第53話 意思疎通
ごろごろごろ……。
と言った様子でリリアの膝の上に座る少女。
それを嬉しそうな表情で見つめるリリア。
非常に微笑ましい光景のような気もするが、少女の方は素っ裸である。
流石にこの光景は奇妙だと思い、俺は提案する。
「仲良くするのはいいけど、とりあえず服を着せよう。流石にその格好は……」
「あ……うん、そうだね。服着よっか?」
リリアは言われて初めて気づいた、というような表情をしてから頷き、それから少女の手をそっと掴んで目を合わせながらそう言った。
少女の方は少し首を傾げていたが、リリアは俺に、
「ユキト、私の服出して。それと外套も……少し大きいけど、折って着せればなんとかなるよね……ハルヴァーンに戻ったら仕立ててあげたいな……」
そう言った。
俺は収納袋に突っ込んであったリリアの服を取り出し、渡す。
下着類は流石にそのまま突っ込むわけにはいかないため、皮袋にひとまとめにして、その皮袋を収納袋に入れてると言う微妙な収納の仕方をしている。
リリア自身は別にそのまま突っ込んでも構わないようなことを言っていたが、あいにくと俺が気にするのだ。
それに今はリリアも年齢が年齢だからそんなことを言っているだけで、もう二、三年もしたら流石に羞恥心と言うものが芽生える……はずだ。
そのことを考えれば、こういった配慮と言うものはお互いに今の内からしておくべきだった。
そして、俺から被服類を受け取ったリリアは、それを少女に着せようとした。
けれども少女は、
「みゅっ……みゅ~」
と言って逃げ出した。
それから、
「あ、待って、待って~」
と、リリアと少女の追っかけっこが始まったが、それもすぐに終わる。
少女の方はどうも、その人の姿に慣れていないのか、あまり足が速くないと言うか、その容姿通りの小さな子供のような非効率的な走り方で、すぐにリリアに追いつかれてしまったのだ。
それからリリアが服を着せようと、少女にまず下着類から被せようとしたところで、少女の姿が光り輝く。
青い魔力光が少女を包み込み、俺とリリアは一瞬目を瞑る。
そして、光が収まると、そこにいたのは少女ではなく、先ほどまで目にしていた氷虎の幼生だった。
「みゅ!」
と、少しぷんぷんとした様子で抗議するように一鳴きした幼生。
しかし、俺とリリアは、元の姿にこれほど容易に戻れるとは思ってもいなかったので、しばし唖然とした。
そんな俺達の反応を奇妙に思ったのか、氷虎の幼生は、怪訝そうな顔でリリアに近づき、それからリリアの足元をかりかりする。
「はっ……」
そんなことをされて、リリアは正気に返ったらしく、驚きつつもしゃがんで目線を合わせた。
大きさとしては、メタボな猫、と言った程度だろうか。
最終的には巨大な虎となる予定の生き物にしては小さく、可愛らしい物体がそこにはいた。
間違いなく、あの氷虎の幼生であり、先ほどの少女と同一の存在であることがはっきりとわかったことになる。
「やっぱり……本当に氷虎だったんだね。かわいい……」
そう言ってリリアは幼生を撫ではじめた。
すると、先ほど少し機嫌が悪そうだったのは何だったのか、と思ってしまうほど、幼生はごろごろと喉を鳴らし始め、転がってしまう。
見てると本当に癒される光景である。
しかし、今はそんな場合ではないと言うか……目的は果たしたのだ。
出来る限り早く戻るに越したことない。
俺はリリアに言う。
「自分の力で契約した初めての従魔なんだ。かわいいのはわかるけど……遊んでないで帰らない? もちろん、その氷虎の幼生が、さっきの人の姿に突然なったりしないことが前提だけど……」
そう、街に戻るにしても、それが問題だった。
人の姿から、魔物の姿になったはいいが、一体どういう基準で変化しているのかが分からない。
魔物とはそういう生き物なのか?
