第48話 凄惨な光景
背後から感じる視線が、なぜか極めて居心地が悪い。
《錆の渓谷》を跋扈する、様々な魔物を倒しながら前へと進んでいるのだが、徐々に後ろから感じる視線が強くなっていく。
そう言えば、リリアにまともに魔物と戦うところなんてはじめて見せたな、と思いながらも、訓練所で何度も実戦を繰り返しているのだし、それほど驚くこともないだろうと思っていた。
けれど、どうやらそれは間違いだったようだ。
俺が戦う姿を見た彼女は、何か強い決意を抱いたようで、目を輝かせて「私、強くなる!」と言い放った。
その決意自体はいいことなのだが、なんというかその瞳に宿っている輝きはどことなくヒーローか何かをはじめて映画館で目にした子供のようなものであって、間違った方向へと進んでいやしないかと少しだけ不安になる。
「……」
後ろを振り返って、ちらっ、とリリアを見た。
自分を見ている視線に気づいたリリアは、ぱっと笑顔になってきらきらとした目で俺を見つめている。
俺はそのあまりの眩しさに視線を戻した。
――まぁ、いいか。
これでも。
リリアはまだ若い。
このくらいの年齢の時には強い力を持つ者に憧れるものだ。
そして、いずれ、そういうよく分からないあこがれというものは霧散していく。
俺だっていつの日にか変身ヒーローになりたいとか言わなくなったし、今のリリアは少し冷静ではないと言うことだろう。
それから俺は、様子のおかしいリリアから、頭を切り替えて《錆の渓谷》の探索へと意識を振り向ける。
ただ、もともとこの辺りにいる魔物はあまり強くなく、俺にとっては大して脅威は感じられないものばかりだ。
実際、ここに来るまで出くわした魔物達は案の定、さほど強くなく、そのほとんどすべてを一撃で斬り倒すことが出来ている。
道行きは極めて順調と言ってよく、このまま行けば目的であるところのリリアの魔物の従魔化も成功するのではないだろうか。
まぁ、従魔化出来るかどうかは俺の実力と言うよりはリリアの魔物調教師としての実力が重要なので、俺が魔物を沢山倒せていることはあまり関係ないかもしれないが。
リリアの語るところによれば、他人の魔物を譲られるのとは違い、野生の魔物の従魔化には難しいところがあるという。
人を見れば襲ってくるような生き物である魔物を従えなければならいのだからさもありなん、という感じだが、意外なことにそういう一般的な感覚とは少しずれたところで難しいらしい。
魔物と魔物調教師には、本来、相性、と呼ぶべきものがあり、十分人に慣らされた魔物ならともかく、野生の魔物相手にするときは、それが十分に合致していないと従えることは出来ないと言うのだ。
相性が十分に合致したとき、はじめて魔物は魔物調教師との魔法契約に合意してくれるのであり、相性が合わない魔物と無理に契約をすればお互い、死に至ることもあるのだという。
では、魔物との相性、などというものをどうやって判別するのか、と聞けば色々な要素からなる総合的な判断に基づくものであり、一言では説明することは出来ないと言われてしまった。
そう言われてしまっては、専門家でもなんでもない俺としては顔をしかめるしかない。
俺が魔物探しそれ自体で力になれることはないらしいからだ。
結局、せいぜい出来ることと言えば、リリアが魔物を見つけるための露払いくらいで、残念な気分になる。
非常にがっくりと来て、なんだかどんよりとした俺だが、 リリアはそれを何か勘違いしたらしく、あわてた様子で説明してきた。
「細かく説明すると難しいんだけど……要は、仲良く出来そうな感じなら契約できる、ってことだよ」
「仲良く……?」
「そう。契約に応じてくれる魔物は、魔物調教師に親愛を示してくれるものなの。組合の研修で、先輩魔物調教師が野生の魔物を従魔化するところを見学したことがあるんだけど……そのときにね、あぁ、こういうことなんだなって分かったって言うか……ごめんね、うまく説明できないんだけど」
リリアは彼女に出来る精一杯の説明をしてくれているらしいが、ニュアンスは分かるのだが結局細かいところは分からない。
こればっかりは見てみないと分からないと言うところだろうか。
俺が不安なのは、彼女が従魔に出来そうな魔物を間違って倒してしまわないかということなのだが、大丈夫だろうか。
