第43話 ファン
――さぁ、もう一度だ。
そう思って、俺はノエルと剣を再度合わせるべく、足に力を込めて踏み出そうとしたのだが、訓練場の観客席のある辺りから、その瞬間声が響いた。
「……ストップ!」
なんだ、一体どうしたんだ。
そう思ってそちらを見てみると、ミネットがこちらに向かって手を振っている。
ノエルもそれを見ながら、
「……あぁ、そうよね……」
などと言って頷いている。
首を傾げて俺はノエルに聞いた。
「……何? どうしたの?」
すると、ノエルは構えていた斧を降ろして、それに寄りかかりながら肩を竦めて言った。
「この試合はあんたの実力を見るためのものだってことよ……分かるでしょ?」
そう言われて、俺は納得する。
「あぁ……もう十分だって事かな? でもさして長い時間戦っていない気がするけど。ちょっと打ち合ったくらいだし、どれくらいの実力があるかはむしろこれから分かるところだったんじゃ……」
俺がそう尋ねれば、ノエルはため息を吐いて説明する。
「私もそう思うけどね。ただ、別にこの試合は"あんたがどれくらいの実力を持っているのか正確に把握する"ために行ったものじゃないのよ? あくまで、"最低ランクの魔物を相手に戦えるだけの力があるかどうかを見る"ためのものなの。私とあれくらい打ち合えるなら……まぁ、問題ないわね」
「そう言われると……そのなのかな? あれくらいならだれでもできる気がするけど」
言ってはみたが、誰でもは無理だろう。
今のリリアには出来ない挙動をいくつかしたくらいだ。
ノエルは言う。
「まぁ……そこそこ戦える奴なら、出来るかもしれないけど……少なくとも、そんじょそこらのガキが出来ることじゃないし、ある程度経験を積んだ冒険者の中でも中くらいの実力がないと厳しいでしょうね。それに……」
顎を擦りながら、ノエルは続ける。
「あんた、まだ本気出してないわね?」
ギラリ、と鋭い目で見つめながら、そう呟いた。
俺はその視線を正面から受けながらも、特に緊張せずにふっと笑って、
「さて、どうかな……一生懸命戦ったつもりだけどなぁ」
と、年齢相応の仕草で自分の頑張りを主張して見た。
それを見たノエルは呆れた顔をして、
「……それ、わざとなら相当な食わせ物よね、あんた……。まぁ、分かったわ。あんたの実力は、冒険者組合に登録するに当たって何の問題も無いものだと言う事はね。正直に言わせてもらえば、私としてはまだまだ戦い足りないところだから、もう少し続けたいのだけど……」
そう言ってちらり、とミネットの方を見る。
ノエルの視線の先では、金髪碧眼の美女が目を吊り上げてノエルを見ていた。
ノエルはそれを確認し、肩を竦めて言う。
「あそこで怖いお姉さんが睨んでるからね。これ以上はやめとくわ……」
と言ってため息を吐いた。
なるほど、その語り方からして、本来この試合は組合長の気が済むまで行って構わないもののようである。
ただ、今回については、ミネットからの見えない圧力があって、途中でやめたと言う感じだろうか。
かつて、母さんなんかがボコボコにしたという組合長は、母さんの実力を最後まで見ようとしてそうなったか、もしくは女にボコボコにされた結果、このまま何もせずに追われるかといつまでも戦い続けたかのどちらかなのだろうが……気の毒なことである。
それを考えれば、組合長の態度としては今回のノエルくらいの対応で引くのが妥当なのだろう。
ただ、普段はノエルもいつまでも戦っているのかもしれないが。
戦闘狂だという話は嘘ではなさそうだし。
「ま、そんな訳で、登録は許可するわ。手続きに少し時間がかかるから、それまではGランク扱いだけど……良かったわね」
ノエルはそう言って俺の肩を叩く。
「別に当分はGランクのままでいいよ。紹介状があるからFランクから、っていうのも味気ないし、コツコツランク上げを楽しむのも悪くないさ」
そういうとノエルは、
「あら、そう? 変わってるわね……まぁそれならそれでいいわ。と言っても、あんたならすぐにランク上がりそうだけど。それと、魔物討伐がGランクじゃできないわよ? いいの?」
と言うので、俺は言った。
「魔物討伐に関しては既にパーティ登録もしているし、リリアと一緒なら問題なく行けるからいいんだ……しかし、他人事みたいに喋ってるけど、おかしな組合長がいちゃもん付けなければすんなりと終わってた話のような気がするんだけどなぁ……」
軽い厭味を言ってみると、ノエルは途端に慌てて、
「そ、それは……悪かったわよ。だって……"雷姫ププルの紹介状"なんて、底抜けに怪しいじゃない!? 魔法印を確認しなかった私が結局悪いんだけど……それにしても、あんた、本物持ってるっていったいどういう関係なの? 雷姫と」
ふっと耳元に口を寄せてきて、囁き声でそう尋ねてくる。
戦った後なので少しばかり汗の匂いが漂ってくるが、そこまで不快ではない。
俺はその質問にどう答えるべきかを迷ったが、いくら馬鹿とは言え、これでノエルも組合長である。
