控えており、彼が叫んだ相手――魔物調教師組合の幹部たちを真っ直ぐに睨んでいる。
「……陰謀、じゃと!? 開き直るのもいい加減にするといい。すべて調査した結果、何もかも明らかになっているのじゃからな!」
珍しく激昂した様子で、その容姿に似合わない迫力ある声を上げたのは、魔物調教師組合副組合長を務める、多種使いとまで呼ばれる魔物調教師グイン・フォスカ老である。
額に浮かんだ太い血管がその怒りの程を表しており、いかなる魔物をすら一声で震え上がらせるとまで言われた迫力は未だに色あせてはいないことを感じさせる。
エミリオは彼の怒声に一瞬怯むが、しかしそこで黙っては負けであると感じたのだろう。
尚も言い返した。
「何もかもですと!? 事実は、私が魔物を譲り、しかしその少女が何らかの理由で魔物を失った、それだけではありませんか! 新人にはよくあることで……それでなぜ私が追及されなければならないのか、理解できません!」
そんな風に。
しかしグイン老は頭を擦り、残念そうな瞳でエミリオを見て、今度は静かな声で語り出す。
「――お前の言う少女、リリア=スフィアリーゼがただ、自分の責任で魔物を失っただけだと、そう言いたいのじゃな?」
「そうです!」
「だとすれば、それは嘘じゃ」
断言したグイン老に、エミリオは怯む。
「な、なぜそんなことが……」
「まず、リリア=スフィアリーゼがお前に魔物を譲られ、契約の儀式を経たと言う報告は受けておったが……彼女と共にお前に魔物を譲られた者は他に四人いた。その者らと、リリア=スフィアリーゼの契約の儀式の日を、お前はなぜかずらしておるな? なぜじゃ」
通常、魔物調教師組合における契約の儀式は、講師が担当する生徒たちに同じ日、同じ場所で魔物を譲る。
そうやって同期を作り、仲を深めて、これからの冒険者生活を円滑に過ごす手伝いをしようという意図なのだが、今回エミリオはなぜかリリア=スフィアリーゼの契約の日を他の生徒とはずらしていた。
全くあり得ない、という話ではない。
契約に必要な道具や素材に欠損があった場合、仕方なく別の日になることはあるが、しかし、今回については……。
エミリオはグイン老の言葉に反論した。
「それは契約の魔法陣に欠損が見られたからで、その修復のために次の日に回ってもらっただけです」
冷静な言葉だったが、しかしこれについては嘘であると断定できる。
グイン老は言った。
「リリアが本来契約するはずだった日――つまりは彼女の同期生たちが契約した日じゃが、その日に、リリアやお前が魔物調教師組合を後にしたのち、お前が使っていた魔法陣について使用した者がおる。問題なく発動したとのことじゃ。じゃから、それは嘘じゃな」
グイン老の言葉に、エミリオは目を見開く。
だが、それでも彼は慌てなかった。
「それは……おそらく私の見間違いだったのでしょう。しかし、契約の儀式は細心の注意が必要なもの。少しの疑いも差し挟まらぬよう、安全を心がけて行うべきです」
「認めぬのう……じゃが、お前の罪は明らかじゃ。後日結ばれた契約自体にも、そもそも欠損があった。そのことについてはどう、反論する?」
「欠損? 馬鹿な、何を……」
「リリア=スフィアリーゼは魔物を依頼中に殺されたのではなく、逃げられた、と語っているのじゃ。これは契約を経た魔物にあり得ることではない。それについてはどう反論するのかと聞いている」
これについて、エミリオは鼻で笑って言った。
「それこそ、嘘でしょう。そう言えば新たな魔物を譲ってもらえると思ったのでは? 新人の浅い知恵、というものです」
自信ありげにそう言ったのは、それが嘘だと断定できる方法などない、と彼が考えたからだ。
だが、それこそ間違いであった。
「――リリア=スフィアリーゼはそのことを、治安騎士団の詰所に行き、“真実の宝玉”に触れながらはっきりと断言しておるのだ。彼女の言っていることは全て、事実じゃ」
グインの言葉に、エミリオは目を見開く。
「“真実の宝玉”に!? 馬鹿な……そんなことをする者がいるはずが……」
“真実の宝玉”とは迷宮から稀に算出する魔導具の一種で、それに触れながら質問をされれば嘘を吐くことが出来ないという効果を持つ。
場合によっては自らの心のうち全てが丸裸にされるものであり、治安騎士団もそれを持った者にまず、第一に大なり小なり犯罪を行ったかどうかを始めに聞くために、わざわざ自分でそれを握りに行くものなどいないと言っていいものだ。
ポイ捨てくらいで捕まっては敵わないということだが、リリアは今までの人生においてありとあらゆる意味で潔白であると言う自信があったのかもしれない。
そこまでされる、というのはエミリオには誤算だった。
「あの娘は相当純粋そうじゃったからのう。もしかしたらよく分からずに行ったのかもしれんが、その行動が功を奏したの。……で、何か申し開きはあるか?」
そう尋ねた瞬間のエミリオの形相は、今までの美しいものとは正反対に歪んでいた。
「……あの娘……せっかく私が目をかけてやろうと言うのに、拒否をするから……!!」
「なんじゃと? もう一度言ってみい」
「何度でも言ってやろう。あの娘は魔物を失った後、私の元に来た。そして言ったのだ。もう一度魔物をくれと。これは講師側のミスであるから規則上、もう一度魔物を与えられることになっているはずだ、と。しかし私は彼女に言った。自分はミスなどしていない。魔物を失ったのはお前の未熟さゆえであり、それを糊塗するためにそのような要求をするのは感心しない、と。しかし……私も人間だから……何か、私を利するものを差し出すなら、協力することも吝かではない、とな」
エミリオの告白に、グイン老は眉を顰めた。
リリアは当時、ほとんど何も持っていなかったはずだ。
金などの富を要求するのでなければ、その言葉の意味は明らかである。
グイン老は再度、額に血管を浮かべて、叫んだ。
「……年端もいかぬ少女に、何と言う事を……誇り高き魔物調教師の品位を穢しおって! お前の処分は追って伝える。それまでは、牢獄の中で反省するが良い!」
グインの台詞と同時に、部屋に数人の魔物調教師が入ってきて、その従魔がエミリオと人食鬼を拘束する。
「連れて行け!」
グインの言葉を合図に、エミリオたちは引きずられて行った。
しかしエミリオはまるで堪えた様子がなく、扉から部屋の外に出る直前に、
「ふはははっ! 後悔する! お前たちは後悔するぞ! ははははは!」
などと哄笑を上げていた。
それを見たその場の幹部たちは顔を引き攣らせ、お互いに話し合った。
「……なぜ、あのような者が期待の星扱いなどされていたのだ」
と。