そう伝えると、
「それは、大丈夫だと思う。目を見れば分かるから……そのときは、ちゃんと伝えるからよろしくね」
そう言われてしまった。
とにかく、魔物調教師にしか分からない領域があるということなのだろう。
誰かが言っていたが、魔物調教師は才能の世界だ。
言葉を尽くして理解できる部分には限界があるということなのかもしれない。
とどのつまり、リリアの説明をあまり理解できない俺には魔物調教師としての才能は皆無ということにほかならないわけだが……。
何かかわいい魔物の一匹や二匹、連れて歩きたいものだと思っていたので少し落ち込む。
それとも、弱い魔物なら俺にもなんとか出来るのだろうか。
あとで細かく聞いてみようかと思った。
そんな風に、危険地帯である《錆の渓谷》を歩き回っている割には信じられないくらい和気藹々(わきあいあい)としている俺たち。
けれど、それでもやっぱり危険地帯は危険地帯なのだ。
そのことを、俺たちは次の瞬間、開けた場所に出たそのときに悟った。
むわり、と濃厚な匂いが俺たちの鼻孔を強く刺激する。
「……なに?」
リリアが首を傾げたが、俺はそれが何の匂いなのか、はっきりと分かっていた。
いつか嗅いだあの匂い。
国がひたすらに蹂躙されたあのときに感じた――
「リリア、ストップ。……これは、血の匂いだ」
明るく太陽が照らすその開けた岩場。
観察してみれば、赤黒い血液がそこら中に散乱している。
肉片と思しきものも大量に散らばっており、かなり凄惨な光景がそこには存在していた。
そのすべての血肉が魔物のものであることは、ぽつぽつと見える人間には備わっていない器官の存在――角とか牙とかで理解できる。
ただ、それでも千切られた血肉がそこら中に広がっている光景というのは、それだけでもそこそこに精神に来るものがあった。
とはいえ、ここに来るまでに俺は何匹もの魔物を斬り倒してきたのだし、リリアにしたってそんな光景はずっと見ていたのだ。
今更こういうものを見たからと言って、極端に気分が悪くなったりはしない。
特にリリアは魔物調教師になるにあたって魔物の解剖などもしたらしく、その容姿とは異なり、内臓的な光景にはかなりの免疫があった。
目の前の光景を前に、特に何の感慨も浮かべていないように見える彼女の表情がその事実を証明している。
では、どうして俺が彼女を引き留めたのか。
それは、そこに広がる光景が、いわゆる普通の魔物同士の争いで形成されたものとは思われなかったからだ。
魔物には強い縄張り意識を持つものが存在し、それを刺激すると争いになることもあって、魔物同士の争いというのは実のところそれほど珍しくはない。
ただ、そういう魔物同士の争いというのは普通、拮抗した力を持ったもの同士、で行われる。
群同士でもそうだし、個体同士でもそうだ。
けれど目の前にあるのは、そういう争いの結果として存在する光景ではなかった。
「……一匹たりとも生き残ってないね」
リリアがそう、つぶやいた。
そうなのだ。
目の前に広がる大量の魔物の死骸。
そのすべてが、何の抵抗も出来ずに蹂躙されたことを表すように、その体が千切れ飛んでいるのだ。
体の中央からものすごい力を加えられたかのように二つになっている緑小鬼、その水分で出来た弾力性のある体を一撃で吹き飛ばされて核を破壊されたことを感じさせる水妖、脂肪と筋肉とで構成された体躯をなぶるように少しずつ噛み千切られていったことが理解できる、いくつもの巨大な歯形の残る豚鬼などなど。
どの魔物も、まともな抵抗も出来ず死んでいったことの分かる光景だった。
そして、ほとんどの魔物の体に残っているのは、巨大な歯形だ。
2メートルはある豚鬼の腹部を一噛みで食いちぎってしまうほどの相手である。
その巨大さを想像するだけで震えが来そうなものである。
そして、俺もリリアも、この光景がいったい何によって形成されたものであるのか、心当たりがあった。
「ユキト……やっぱり、これやったのって……」
「あぁ、そうだね……錆の渓谷に入る前に若い冒険者達が言っていた……」
――氷虎。
それ以外に、この≪錆の渓谷≫において、こんなことが出来そうな魔物の心当たりなど、俺たちにはなかった。