第47話 小さな決意
それは、ほとんど圧巻の光景だった。
《錆の渓谷》を警戒しつつも足を緩めずに進む二人の前に次々と現れる様々な魔物たち。
棍棒を持った緑小鬼、体に毒性を帯びた通常のものよりワンランク上の水妖である、毒水妖、本来であればDランク向けの魔物と言われ、冒険者として上の段階に進めるかどうかを判別する試金石と言われる魔物、豚鬼など、様々なバリエーションに富んだ魔物が、その能力を十全に発揮して襲いかかってくる。
通常であれば、Gランクの冒険者の手に負えるような状況ではない。
なのに、今目の前で繰り広げられている光景はいったい何なのだろう。
リリアには、とてもではないが理解しがたかった。
その場で起こっている光景
それを見ていて、リリアは、これはきっと嵐なのだと思った。
紫電迸る刃の作る、絶大な破壊力を持った、嵐。
リリアの目の前で、暗闇よりも深い漆黒の髪色をした剣士が、その持つ長剣に紫に輝く雷光を纏って、押し寄せる魔物をまるで布か紙のようにほとんどすべて一太刀で斬り倒していく。
身のこなしには少しも固いところが無く、水が流れるように自然で、誤解を恐れずに言うのなら、予め振り付けの決められた舞を踊っているかのように淀みなく美しかった。
高い技量と実力に支えられているのだろうその戦い。
いったいどれほどの才能に恵まれ、いかなる厳しい修行を乗り越えればあそこまでの実力を持つに至れるのか。
風のように疾走し、走り抜けた道行きに、ただ一つの命の生存も許さない彼。
およそこんな所行は登録したてのGランクに可能なこととは思えない。
圧巻、まさに圧巻としか表現できなかった。
はじめから、彼が強いのだということは、分かっていた。
冒険者組合の訓練施設で稽古を付けてもらったときに、さして武術の蓄積も無いリリアですら、彼がとても強い人だと言うことがすぐに分かったくらいだ。
けれどそれでも、実戦においてここまで理不尽なまでに強いとは想像もしていなかった。
リリアに対する稽古は、手加減に手加減を重ねて行われたものだということが、この瞬間に身にしみ入るように深く理解できてしまった。
なぜ、彼のような子供がこれほどに強いのか。
リリアだって子供、と言われてしまうような年齢だが、黒髪の少年――ユキトはそれに輪をかけて幼いのだ。
そんな年齢の――十歳程度でしかない子供が、次々と現れる魔物をこれほどに容易く、素早く、確実に倒してしまえる実力を有しているなど、誰に語ろうとも信じてはもらえないことだろう。
本来、リリアよりは幾ばくか年齢が下であるはずの彼は、人生経験だって少ないはずなのに、はじめて会ったときから、妙に余裕を感じさせた。
それは今にして思えば、この実力と、リリアよりも遙かに濃い日々を送ってきたことによって身についた、当然のものだったのかもしれないと思った。
そして、ピンと来た。
轟く雷鳴に貫かれたかのごとく、理解できてしまった。
彼に、始めてあったときに感じた、何か不思議な感覚。
恋愛感情ではないけれど、まるで体に雷が落ちたような感覚がしたのを覚えている。
たった今、それが何だったかを、リリア=スフィアリーゼは理解した。してしまった。
そうだ、あれは、あれは恋などではなく……。
むしろ、自分より遙かに高みにいる存在を前にしたときの、恐怖。
そういうものに近い感情だったのだと。
そう、確信したのだった。
けれど……。
彼は敵を倒し終えるとふっと振り返って笑顔を浮かべた。
襲いかかってくる魔物を粗方倒し終えた彼が振り返って向けたその表情には、リリアに対する全幅の信頼が感じられて、一瞬でも恐怖、等という感情を抱いたことを申し訳なく思った。
自分は、何を怖がっているのだろうと、背筋を伸ばした。
そして思った。
そうだ。
彼は、とても強いかもしれない。
その力が自分に向けられたそのときは、すべてが即座に、一瞬のうちに終わってしまうだろうと確信できてしまうくらいに強力で凶悪な力を持っているのかもしれない。
けれど、考えてみるといい。
なぜ、自分は彼とともに行動しているのかと。
どうしてこんな場所で、《錆の渓谷》などで、氷虎の出現が確認された危険地帯で、彼と歩いているのかと。
それは、リリアが新たな従魔を得るため。
ただそれだけのために、ここを歩いているのだ。
そしてそれはリリアにとっては至上の目的ではあるが、本来、彼にとってはそれほど重要なことではないはずなのだ。
なのに彼は文句も言わずにつきあってくれている。
むしろ、後込みしたリリアの背中を押すように、危険などないと証明するかのように、魔物すべてを軽々と倒して、その背中で安心しろと告げてくれている。
考えてみれば、はじめから、そうだった。
彼はいつだってリリアを決して拒絶しなかったのだ。
どれだけがんばっても抜け出せないような闇の底でただひたすらにかけずり回っていたリリアが、やっと差し出すことの出来た勇気を、彼は無碍に払ったりはせずに、その手を差し出してくれたのだ。
そんな人は、いなかった。
彼以外には誰も。
彼だけしか。
だから……。
心の奥底で、そっと思った。
信じなくてはいけない、と。
リリアを受け入れてくれた彼を、信じて、受け入れなければならない、と。
それができなくて、何がパーティメンバーか、と。
リリアはいま、彼とパーティを組んでいる。
ただ一人の仲間として、彼と危険地帯を歩いているのだ。
仲間は、仲間を信頼するもの。
何よりも頼りとし、お互いに背中を守り合うものだ。
それは、物理的にも、精神的にも言えること。
リリアは、彼より弱い。
今はまだ、大して戦えない。
けれど、それでも彼の重荷を一緒に背負うことは出来るだろう。
だから、支えるのだ。
信じて、受け入れて、支える。
それだけが、今のリリアに出来るただ一つの恩返しだろう。
聞けば、彼には何か目的があるらしかった。
それが何なのかは今は未だ分からない。
けれど、その目的を果たすためにしなければならないことがたくさんあるらしい。
冒険者組合で冒険者をしているのも、その一環だと言っていた。
今の自分には、力がないからと、少しだけ寂しそうにして彼はそう言ったのだ。
リリアから比べてみれば力がない、なんて冗談に思えるような実力を持っていても、実現を確信できない何かを、彼は抱えているのだ。
だから決意した。
一緒に、実現していこう。
彼と、私とで。
彼が振り返った瞬間、リリアはそう心に決めたのだった。
だから。
「……大丈夫? きつかったら帰ろうか?」
そんな風に気遣いの言葉をくれる彼に、リリアは言った。
「大丈夫。絶対に魔物を見つけて……強くなる!」
少し気合いが入りすぎて、拳を振り上げてしまった。
そんなリリアの様子に、彼は首を傾げてふっと笑い、
「その調子なら、安心かな」
と言ってさらに前へと進んでいく。
そうだ。
安心だ。
私たちなら、やれる。
この人となら、きっと従魔と契約できる。
そしてずっと先へと、走っていくのだ。
どこまでも、どこまでも、遠くへ。
リリアは、そう、思ったのだった。