第37話 身体強化
リリアに教える魔術だが、これはそんなに数が多くない。
今日明日で身に付けてもらうつもりでいる以上、それほど複雑なもの、難しいものをいくつも、などというのは不可能に等しいからだ。
目的があくまで低級魔物の従魔化なのであるから、俺がついていく以上はそこまで高い練度も必要ない。
とりあえず一人で戦ってみてもらい、もし危なくなったら俺が割って入るか、逃げる。
従魔を得ることができるまで、それを繰り返せばいいだけの話だ
徐々に強力な魔物を従えていく必要がある以上、リリア自身に強くなってもらうことは当然の話であるが、今の時点でものすごく強くなれとまで言う気はない。
出来ることを、出来る範囲で身に付ければそれでいいのだ。
今の時点で彼女に身に付けてほしいのは、武器を使った最低限の戦いであり、そのための手段として、低級身体強化魔術を覚えてもらうつもりであり、これは彼女が魔女製の指輪を身に付けた状態の魔力量なら十分発動可能なものだ。
持続時間も二十分程度なら保つと思われ、これを使えばとりあえずFランク冒険者としては十分な戦闘力を得られると考えている。
俺はリリアに言う。
「じゃあ、リリア。これから君に教える魔術は低級身体強化魔術と呼ばれる、魔術師の中でも自らの肉体をも使って戦うタイプに分類されるに修道士の技能だ。ここまではいいかな?」
「う、うん。修道士の……今の私の魔力量で発動する?」
「その辺りについては心配する必要はないよ。大体、今のリリアの魔力量で、二十分は持続すると思う。だから、しっかりと呪文を覚えて、慣れない間は発動の瞬間をはっきりと意識して魔力の動きを感じるようにすれば、今日中に発動は出来るようになると思う。持続は……まぁ、明日中になんとかしよう」
「そんなに早く?」
「まぁ早いと感じるよね……ふつうなら、そんなに早くはできないんだけど、俺の目と、それから今リリアがつけている指輪は特別製でね。俺は君の体内の魔力を直接視認することが出来るから、なぜ発動しないのかを事細かに把握できるし、それに指輪の効果でリリアは魔法修得について通常よりいくらか勘がよくなっているはずだ。指輪の魔力の成長促進効果、っていうのは、魔力総量の増加だけじゃなくて、個別魔術の修得促進も含んでいるからね」
だからこそ、あまりにも効果が高すぎる指輪だと言えるのだが、それは言わないでおく。
リリアはなんとなくはその道具の規格外さを分かってはいるようだが、大体金貨にしていくらだ、とかそんな話をしたら卒倒しそうだからだ。
すごいいい道具、くらいの感覚的な理解に留めておくのが賢明だろう。
俺は続ける。
「じゃあ、そろそろ呪文の詠唱に移ろうか。これについては本当なら、呪文が何か、というところから講義を始めたいところなんだけど、今回は割愛するからね」
「えっ……それって大丈夫なの?」
「微妙だね。危ないと言えば危ないんだけど……俺が教える場合に限っては、大丈夫だといっておくよ」
呪文が何か、というところを理解しないで魔術を使おうとすると一般的には失敗することが多い。
時にはそれが命取りになることもなくはないのだが、俺には魔力の動きを見ることができる魔眼がある。
事故は起きようがないのだ。
「もしいつか、リリアが他の人に教えることがあればそのときは、はじめに呪文について講義するといい。ただ、今は時間が勿体ないし、魔術を覚えてから理論を聞いた方が誤解なく理解できると俺は思っているから、あえてそういう順番を採用するんだ。……いいかな?」
ここでもし、リリアがふつうの教え方がいい、というならそうしようかと思ったのだが、リリアは素直にこっくりと頷いた。
こんなんだから魔物調教師組合の変な講師にだまされたんじゃないのかと一瞬思わないでもなかったが、過ぎたことを色々言うのもあれだろう。
脇に置いておいて、続ける。
「魔術は、色々理論がある。けれど、その本質は簡単だ。頭に現象をイメージすれば、その通りの効果が現実に波及する。燃料に、魔力を使って。ただそれだけ」
「えっ……基礎魔法を教えてもらったときはもっと色々むずかしい話があったような気がするんだけど」
「魔術師っていうのはみんな秘密主義だから……あえて難しい教え方をして理解を難解にしたりすることがある。それに基礎魔術は使う魔力量も少ないから、魔力や呪文についてよく分かってなくても使えるし、事故も起こりにくいからね」
