第39話 付け焼刃
「やぁっ!!」
レイピアを短剣を振りながらリリアが俺に向かってくる。
その身体を注視して見れば、そこには薄緑色の魔力光の輝きがあった。
低級身体強化魔術がしっかり発動している証拠であり、その状態で剣を振れているのは、昨日の魔力量増加のための反復訓練の副次的効果と言っていいだろう。
今日はリリアに武器による戦闘に加えて、低級身体強化魔術を発動させたままの行動が出来る様になってもらうことが目標であり、それさえ出来るようになれば明日にでも魔物を捕獲しに行こうと言う話をしてある。
武器を振りながら、俺に向かって十分に殺傷力のある一撃を繰り出してくるリリアを見れば、もうそろそろ魔物を倒しに行っても良さそうに思える。
付け焼刃に過ぎないので、強化した身体能力押しの剣術と言えるかどうかもあやしい戦い方だが、基本的な剣の振り方、握り方については教えたし、それが使い物になるかどうかはこうやって実戦の中で確認しているので問題ないだろう。
リリアが切りかかってくるのを俺が避け、隙がありそうなところに打ち込み、防御できそうなら防御して、それが無理な場合は避けてもらう。
ただそれだけの、簡素な訓練だ。
今から剣術を事細かに教えて……なんて悠長なことを言っていられるほど時間があるわけではないし、とりあえずリリアには何かしら魔物が必要なのだ。
それを得るための最低限の技術があれば、とりあえずはそれでいい。
あとは変な癖を付けないように俺が見てやればいいのだ。
のちのち、リリアには真っ当な細剣士に学んでもらう時間も取るつもりだし、一流とまでは言えないにしろ、一通りの技術なら細剣士のものも俺は持っている。
だから、ただひたすら基本通りに彼女が動ける様に、そしてそれを適切に応用して下級の魔物を倒せるように指導する。
ただ、ひたすら。
彼女の顔には汗で水気を帯びた銀髪が張り付いているが、目標を決めてそれに打ち込む人間と言うのはどんな者であれ、美しいものだ。
そこに迷いがないのなら、なおさら。
リリアの訓練には、そんなもの一切存在せず、ただ一心不乱に技術と力を身に着けるための努力だけがあった。
リリアは朝からずっとこんなことを繰り返していると言うのに、その瞳に俺に対する不信はなく、ただひたすらにこうすれば先に進めると言わんばかりの意思がある。
俺はそれに応えたいと思う。
俺はリリアの攻撃を避け、剣をいなし、隙に打ち込んだ。
「……はぁっ……はぁ……」
リリアが息も絶え絶えの様子で倒れ込んだのは、朝からぶっ続けで訓練し続けて、数時間が過ぎた頃だった。
昼にも程近く、そろそろここを出なければならない。
にも関わらず、倒れても剣を手放さずに這ってでも取りに行こうとするリリアのその根性は認めるが、流石にもう終わりだ。
時間的にこれ以上やっていると冒険者組合に行かなければならない時間に遅れてしまう。
だから俺は言った。
「さて、リリアが限界に達したところで、それそろ冒険者組合に行こうか。俺と組合長との模擬戦だしね」
俺はまだまだ余裕があるので、特に息も切らしていない。
リリアがここまで疲れているのは、必死だったというのも勿論あるだろうが、それ以上に動きに無駄が多すぎるからだ。
対して俺は最小限の動きで彼女の攻撃をかわせてしまうので、休む時間も結構とれる。
その結果が、この差だった。
傍から見ればまるで俺がリリアを苛めているような光景だったろうが、そんなことはない。
今日も昨日と同じく訓練場には他にいくつかパーティがいたが、そのどれもがリリアの奮闘を生暖かく見つめていた。
きっと彼らもこんな風に、パーティの新入りを扱くことがあるのだろう。
俺に対しては、ほどほどにしておけよ、みたいな目くばせがあったので、まず間違いない。
実際、他のパーティがやっていることをチラ見してみると、新人の扱きか、パーティの連携確認か、最近新しく組まれたと思しきパーティがその技量の程を見せ合っているかのどれかだった。
新人の扱きはどちらかと言えば、パーティと言うよりそれより大規模なクラン――パーティをいくつか束ねて大きな集団となったもの――の古株と新人、という感じの集団がやっていることが多く、ああいうところに所属するという選択肢もあったなと今さらながら思い至る。
せっかく思いついたのだから、いつか検討してもいいかもしれないと頭の片隅に置いておくことにする。
リリアは訓練に夢中で時間を意識できていなかったらしく、模擬戦の話を言われてはっとすると、素直にゆっくりと頷いた。
リリアとしては、もっと訓練して早く強くなりたいと言うのもあるだろうが、今回に限っては向こうから時間を指定されてしまっているので時間をずらす訳にもいかない。
