第4話 目覚めと相談
次の日、朝起きると、母が先に目覚めていた。
宿のベッドの上に腰掛けている。
よく手入れされた金髪が流れていた。
「……起きたのね? ねぇ、ここはどこ?」
どうやら事態を全く把握できていないらしい。
当たり前だ。
魔女に飛ばされてからずっと気絶していたのだから。
その間にいろいろやっていたのは俺だ。
そのことを何となく察したらしい母は、俺が起きるのを待っていたらしい。
俺は母にここがどこか、そして国がどうなったかは分からないことを告げる。
それに、あれは夢ではなかったということも。
全てを聞き終え、母は頷いた。
「そう……陛下も、アラドももういないのね……分かったわ。これから、どうしましょうか? アラドは……国には戻るなと言っていたけれど……」
切り替えるのが母は早かった。
そう言えば、母もまた父と同様、若い頃は冒険者をしていたらしいと聞いたことがある。
知り合いが死ぬことも少なくなかっただろう。
二人はそのとき出会ったということだ。
父も母も身分を隠していて、お互いが王族や貴族であることは知らなかったが、それでも恋に落ちたらしい。
まったくドラマというものはあるところにはあるのだなという感じがするが、自分の両親にもそれがあるのだと思うと何となく変な気分になる。
まぁそれはいいか。
これからのことは、考えていないでもなかった。
ここは迷宮都市であり、デオラスからは遙か離れた土地だ。
あのデオラスを襲った魔物たちがここに来ることは考えなくていい。
あの魔物達は、魔女アラドにより魔界へと送還されたからだ。
とは言え、その揺り戻しなのか、デオラスの土地は穢されたのだとアラドは言った。
できることならデオラスに早く戻り、どうなっているのかを確認して、その穢れを払う方法を見つけて救いたいところではあるが、それを今やろうとしても手段はないし、あまり焦っても仕方のないことかもしれない。
デオラスが穢されたと言うのなら、それは魔女アラドによるもの。
魔女の呪いは、そう簡単には解けないものだ。
解く方法を見つけるには、相応の期間と手間が必要であると考えておいた方がいいだろう。
ただ、それでも今、デオラスがどうなっているかは把握しておきたい。
そうでなければ、呪いを解く方法も探し用がないからだ。
おそらく、しばらくすればデオラスがどうなったかはここにも連絡が届くだろう。
そのときを待って、それから行動を起こすべきだと俺は思っている。
当然のことながら、デオラスの親しい者たち、それに隣国や交友のある国家にも連絡を取るつもりではあるが、少なくともデオラスについてはかなり難しいことが予想される。
あの土地で、生きている者がいる可能性はそれほど高くないだろう。
魔女の呪いがかかっているのだ。
人が生きられぬ土地になるとアラドが言ったくらいなのだ。
国民の生存を信じないわけではないが、あまり楽観するべきではない。
ただそれでも当然、両方に連絡をとっておくことは必要である。
この世界では遠方との連絡にはそれなりの金額がかかるのが問題だ。
だが、そのための費用はどうにか俺が捻出するつもりだった。
母には手紙を認める方をやってもらい、俺は金を稼ぐ。
宝飾品関係は今のところは避けた方がいいだろう。
せっかくデオラスから逃げてきたのに、居場所が知られるのも危険だ。
宛名はともかく差出人の名前の方はごまかしておく必要もある。
そういう機転は母の方が利くから任せてもいいはずだ。
そういうようなことを語ると母は頷いた。
それから、
「お金は、どうやって稼ぐつもりなの?」
と聞いて来た。
これはだいたい決まっていた。
持っているお金で当座は凌げるのは事実だが、それにも限界はある。
そして、俺のような怪しげな人間が手っ取り早く稼ぐ手段と言えば一つしかない。
俺が何をしようとしているのか理解したらしい母は頷き、そして、
「……冒険者ね? 分かったわ。出来ることなら私も参加したいのだけど、年も年だし……」
などと言い始めた。
まぁ、母には別に仕事があるからいいのだと説得しようとすると、母はさらに驚くべきことを言い出した。
「それに、お腹に陛下の子供がいるんですもの。あまり激しい運動はできないものね……」
などと。
つまり、俺の弟か妹がそこにいるわけだ。
ならば余計に母にはゆっくりとしていてもらわなければならない。
産婆関係は今まで魔女に頼りきりだった分、少し困ったが、まぁこれもおいおいどうにかなるだろう。俺もあの婆さんに師事していたのでそれなりの知識と技術はないではない。
それに今すぐ生まれるというわけではないし、母の腹を見るにまだ半年は経っていないだろう。
ただ、考えることは増えた。
それから母は、
「これから、冒険者組合に行くのよね。だったら私が紹介状を書くから、冒険者組合に行く前に羊皮紙を買ってきてくれないかしら。普通のものでいいわ。一枚くらいなら、買えるお金は持っているわよね」
と言った。
母はかつて冒険者だったから、その紹介となればそれなりに優遇されるだろう。
そして母が冒険者だったという事実は知られていない。
あくまで平民の女である冒険者ププル=オーゼンとして知られている。
その紹介状があるなら、少なくとも俺は怪しい人物として扱われずにすんなりと冒険者組合に所属することが出来るだろう。
母にお礼を言って、それから俺は羊皮紙を買いに街に出たのだった。
◆◇◆◇◆
迷宮都市ハルヴァーンは活気のあるそれは栄えている街だった。