「ちょっとした詐欺……」
「まぁ、そうとも言える。でもそれでご飯を食べている人もいるわけだし、ある程度は仕方ないんじゃないかな」
基礎魔術を覚えようと思ったらお金を払って街の魔術師に習うなりなにかする必要がある。
もちろん、他の、すでに覚えているものから教わるというのもありうるのだが、自分がお金を払って教わったものを、他人にただで教えたりしようなどというものは少ない。
魔術師系の組合に入っている場合には、むやみやたらに基礎魔術を人に教えてはならないとルール付けもされているようだし。
破るとそれなりの制裁もあるらしく、こわいことである。
ただパーティメンバーや家族に教えるくらいなら見逃されている部分もあり、そのあたり、大ざっぱで適当だ。
つまり、俺はそういうしがらみから離れたところにいる上、パーティメンバーだから、ということもあるのでリリアに教えられるわけだ。
俺は続ける。
「まぁ、そんなわけで、基本的には使いたい魔術を明確にイメージしてやれば魔術はそれで発動する。ただ、ここで問題になるのが呪文なんだけど、これはイメージを補助するために使っているに過ぎない。だから熟練すれば最終的には無詠唱も可能なんだよ」
「でもそんなこと出来ている人、見たことないよ?」
「俺はどんな魔術でも無詠唱で発動できる人を知っているよ。それに、リリアだってさっき、見たはずだ」
「さっきって……あぁ、"花の香"の……」
「そう。フローラだ。彼女は明らかに無詠唱で魔術を使っていた」
「あれって魔術だったんだ……てっきり、魔女の固有能力か何かかと思ってた」
「花の成長を操っていたあたりは固有能力の範疇なんだろうけど……まぁ、その辺の区別はややこしいから今はやめておこう。とりあえず、魔術について大体の感じはわかったかな?」
「うん。わかった……でも、だったら、詠唱はなんでもいいってこと?」
「そうだね、そうなる。だから、魔術師たちの詠唱は人によって異なる。流派、というものがあるのはそれが理由だね」
魔術師たちには様々な流派がある。
何の違いで分かれているのかと言えば、それは理論の違いとか得意な魔法の違いとか色々あるわけだが、もっともわかりやすい違いは詠唱の違いだろう。
「けれど、剣には合理的な振り方があるように、呪文にも合理的なそれというものがあるんだ。だから、俺がそれを教えよう」
「うん」
「といっても、そんなに難しいことは何もないのだけど……俺の使う低級身体強化魔術の呪文はこういうものだ。"我が身、我が肉体を強くし、疾風のごとき素早さを与えよ――身体強化"」
唱えると同時に、俺の体が薄緑の柔らかな光を纏った。
風属性の加護が俺の身を軽くし、無属性の加護が俺の筋力と耐久力を僅かに強化する。
リリアはその様子を驚きをもって見つめていた。
「単属性じゃなくて、複数属性なんだね……」
彼女のこの言葉は、この世界の基本的な身体強化系魔法の性質を表している。
ふつうは、一つの属性でやるのだ。
なぜならそれが効率がよく、効果も高いとされているから。
だが、俺は魔女アラド、そして母に学んだこの複数属性のものを使っている。
彼女たちは魔術師として世界最高峰であり、そんな二人がこの魔術を使っていることには明確な理由がある。
それは、単属性による身体強化の持続時間が短く、しかも効果が低いことを二人は知っているからだ。
にもかかわらず、単属性の方が効率がいいとされているのは、複数属性の魔法はそのコントロールが難しいという理由があるのだが、コントロールさえ良ければ複数属性の方がいい。
そして、魔法は使えば使うほど制御が容易になる。
リリアには早いうちから、複数属性の制御に慣れてもらい、より効率的な魔法の運用が出来るようになってほしかった。
単属性に慣れてしまうと、矯正が難しいからだ。
そのことを、俺はリリアに説明する。
するとリリアは驚いたようで、少し考えてから頷いた。
「それが、ユキトの魔術の秘伝なんだね!」
「いや、俺の魔術ってわけじゃないけど……まぁ、俺が教わった人はみんなこういう使い方をしてたよ。だからリリアもそうした方がいい」
「うん。わかった! じゃあ、早速使ってみていい?」
「いいよ。ただ、失敗しても落ち込まないようにね。何度かやれば必ず出来るようになるから」
「うん!」
そうして、リリアはアラド式の呪文詠唱を始めたのだった。