俺につき合せて申し訳ないことだが、パーティと言うのはこんなものだろう。
なんなら、リリアだけでここで訓練していてもらってもいいと言ったのだが、模擬戦が見たいというのでやっぱり一緒に行くことになった。
それに、そもそも今日だけで、リリアはかなり強くなったのだから、当初の目的を考えるとこれくらいで十分だろうと言うのもある。
その実力の大半は、低級身体強化魔術と、何も知らない少女が剣術の一端を知ったことによるものなわけだが、それでも大した進歩と言っていい。
特に魔術については指輪の力で初心者とは信じられないくらいに実力が上昇している。
実際、これなら今日用事がなければ、そろそろ魔物を狩りに行っていいのだ。
途中からそう思っていたし、本当にそうしてもよかった。
けれど用事がなくてもおそらく、そうしなかったとは思う。
なぜなら、しっかりと安全マージンをとりたいからだ。
おそらく死なない、では不十分だ。
ほぼ間違いなく死なない、になるまで鍛えようと思っている。
もちろん、敵の強さが上がっていくにつれ、戦いは一種の賭けの性質を帯びてくるのは間違いない。
けれど、その賭けをするのは決して今ではないのだ。
だから今日はひたすら鍛えてもらった。
その甲斐もあって、彼女の実力はもはやゴブリン程度なら問題なく屠れるくらいにはなっただろう。
そう感じたからこそ、俺は冒険者組合への道を歩きながらどことなく残念そうな表情と楽しそうな表情を交互に浮かべているリリアを見て言った。
楽しそうなのは俺と組合長との試合を楽しみにしているからで、残念そうなのは今日の訓練を終えてもあまり自分の実力が上がっていないと思っているからだろうと考えて。
「……明後日、行こうか」
「……なにが?」
不思議そうに首を傾げるリリア。
何を言われたか、分かっていないようだ。
俺は続ける。
「リリアの魔物を捕獲しに、だよ」
「……っ!? いいの!?」
往来で、がばっ、と押しかかって来そうな勢いで服を掴まれた俺は少しだけよろけるが、流石に少女一人分の体重でどうにかなるほど鍛えていないわけではない。
俺は足を軽く踏ん張り、転倒を免れてから、あらためて言った。
「いいさ。実際、今日リリアはだいぶ強くなったよ。これなら……低級の魔物とは十分に戦える。明日、今日の復習を少しして、十分休んだら、明後日リリアの魔物を狩りに行こう」
「本当に……? そんなに強くなった感じはしなかったよ。ユキトにも一撃も入れられなかったし……」
「君が強くなるたびに、俺は少しずつ速度や力を上げていったからね。そういう印象になって、当然だ。けれど間違いなく君は強くなった。もちろん、うぬぼれては欲しくないけど……どのくらい強くなったかは、明後日、魔物と戦ってみて確認しようか」
「いきなり?」
「俺がちゃんと見てるから、心配することないよ。と言っても、不安だろうから……最初は俺が戦う。それをリリアが見て、判断して見ればいい。低級の魔物に今のリリアが勝てそうかどうかを」
明後日する事を聞き、少しだけ不安そうな表情になったリリア。
けれどまず初めに俺と魔物との戦闘を見学してから、というワンクッションが彼女からそれを取り除いたようだ。
リリアは頷いて微笑む。
「うん。分かった! あ、そうだ。街の外に出るなら、食べ物とか買わないと……嵩張りそうだけど」
「それは気にしないでいいんじゃないかな。収納袋をもらったし、そこに全部詰め込めば解決だ」
「あ、そう言えばそうだったね! いいなぁ……ユキト」
いつぞやの俺のように、物欲しそうな目で俺の腰にぶら下がった収納袋を見つめるリリア。
俺は言う。
「リリアの荷物もここに入ってるんだし、実際は共有してるも同然じゃないか。まぁ……そうだね、もしいつか、俺たちがそれなりに名を知られるようになったら、ゴドーにもう一つ、作ってもらえるように頼んでみようか?」
収納袋を持っていると目立つ。
そんなものを持っている者が一つのパーティに二人もいたら、もっと目立つだろう。
ゴドーと俺、という組み合わせならまだなんとか言い訳も立つだろう。
ゴドーが俺に用立ててやったとか言えばいいのだから。
ゴドーの腕を恐れて、俺から盗もうとか思う者もいなくなる。
けれど、俺とリリア、という組み合わせなら間違いなく狙われる。
しかも、俺ではなくリリアが。
そんな事態をわざわざ招こうと考えるほど俺は楽観的ではなかった。
ただ、いつかそれなりにランクがあがって、俺にもリリアにも簡単に手出しできるような状態でなくなったなら、また話は変わる。
いつのことになるかは分からないし、ラルゴがまた作ってくれるかどうかもなぞだが……一応の中期目標の象徴位になるだろう。
そうして、リリアは俺の言葉を聞き、満足そうにうなずいたのだった。