少なくとも表通りには大量の物資があふれており、食べ物も装飾品も武器も防具もここで手に入らないものはないようですらある。
もちろん、少し周りを見渡してみれば身なりのあまりよくない襤褸切れのようなものを纏っている少年や、浮浪者然とした大人の姿も見ることは出来る。
ただ、そう言った貧富の落差の大きい人々の入り交じった様子が絶妙にマッチしていて、風景として違和感を感じない。
迷宮都市の古都のような街並みが余計にそういう風な印象を抱かせるのかもしれない。
どんな人間がいても、ましてやそれが人間でなかったとしても、この街に大した違和感を与えないような気がした。
そんな街並みの中、羊皮紙を売っている店に入る。
筆記具全般を扱っている店らしく、ここで便りを書くのに必要な道具は全て手にはいるだろう。
値段は少し高いが、目玉が飛び出ると言うほどでもない。
そこそこの品があるそこそこの品をそこそこの利益で売っている、そんな店のようだった。
ただ、少なくとも俺はそんな店に入るようなタイプには見えなかったらしい。
「おい、坊主。お前なにしに来た? どこかの商家の丁稚か?」
聞かれて自分の身なりを見るが、そんな風に勘違いされるような服装ではない。
一体なぜ……と思ったところで昨日かけた幻惑魔法が未だとけていないことに気づいた。
あのときに設定した容姿は平民の一般的な格好だ。
そして年齢は今のまま。
つまり平民の少年がいきなりやってきたように見えたのだろう。
ここは少し高めの品、つまりは商家やそれに準ずるある程度の資産を持つ人間向けの店のようだから、平民の少年が来るのは少し不釣り合いだろう。
だからこそ店主は俺をどこかの丁稚だと思ったのだ。
今更魔法を解くのもおかしい。
だから俺はそのままで通すことにした。
「まぁそんなところだよ。商家の、というよりある資産家のご婦人の小間使いでね。旅先から旦那に手紙を書きたいっておっしゃるから。筆記具なんて何にも持ってきてないのにさ。だから、一式もらえないかと思ってね。お金はたっぷりもらってきたからいいのを頼むよ」
まぁ、これくらいは言ってもいいだろう。
嘘ではないしな。
基本的にこの設定で通すことにしようかと考えつつ、言われていそいそと筆記具一式を準備し始めた主人を待つ。
それからしばらくして、
「これでどうだ。炎大烏の羽から作った羽ペンに、エルミステリの上質のインク。それに細々としたものと……羊皮紙は身内に送るってんならそれなりのでいいか?」
取り出されてカウンターの上に置かれた品々を見る。
どれもそこそこの品だ。
ペンとインクは結構いいものだが、まぁ、かなりたくさん書いてもらわないとならないかもしれないから丈夫なものの方がいいだろう。
俺は確認して頷く。
「あぁ、それで構わないよ。手間かけさせて悪いね。あと悪いんだけど、羊皮紙は枚数くれるかい? うちの奥様ったら旅が楽しいらしくて、このままじゃいつあのお家のご婦人にも手紙を書かなくちゃ、あのご婦人にも書かなくちゃ、と言いかねないんだ。結構知り合いの多い人でね。そうだな……十巻くらいくれるかい? また頼むかもしれないけど、今のところはそんなもので」
そんなことを言う俺に、気の毒そうな表情で店主は言った。
「うちとしては儲かるから構わねぇけどよ……お前もまた随分な人のところに奉公してるんだな」
「いや、基本的には凄くすてきな人なんだ。だからそこは文句がないんだけど……なんていうかな、ちょっと夢見がちな人でね。ま、それがまた楽しいからいいのさ」
「ははっ。大物だな坊主。じゃ、これでいいか」
店主はそう言って羊皮紙十巻と筆記用具を店で多めの買い物をしている客にサービスでつけているという簡易鞄に入れてくれた。
非常に助かることだ。
こんなにたくさんの品を手で持って帰るわけにもいかないし、紐で結ぶだけってのも怖いからな。
そうして店主にお礼を言って宿に戻る。
母に店主との会話を聞かせると母は頬を膨らませて、
「まぁっ! 私、そんなわがままじゃないわ!」
と怒っていた。
子供のような仕草である。
店で言った人物像は身分的なところ以外は事実、母の性格そのものだったのだが……。
まぁいい。
筆記具を渡すと母はプレゼントをもらったかのように喜んで、それから猛然と文章を書き始めた。
他のものはともかく、冒険者組合への紹介状はさっさと書かなければならないと使命感のようなものを感じているらしい。
およそ信じられない速度で紹介状を書き上げた母は、羊皮紙を巻いて封蝋をし、俺に渡した。
「これであなたも冒険者ね。昔の陛下と私と同じことをしているわ……」
少し遠い目になった母。
それに対して俺はことさら明るい声を出して言った。
「あぁ、ボロ儲けしてくるよ。なにせ母さんでも出来たくらいだからな」
すると母はまた頬を膨らませて、
「そんなに甘くないですよーだ!」
と言って部屋から俺を追い出した。
まぁ実際甘くはないだろう。
魔物を倒したり山賊から護衛したりは命がけの大変な仕事だからな。
そう思って部屋から遠ざかるように歩き出す俺の背中の方、ドアの向こう側からふと、泣き声が聞こえた。
「……どうして……モラード……アラド……どうして……うぅ……」
モラードは親父の冒険者時代の名前だ。
悲しいくないはずがないのだ。
俺はそのまま足を止めずに冒険者組合に向かった。
わざわざ俺が出たのを確認してから泣き出したのだ。
これ以上ここにとどまるのはルール違反だろう。