第50話 目星
それからは一方的だった、と言っていいだろう。
氷虎は俺に向かっていくつもの攻撃を繰り出したがそのすべてを俺はいなし、または避けて対応していった。
爪を向けられれば剣でもって受け、流す。
大きく口を開けて牙が迫って来れば、むしろ懐に飛び込み、背後に回った。
その巨体でもって体当たりを加えられそうなときは、直前まで誘い込み、必要最小限の動きで避けたうえ、一撃を加える。
そんな風にして、一歩一歩確実に傷をつけて行った。
そうして、俺の地道な攻撃に、とうとう氷虎は限界を迎える。
ただし、息も絶え絶えで、これ以上戦ってもどうにもならないことは分かっているだろうに、氷虎は諦めようとはしなかった。
それは野生の本能なのか。
それとも、それ以外の何かなのか。
俺には分からない。
けれど、それでも俺に出来ることはただ一つだった。
「……悪いな、氷虎。これで終わりだ」
上段に構えた剣に、魔力を流し込んでいく。
練り込んだ気を混ぜ込み、魔技へと変えていく。
そして、氷虎を見つめると、息を止め、踏み込んだ。
瞬間、体が加速する。
魔力と気によって強化された身体能力と剣は、俺の想像通りの軌道を描き、巨大な体躯を誇る蒼き魔物の首を切り落としたのだった。
◇◆◇◆◇
ずずん、と首をなくしたその巨体が倒れ込むと同時に、後ろで戦っているはずのリリアの方を見た。
すると、そこには肩で息をしているリリアが、雪山猫の骸を見下ろしていた。
どうやら、勝ったようであるが、勝利に酔っているとか、喜びを感じさせるようなものではない。
彼女は、何か考えているようだった。
沈鬱な何かを映しているように思える彼女の瞳に宿る感情は、一体なんだろう。
命を奪ったことに対する後悔か、それとも、失われた命に対する祈りなか。
それは、リリアだけが知っていることだ。
そして俺はそれを改めてリリアに尋ねようとは思わない。
その感情はリリアただ一人のもので、分け合うことはできないものだからだ。
魔物調教師である彼女は、今まで自分の手で魔物を殺したことがなかったのかもしれない。
そのことが、彼女の心に何らかの影響を与えたのだろう。
生き物の命を奪ったことによる喪失感。
自分の中から何かを引きずり出されたような感覚。
それは誰しもが抱くもので、また自分で乗り越えなければならないものだ。
人に何を言われても、そのための糧にはなりがたいだろう。
ただ――俺はリリアの仲間だ。
少しだけ血の気の引けたリリアに俺は近づき、その肩にそっと触れる。
「……大丈夫?」
するとリリアははっとしたような表情をして、俺を見つめた。
彼女はなにも言わなかった。
けれど、その瞳が語っている。
彼女は分かっている。
冒険者になろうとした人間に、覚悟がないはずがないのだ。
そのことを確認できた俺は、それから黙って倒した魔物、氷虎の素材採取へと移った。
少しだけ遅れてリリアも同じように、自分の刈り取った魔物の解体を始める。
その作業はかなり手慣れていて、さすが魔物調教師だけあって、魔物の構造、というものをよく知っている、と思った。
◇◆◇◆◇
解体をすべて終え、素材を収納袋に詰め込んだ俺たちはそれから《錆の渓谷》をさらに進んでいく
目下最大の危険であった氷虎は倒した。
したがって、そこからの道行きはかなり安全である可能性が高いと考えてもおかしくはないだろう。
ただ、氷虎を倒したとは言え、なぜこんなところにあのような強力な個体がいたのか、それが分からなかった俺は、魔物に詳しいだろうリリアに質問する。
軽い雑談で、リリアの気を少し紛らわせよう、という意図もないではなかった。
「ねぇ、リリア」
「なあに?」
リリアは思いのほか、明るく答えた。
衝撃から立ち直ったと言う事なのか、それともカラ元気なのか。