言ってはいけない情報と、そうでない情報との区別くらいつくだろう。
それに、仮に漏れたとしても誰が信じると言うのか、というものあって、正直に言ってしまうことにした。
出来るだけ、深刻ではなく、さらりとした口調で。
「あぁ、雷姫ププルは俺の母さんさ。俺はデオラスの王子。まぁ……あれだよ。亡国の王子って奴。悪くない響きだね」
「……えっ?」
俺の言葉を聞くと同時に、ぴきり、と表情を固めるノエル。
それを見て、ぷっ、と笑った俺は、ノエルから離れて訓練場の出口へと向かった。
そちらには観客席から降りてきたミネットとリリアが待っている。
「ユキト―! だいじょうぶー?」
手を振りながらそう叫んで駆け寄ってきているのはリリアである。
言葉の割にそこまで心配そうではないのは、俺に怪我がないのが一目でわかるからだろう。
俺は手を振りかえして、特に問題ないことを伝えた
さくさくとリリアの方へと歩いていく俺に、我に還ったらしいノエルが、
「ちょ、ちょっと待って! 今の話、本当なの!?」
とダッシュで俺のところに近づいてきて瞳を向けてくる。
俺はノエルに視線を向けながら、
「嘘を言ってどうするのさ。そもそも、こんな嘘、馬鹿らしくて誰も信じないじゃないか」
と適当に答えた。
ノエルはそんな俺の返答をもっともなものと捉えたのか、頷いている。
「そ、それもそうね……誰も信じないわ。あっ、ちょっと、あの……」
それから、何か言いたそうな顔で悩み始める。
もじもじしていて気持ち悪いので、俺は単刀直入に尋ねた。
「何かあるの?」
「……その、雷姫って……生きていらっしゃるの?」
そう言えば、そんな話は一つもしていなかったか。
それにしても、尋ねるノエルの表情は割と真面目と言うか、真剣だった。
本当に知りたい情報らしい。
なぜなのか気になって、俺は質問に質問で返す。
「どうしてそんなこと聞くの?」
「そ、それは……昔、ちょっと助けてもらったことがあって……心配なのよ!」
と、真っ直ぐな目を見つめて言ってきた。
なるほど。
母からこういう女性を助けたことがある、などとは一度も聞いたことがないが、母はどこかぼんやりしているというか、大事なところ以外では適当かつ大雑把な人だ。
誰を助けたとか手を貸したとか、そういうことは忘れている可能性が高い。
そして、そんな母に何かで助けられたことがある、という思いを持っていたがゆえに、ノエルはそんな恩人の名前を騙って登録しようなどという不埒なことをしているように見えた俺に対してああいう高圧的な態度をとった、というところではないだろうか。
そんなことを尋ねれば、彼女は頷いた。
「そうよ! ここ数日だって、デオラスのことを聞いて、そのことについて調べてたの。でも、デオラスの情報は……さっぱり入らないから……」
言いながら、母さんの安否が知りたくて知りたくてたまらなくなってきたらしい。
俺の首根っこを掴んで、ノエルは必死な様子で言い募り始めた。
「ねぇ! どうなの! 雷姫は無事なの! どうなのよぉ!」
そこまで一生懸命お願いされると、言いたくなくなる……のだが、そこまで意地悪するのも可哀想だろう。
ここは俺の少しばかり天邪鬼な性格は置いておき、誠実に対応してやろうかと思い、母について語った。
「無事さ。ピンピンしてるよ……」
「本当に!? 今どこにいるの!?」
俺の言葉に喜色を露わにするノエル。
さらに居場所を尋ねるので、ここも素直に話しておく。
「ちょっと前まではハルヴァーンに一緒にいたけど、この間、オリン公国に向かったよ。デオラスの難民の為に働かなきゃ、とか言って」
それを聞いたノエルの落ち込みようは酷かった。
俺に対し「なんでもっと早く言ってくれなかったのよ!」から始まり、最後には「私、ちょっとオリンに行ってくる……」とふらふらし始めた辺りでミネットが止めた。
「組合長、貴女にはここ数日、留守にしていた分、書類仕事が溜まっています。それを片付けない限りはどこにも行けませんよ」
などと。
ノエルはミネットの言葉にさらに絶望を深くし、それから逃げようとこそこそとしていたところをミネットに首根っこを掴まれて、執務室へと引きずられて行ったのだった。
それから、それを見送ったリリアが、ふっと俺を見つめて言う。
「そうだ。冒険者登録、おめでとう! 良かったね、ユキト……」
俺の手を取り、自分のことのように喜んでいるリリアを見ると、何となく心癒される感じがした。
あまりにもどうしようもない大人を見たからだろうか。
純粋な少女に心が落ち着いていく……。
ふと、抱きしめようかと思ったが、そんなことしてもリリアが慌てる様子とかを拝めるわけでもなく、普通に抱き返してきそうな気がするので、それはやめることにした。
そんなのは恥ずかしいからだ。
「ま、これで安心してリリアの従魔探しに行けるようになったね。これからも一緒に頑張ろう」
そう言った俺に、リリアはゆったりと微笑んだのだった。