いや、違うだろう。
少なくとも、一般的ではないのは間違いない。
魔物調教師は数多く見てきたが、あのような魔物を連れているものは一人もいなかったし、魔物が人になる、などと言う話はついぞ聞いたことがないのだから。
そしてそれだけに、誰かに先ほどの変化を見られると、まずいかもしれないというのがあった。
魔物調教師というのは一種の収集家じみた趣味を持つ者も存在し、珍しい魔物を手段を問わず集めるような者もいると聞く。
それに、魔物調教師でなくともそういう者はいるらしい。
リリアの契約した氷虎のような、人に変化することの出来る魔物、などというものがいると知れれば、そう言った者がそれこそ手段を選ばずに狙ってくる可能性もあるだろう。
そういうことを考えると、せめて先ほどの姿には任意でなれるのか、そしてもしなれないとして、コントロールが可能なものなのかどうか、くらいは知っておきたかった。
そうリリアに伝えると、彼女も頷いて、幼生に語りかけた。
「ねぇ……さっきの姿に、もう一度なることは出来るかな?」
すると幼生は、
「みゅ!」
と鳴いて、僅かに光、姿を人のものへと変えた。
リリアはそれを見て目を見開くが、驚いているだけではダメだと分かっているらしく、次に、
「じゃあ、そこから魔物の姿になることは?」
と尋ねた。
幼生はそれにも一鳴きしてから、やはり変化を始める。
どちらの時間も数秒も経っていない。
一瞬の変化、と言っても誇張ではない。
それから、リリアは何度か幼生にその変化を繰り返してもらい、どうやら幼生の意思で変化はコントロールできる、ということを突き止める。
ただし、あまり連続でやると疲れてしまう、ということも分かった。
変化の回数が十回を超えた辺りから元気がなくなり始め、最終的にはもう無理、とでも言うように座り込んでしまったため、それは確かだろう。
ただし、命に係わる疲労というよりは、全力疾走をした後の疲れのような、スタミナの問題のようなものらしい。
なぜ分かるのかとリリアに尋ねれば、心鎖によって幼生の気持ちが伝わってくるからだ、と答えた。
そう言えば、幼生は言葉を発していない。
ただ、鳴いているだけだが、リリアはかなり正確なところまで幼生の意思を理解しているような気がする。
そしてそれこそが、心鎖の意義と言う事なのだろう。
ただ、あまり遠く離れたり、はっきりと場所が分かっていなければ意思は伝わりにくくなっていくと言う。
その性質は音声による会話と似ているようだった。
「……俺の言葉は通じてるのかな?」
気になって尋ねると、リリアは首を傾げた。
微妙らしい。
「ユキトの機嫌のいい悪いくらいは分かるみたいだけど、何を言ってるのかはさっぱりみたいだよ……」
それは悲しい事実であった。
ただ、少女の姿になった氷虎が、その話をリリアがしているとき、若干申し訳なさそうな顔でこちらを見つめていたのに気付く。
「……悪いと思ってるみたいだよ」
リリアがその表情の意味を解説してくれた。
まぁ、元々魔物なのである。
そう簡単に人の言葉が分かるはずがないし、仕方のないことだろう
特に怒ってはいない。
ただちょっとさびしいだけである。
「でもなぁ……ずっとそれって言うのは問題だよ。せっかく人の姿になれるんだし、ちょっとずつ、言葉を教えていくこととか、出来ないのかな?」
リリアにそう尋ねると、
「あぁ! それは名案かも! そうすれば一緒におしゃべりできるもんね」
そう言ってリリアは氷虎の少女に笑いかけた。
「人の姿の時、声帯とかは本当の人間と同じように機能してるのかどうか……何かためしに一つ、言葉を覚えてもらってみたらどうかな?」
俺がそう言うと、リリアは頷き、意思を少女に伝える。
すると、少女の方も了承したらしい。
微笑んで俺とリリアを見つめた。