どちらにしろ、俺が気にしているそぶりはするべきではないな、と考え、至って普通の雰囲気で続けた。
「あの氷虎って、どうしてここにいたんだと思う?」
その質問にリリアは少し考え込む。
気になっていたのは彼女も同様らしく、その思索は結構深くなされたらしく、意外にも結構纏まっていた。
「普段、氷虎は《錆の渓谷》なんかじゃなく、もっと高レベルの魔物が多く生息している地域で生活しているけど、ある特定の期間は別の地域に移動するって聞いたことがあるの……そして、普段、生活の場所としている地域から離れて生活しなければならない理由は、強力な魔物が跋扈する地域では出来ないことをする必要があるからだって」
「強い魔物が生息する場所で出来ない事ってなにさ?」
首を傾げる俺に、リリアは言った。
「……子育てだよ。たぶん、あの氷虎は子供を産んで育ててたんだと思う。だから、あんなに必死だったんだ……」
納得したように頷いてリリアが言ったその結論は、あの氷虎の必死さ、縄張りを守ろうとする獰猛さから納得のいくものだった。
そしてそうであるならば、現在の《錆の渓谷》には氷虎の子供がいる可能性が高い。
魔物の幼生というのは基本的に珍しく、魔物としての格が高くなるに連れてその珍しさもまた上昇する。
なぜなのか。
それは、人間でも、他の動物でもそうだが、幼い個体というのは庇護者を必要とするために、素直かつ純粋なことが多く、それは魔物においても共通しているというところが大きく影響している。
つまり、魔物調教師にとって、いかに魔法契約があったとしても、本来の性質が素直であればあるほど制御しやすくなるのは当然の話で、契約それ自体もしやすくなる。
そのため、魔物調教師の間で強力な魔物の幼生は高値で取り引きされることが多いのである。
今、この《錆の渓谷》に、氷虎の幼生がいる。
そしてリリアは従魔を求めている。
それは、天の配剤と言ってもいい符号であった。
だからこそ、俺とリリアは視線を合わせる。
その幼生を捜そうと。
幸い、氷虎はすでに倒しており、その巣を見つけたからと言って襲われる危険性は低い。
リリアによれば、氷虎は雌がその子育てを一手に引き受けるらしく、番のもう片方が巣に、といった可能性は低いらしい。
雄は子供を作ったら気ままにどこかに行ってしまい、子供に興味を持つことはほとんどないのだということだ。
「氷虎は……こっちの方から来たから、それほど離れていない位置に巣はあるだろうね。どういうところに巣を作るか、分かる?」
「ええとね。基本的に、洞窟とか、巣穴を掘って作ることが多いって聞いたことがあるよ……大きさも大きさだから、自然洞窟を流用することが多いって。あと、見晴らしのいい、高いところに作る傾向も高いみたい。巣を親が留守にしたときに、他の魔物に襲われないようにって」
「なるほどね……」
あたりを見渡してみる。
錆の渓谷はどこもかしこも岩だらけだが、高いところにある洞窟となると限られてくる。
しかも、巣からそれほど遠くまで離れたとは考えにくいから、見える範囲にある可能性が高いと考えてもいいだろう。
そう思って捜すと、いかにも、と言った場所に切り立った崖があり、その上に大きく口を開いた洞窟が覗いていた。
普通に昇るのはかなり厳しい、と言う高さであるが、氷虎の身体能力なら難なく昇っていくのだろう。
あそこまでリリアが昇るのは厳しそうだが……。
「あそこが怪しいけど……リリア、いけそう?」
そう聞くと、少しだけ顔を青くしたリリアが、
「がんばる、よ……」
と言っていた。
これはダメそうだと思ったが、昇らなければどうしようもない。
いざとなったら俺が彼女を背負ってあそこまで連れて行くことを心に決めながら、俺たちはその崖まで近づいていった。