第55話 発声
「……プ、……プリ……むあ!」
プリムラがそう言ってにへらと笑う。
言えている、ような気がする。
ちょっと舌足らずなのはご愛嬌だろう。
「この調子なら、そのうち喋れるようになりそうだね」
俺がそう言うと、リリアも頷いた。
「うん。お喋りできるようになるといいな……」
「プリむあ! プリ……プリむ……あ!」
同じところで突っかかるのはその部分の発音が最も難しいと言う所だろう。
特にやれと言わなくても反復練習する辺り、向学心もあっていいのではないだろうか。
「ま、これで大体ここですることは終わったかな。そろそろ戻ろうか?」
「うん……あ、そう言えば氷虎が魔力を込めた魔石が巣の下あたりにあるはずだから、もらっていこうよ。珍しいからお金になるんだよ」
リリアが思い出したかのようにそう言ったので、実際に巣の下を漁ってみると結構な数の魔石が見つかる。
どれも緑小鬼や豚鬼など、氷虎よりも低級の魔物のものであるが、氷虎が魔力を込め、使用した結果か少し格が上がっているような感じがする。
「なるほど、これなら確かにいいお金になりそうだね……ついでにラルゴにもお土産になるかな?」
俺の疑問に、リリアは少し考えて答える。
「たぶん、なるんじゃないかな。氷虎の魔石は少し珍しいけど、緑小鬼、豚鬼の魔石なんかはよく出回ってるから本来なら大したものじゃないんだよね。でも、氷虎の子守石――氷虎が子供の為に集めて魔力を込めた魔石の事をそう言うんだけど、これは氷虎自体の魔石よりも珍しいの。氷虎は本来の住処から離れたところに巣を作る習性があるから……見つけるのも難しいんだよ」
そう言えば氷虎が≪錆の渓谷≫にいることそれ自体が既に異常だったか。
あらかじめここに氷虎が巣を作る、と知っていれば見つけるのも難しくは無いのだろうが、毎年同じところに巣を作ると言うわけではないのだろうか。
疑問に思ってリリアに尋ねてみると、
「氷虎の生態は分かっていないところが多いの。巣についても、どんな場所につくるのか、一応、洞窟とか高いところ、って言うのが一般的に言われているけど、ここなら確実に巣を作るとも言えないから……。毎年子供を作るってわけでもないらしいし、氷虎の幼生に会うのは本当なら至難の業なんだよ」
と説明される。
見つけるのが難しく、さらに巣に近づけば氷虎が問答無用で襲い掛かってくるのだから、それを考えれば至難の業、というのも納得できる話だ。
リリアの隣で延々と自分の名前の発音練習をしている少女を見るとそんなに珍しい何かには見えないのだが、氷虎の幼生であるというだかけで珍しいのに、人化する魔物である。
めずらしいことこの上ないと言って間違いなかった。
俺は氷虎の子守石を拾い集め、収納袋に突っ込む。
そして言った。
「何はともあれ、これでやることは終わりだね。さぁ、戻ろう」
今度こそ、リリアにも否やはなく、彼女は頷いて答えた。
「うん。もどろっか。プリムラは……魔物の姿に戻ってもらうことにするね。街に行ったとき、女の子の姿じゃおかしいから……」
「それがいいだろう。よし、行こう」
そうして、俺達は洞窟を出たのだが、そこでリリアは巣が崖の上にあったことを思い出したらしく、震えはじめた。
プリムラの方は全く平気そうで、不思議そうにリリアを見つめていた。
帰りも勿論、俺がリリアを背負うことになったのだが、プリムラもそこに加わったので少しばかり重くなった。
とは言え、大した重量ではない。
アラド婆さんはあんたは子泣き爺か何かなのかと聞きたくなるような存在だったからだ。
背中に荷物としてアラド婆さんを背負っていると、徐々に重くなっていったものだ。
それは、俺が長いクライミングに疲労したからではなく、現実的に重くなっていっていることがはっきりと分かる程だった。
「何か、重くなってないか?」
そう尋ねる俺に、アラド婆さんはいつも、
「ひゃっひゃっひゃ!」
と、明るく意地の悪い笑い声のみで返してきた。
本当にクソババアである。
あれにくらべれば今俺の背中に背負われている一人と一匹など、可愛いものだ。
実際、俺は崖を軽く下って、まるで疲労しなかった。
これも訓練の賜物である、と考えればアラド婆さんに感謝すべきなのかもしれないが……。
「……なんか、やだな」
「え?」
呟いた俺にリリアが首を傾げたので、俺は首を振って、
「なんでもないよ」
そう言って歩き出したのだった。
◆◇◆◇◆
≪錆の渓谷≫の出口――というか、魔物馬車が止まる場所に向かって歩いていると、途中で剣と魔術の飛び交う音が聞こえた。
音から察するに、それほど手練れではない、経験の浅い者のようである。
戦っている相手は――
「……ぐげ!」
特徴的な鳴き声。
緑小鬼の通常個体であろう。
リリアもそれに気づいたようで、
「ユキト! 誰か戦ってる!」
そんな風に焦ったように叫ぶ。
しかし俺には、一体誰が戦っているのか、大方の予測がついていた。
だからそれを口にする。
「……さっき出会った、三人の冒険者達だろうね。放っておいてもいいんじゃないかな?」
少女たち二人の方はともかく、あの男の子。
彼の雰囲気は中々に問題があった。
ああいうタイプは早死にするか大成するかのどちからだろうな、と言われる見本のような性格をしていることがぱっと見で理解できてしまったくらいだ。
つまりは、人が良く、正義感が強く、真面目で、妙な運と星回りに恵まれている。
そんなタイプ。
そんな彼が先ほどの俺達の行動を見てすることと言えば、俺達を追いかけ、連れ戻す……だろう。
その道行きの途中で、彼らは魔物に出会ってしまったわけだ。
自業自得である。
頑張って切り抜けてほしいと思う次第だ。
リリアにも余程そう説明したい気がしたが、流石にここまで冷淡な解説をしてしまうのも彼女を傷つけるような気がしたので、俺はもっとオブラートに包んだ表現を試みることにする。
「どうして?」
純粋な瞳でそう尋ねるリリアに、俺は言った。
「だって、彼らは冒険者なんだ。魔物と戦うのが仕事なんだし、下手に俺達に手を出されて取り分が少なくなったりしたら、迷惑だと思うんじゃないかな?」
冒険者の主な収入源の一つとして、魔石や素材などの売却益がある。
魔物と戦った結果、倒した魔物に由来する素材は全て冒険者のものになる。
そういう理屈だ。
しかし、もしも魔物と戦って負けそうな場合、他人の助けを借りる場合も往々にして存在し、そのような場合には慣習として、倒した魔物の素材について、相談して分配する、という決まりがある。
この冒険者間の慣習を利用して詐欺まがいの行為を働く者も存在するため、冒険者は基本的に魔物を倒すことにパーティメンバー以外の他人の手を借りることを嫌う傾向にある。
リリアに言ったのは、そういう冒険者の共通認識についてであり、これにはリリアも納得のようだった。
「そうだよね……私も勝てそうなときに手を出されたらむっとするもん……」
そんな素直な反応に安心しかけた俺である。
しかし、残念なことに、そのとき、
「た、助けてくれっ!」
そんな叫び声が聞こえた。
「ユキト!」
リリアが叫ぶ。
流石にここで無視するのは鬼だろう。
鬼婆に育てられたからと言って、俺まで鬼と言う訳ではないことを証明するため、俺はその瞬間、叫び声の元へと走り出したのだった。