第56話 飛び出す影
現場に辿り着いてみれば、やはりそこにいたのは三体の緑小鬼だったのだが、それに加えて水妖も五体ほどいて、そこにいる三人の少年少女に纏わりついていた。
水妖がそれぞれの足や腕にドロドロとへばりついているため、身動きが難しく、戦うにも難儀しているようだった。
それでも、おそらくはFランク冒険者であるだろう駆け出しにしては頑張ってはいるが、流石に体力の限界と言うものがある。
動きも鈍く、今にも緑小鬼たちの攻撃を避けきれずに敗北しそうな雰囲気だった。
先ほども、それに彼らに≪錆の渓谷≫の入口で会った時もかなり冷淡な態度をとった自覚がある俺ではあるが、ここまで切羽詰まった状況になっている少年少女を見捨てるほど腐ってもいない。
俺は彼らに駆けより、そしてとりあえずは水妖を引きはがすべく魔術を唱える。
「……"悪しきものを追い立てよ――追放の風"!」
風の魔術、その中でも人の周囲に存在する害悪を追い払うものだ。
呪いや物質などありとあらゆるものに効果のある魔術だが、その代わりに効力それ自体はあまり高くない。
ただ、纏わりついた水妖を吹き飛ばすくらいの事は出来る。
実際、俺が魔術を発動させると同時に、彼らそれぞれの体に縄が巻きつくようにくるくると渦巻く風が這い回って、それがベタベタと彼らの体に張り付いた水妖を根元から引きはがしていく。
体の殆どが水分で構成されている生命体である水妖である。
それが引きはがされてもその水分までは完全にとれず、衣服が多少濡れているが、それでも粘性の高く意外と重量のあるそれが体から引きはがされて、彼らはかなり動くのが楽になったようだ。
「悪い! 助かった!」
そう叫びながら、緑小鬼たちから距離をとっていく。
それから、緑小鬼たちと戦うべく体制を整えようとしたのだが、彼らがそれをする前に、緑小鬼達に向かって走り出した影があった。
俺の後ろからかなりの速度で飛び出したその影は、腰からレイピアとダガーを抜き、身体強化魔術の呪文を唱えながら魔物達に向かっていく。
彼女――リリアはそのまま、最も近くにいた緑小鬼の懐に入ると、そのまま心臓を一突きし、一撃で葬り去ると、次の対象に向かって流れるような速度で加速した。
そこにはまるで迷いがなく、ただ敵を倒すためだけに頭を働かせていることが分かる動きだけがあった。
彼女が次に狙った緑小鬼は錆びついた長剣を持っていて、それをリリアに向かって振り降ろしてきたが、彼女はそれをダガーでもって受け流し、そのまま緑小鬼を地面に引き倒す。
前のめりになった緑小鬼の後ろに回った彼女はその背中を蹴りを入れて、緑小鬼を完全に地面に縫い付けると、今度はその首に向かって剣を横薙ぎして落とした。
無慈悲であり、躊躇いの無い斬撃である。
さらに、最後の一体を倒すべく背後を振り向いたリリア。
そんな彼女の眼光は鋭くぎらりと輝いていて、見るものに威圧を感じさせるようなものだった。
魔物である緑小鬼にとってもそれは同じだったのか、リリアに睨まれた直後、手に持っていた棍棒を投げ捨てて、
「ぐげっ……」
と怯えたような声を出してそのまま背を向けて走り出した。
逃げるつもりのようである。
俺としてはこのまま見逃しても別にいいだろう、と思ったのだが、リリアにそのつもりはないようだ。
とん、とん、と地面を確認するように足で叩くと、ぐん、と体を沈めて思い切り踏み切った。
その瞬間出た速度は目を瞠るものである。
俺が彼女に教えたとはいえ、ここまでしっかりと飲み込んでくれると嬉しいものだ。
リリアはそのまま一瞬でのろのろと逃げる緑小鬼まで距離を詰めると、緑小鬼が彼女の接近に気づく前にレイピアを突き込んで、戦いを終わらせたのだった。
血の付いたレイピアを見つめ、ふぉん、と振り地を払ったリリア。
それから俺の教えた風の魔術を唱える。
「……"悪しきものを追い立てよ――追放の風"」
俺が、少年少女たちに使用したのと同じ魔術だ。
ただ、俺が使ったものより小規模で、かつその対象は彼女のレイピアだけである。
その魔術により、レイピアにこびりついた血や肉片がしっかりと払われて、綺麗になったのを確認したリリアは頷いてレイピアとダガーを鞘にしまって、こちらに向かってくる。
「終わったよ~」
にこにこと平和な微笑みを浮かべる彼女。
だが、先ほどまで行ったことを見ると、その落差が少しだけ怖い。
そう思ったのは俺だけではないようだ。
と言うか、そんなリリアの戦いをぼうっと見ていた少年少女たちの方がずっと怯えているようである。
リリアが近づいてくると、ずざっ、とあからさまな様子で身を引いたことからもそれが分かる。
「お疲れ、リリア。怪我は?」
俺はそんな彼らを無視して、とりあえずリリアをねぎらった。
リリアはほんわりとした笑顔のまま、言う。
「ユキト、見てたでしょ。ぜんぜん大丈夫だよ――ユキトとの訓練を思い出せば、怖くなかったし」
と、少し闇を覗かせるような暗がりが一瞬リリアの瞳に灯ったが、すぐに元に戻った。
「そっか。なら良かった……それで、君たちの方はどうかな?」
振り返って、少年少女たちにそう話しかける。
俺の言葉に、彼らは面食らったような表情をしたが、状況を思い出したのか、まず、少年の方が言った。
「あ、あぁ……大丈夫だ。危ないところを助けてもらって、助かったよ……」
どうやら、お礼は言えるらしい。
危険な魔物がいると分かっていて、わざわざ助けに戻ってくるようなお人好しである。
悪い人間であるはずがないと言うのは分かっていた。
少女たちの方も、彼に続いて礼を言った。
「本当にそう。すごく助かった……もう少しで死んでるところだった……。ありがとう」
まず、眠そうな目の、白髪の少女からだ。
持っているのは短めのワンドであり、持っている魔力の性質、流れからして治癒術師なのだと思われる。
腕もランクの割に悪くなさそうであり、才能もありそうな感じがした。
「助けに来て助けられるってのも間抜けな話だけどね。――ごめんなさい、あたしたち、貴方たちが氷虎と戦うって言うから、もしものことがあったらと思って来ちゃったの。全然、その必要は無かったみたいだけど……」
茶髪の細身の少女がそう言った。
彼女の方は魔術師のようである。
より厳密に言うなら、攻撃系の魔術を得意とする妖術師だろう。
彼女も魔力の性質からそうであることが俺の目にははっきりわかった。
普通ならぱっと見では分からないことも、魔眼の前には簡単に分かってしまう。
元は魔女アラドのものだとは言え、やはり魔女の力の強力さと言うものに改めて感慨深いものを覚える。
こんなものを残してくれたアラドに、ありがたいとも。
相当な意地悪ばあさんだったと言うところについては、ある程度目を瞑ってやるくらいには、感謝しておかなければならない。
「だから大丈夫って言ったんだけどね……」
俺が彼女の言葉にそう言えば、茶髪の少女は、
「貴方たちぐらいの年の子に、氷虎が出ても問題ないって言われて信じる人がどれくらいいるのか、考えてみてほしいわ。ま、いいんだけどね。でも、その様子じゃ、氷虎には出会わなかったみたいね?」
そう尋ねてきたので、俺は答えた。