第52話 電撃
「……? なんで子供がこんなところに……」
俺もリリアも客観的に見れば子供なのだが、それはとりあえず置いておこう。
俺は目の前に座っている女の子を見つめた。
服は、着ていない。
七歳前後、と言ったくらいの年齢だろうかと思しき容姿をしている。
髪は水色であり、顔立ちは整っている。
大人になればさぞクールな容貌の美人に成長しそうな雰囲気を感じるが、この年齢だとやはり愛らしさが勝つ。
聡明そうな、けれど幼い。
そんな少女だった。
「君は……?」
俺は、氷虎の巣である藁の上に座り込んでいる少女にそう言いながら、手を伸ばす。
少しだけ、混乱している気持ちも無くはない。
けれど、口に出した言葉とは異なり、その少女が何なのかは、現代日本で暮らした記憶のある俺にとってはある意味自明、と言ってもいいくらいに分かっていた。
先ほどまでの状況、そして少女の容姿、着衣の無いこと、それから今俺達のいる場所、そして――言いたくはないが、お約束。
そういうものを総合的に勘案すれば、少女が何者なのかははっきりとしている。
ただ、それでも断定できないのは、このような現象はデオラスの王族だった俺をして、一度たりとも聞いたことのないことだったからだ。
一体どういった理由で、こんなことが起こったのか。
それが説明できない以上、俺は俺の予想に確信を持つことが出来なかった。
ただ、それでも事実は厳然としている。
俺が伸ばした手を、少女は不思議そうな目で見つめていた。
ただ、そこに警戒や敵意はない。
ただ、まんまるの目で見つめ、それから俺の手が目の前に差し出されると、顔を近づけて匂いを嗅いだ。
そして、口を開いて、ぺろりと舐め、
「……みゅ」
と、言葉なのかそれともそれ以外の何かなのかよく分からない声を出す。
突然舐められて俺は驚くが、ただ、不快なものは感じなかった。
何となく、彼女なりの親愛を示しているのだろう、という気がしたからだ。
それから、魔力消費の疲労から若干回復したらしいリリアが後ろから、
「ユキト~……ど、どうなったの……?」
と言いながら近づいてきた。
そして、俺の近くまで来て、座り込む裸の少女を見て、かきり、と氷のようにリリアは固まった。
数秒の停止を経て、リリアは再起動を果たし、俺の首根っこを掴んで叫びだす。
「ゆゆゆユキト!? もしかして、この子、誘拐してきたの!? ねぇ! まさかそんなことしてないよね!?」
その動揺の仕方はリリアにしては珍しく力強いもので、俺は面白く思う。
リリアが慌てると、普段なら控えめに、自信なさそうに目を泳がせるくらいなのだが、今の彼女は目を白黒させながらぱたぱたとして、いつもとは正反対である。
それだけ慌てている、ということなのか、混乱しすぎていると言う事なのか。
がくがくと揺さぶられながら、無反応な俺に業を煮やしたリリアは、もう一度聞いてくる。
「ちょっと! ユキト! 答えて!!」
このまま放置してリリアの慌てようを眺め続ける、というのもそれはそれで乙なものなのかもしれない、と一瞬思わないではなかったが、ことがことだ。
リリアの契約に関わってくることであるし、問題は早いところ解決すべきだろうと思い、俺は素直に説明をすることにした。
ぶんぶんと俺の体を揺さぶるリリアの手を掴み、それからゆっくりと首根っこから外して、俺は言う。
「……誘拐なんてするはずがないだろう。そもそも、こんな山奥の洞窟で、一体いつどこから子供を誘拐なんてするのさ?」
「そ、そうだよね……言われてみれば、その通りだよ……。でも、それこそ一体この子はどこから……?」
俺の理屈だと、こんなところにこんな年齢の少女が存在することそれ自体がおかしい、という話になってしまうという点にリリアは気づき、首を傾げた。
まぁ、それも当然だろう。
普通、こんなところにこんな年齢の少女がいるはずがない。
そして、なぜこんなところにこんな少女がいるのか、と言う点について、推測することも難しいだろう。
俺にとってはほとんど自明だが、これは現代日本においてこういう状況と言うのが非常に分かりやすい一つの事実を示すことが多かったからというだけであり、そう言った前提知識の何もないリリアにとっては訳が分からないことのはずだ。
どうやって説明したものかと思うが、一つ一つ事実を積み上げていくのが結局一番早いだろうと思い、俺はリリアに言う。
「そうだね、この子は一体どこから来たのだろう……ところでリリア、さっき契約した、氷虎の幼生はどこにいったんだろうね?」
言われて、リリアははっとする。
それからリリアは何かに集中するように目をつぶった。
そして、目を開くと、彼女は言った。
「……だいじょうぶ。心鎖が繋がってるのを感じるから……近くにいるはずだよ」
心鎖とは何か気になって尋ねれば、それは魔物調教師が魔物と契約したときに確立する、見えない絆のようなものだと返ってきた。
他にも色々な言い方があるらしいが、リリアは心鎖と習ったと言う事なので、そう呼んでいるという。
具体的にどういうものかは実際に心鎖が繋がっている者同士なら説明せずとも分かるそうなので、呼び名はあまり重要ではないと言うのもあるようだ。
リリアには、契約した氷虎との心鎖が感じられるらしく、だから無事なのかどうかも分かるのだと言う。
それなら話は早そうだ、と思った俺は、リリアに尋ねてみる。
「近くにね……どのあたりにいるのか、分かる?」
「探せば見つかると思うけど……」
そう言いながらきょろきょろするリリア。
しかし、どこを見ても見当たらない。
首を傾げて、彼女は言う。
「おかしいなぁ……絶対この近くにいるはずなんだけどな。恥ずかしがってるのかな?」
などと呟いている。
そんなリリアを凝視している、素っ裸の少女。
その瞳には興味と親愛の情が感じられ、俺はリリアにもっと良く見ろと突っ込みたくなってきた。
ただ、こういうのは俺が口で説明するより、本人に気づいてもらったほうがいいだろう。
そう思って黙っていると、結局いくら探しても氷虎の幼生を見つけられなかったリリアが泣きそうな顔で、地面にへたり込み、
「……どうしよう。また失敗しちゃったのかなぁ……?」
と俺を見上げて尋ねてきた。
ある意味、失敗なのかもしれないが、しかしある意味で大成功と言えるのかもしれない。
このような出来事を体験した、世界で最初の魔物調教師になった可能性すらあるのだから。
しかし、そうは説明できない俺は、とりあえずリリアに近づき、その頭を撫でる。
そして、これはやはり、俺が直接説明しなければ分からないか……、と諦めかけた。
しかしそのとき、俺とリリアの様子を眺めていた少女がすっと立ち上がり、そしてリリアに近づいて、俺と同じようにリリアの頭を撫ではじめた。
「みゅ……みゅー……」
その表情は心配そうで、まるでリリアを慰めようとしているかのように見える。
やはり、契約は失敗ではないのだろう。
しっかりとこの二人の間には繋がりが確立されているようだから。
リリアは撫でる手が一つ増えたのを驚き、顔を上げると、そこに少女がいたのを見てびっくりしたようだが、自分を慰めてくれているようだと理解するとお礼を口にした。
「あ、ありがとう……ごめんね。私より、あなたの方が不安だよね……」
まぁ、彼女がただの人間の少女である、というのならそれはその通りだろう。
素っ裸でこんな山奥の魔物の巣に放置されれば誰だって不安である。
しかし、それは正しくは無いのだ。
少女はリリアの言葉が良く理解できなかったようで、首を傾げ、
「みゅ? みゅ?」
と俺を見たりリリアを見たりしてその真意を考えているようだった。
結局分からないか、と思っていると、リリアは少女の出自について議論になっていたのを思い出したらしく、俺に言う。
「そうだった……この子、どこの子なんだろう? ご両親も心配してるよ、きっと……届けてあげないと……」
少なくともご両親の片方については俺が葬ったと言う残酷な事実があるのだが、これはとりあえず置いておこう。
この際だ、もう俺が説明することに決めて、口を開こうとしたそのとき、リリアと少女の視線がふっと合う。
「……?」
「みゅ」
ほわん、と微笑む少女の瞳の奥にリリアが一体何を感じたのかは分からない。
けれど、電撃が走ったような顔をして、リリアは言った。
「あなた……もしかして、あの氷虎?」
どうしてなのかは分からないが、気づいたらしい。
リリアの言葉に、少女は、
「みゅ!」
そう言ってリリアに抱き着いたのだった。