第33話 花
何がなにやら分からず、お互いに顔を見合わせて首を傾げ続ける俺とリリア。
その様子にぷっ、と吹き出したのは店員の女性だった。
なぜ笑うのか、と顔を向けた俺とリリアに対し、女性は言う。
「ふふ。……あぁ、申し訳ございません。お二人がなんだか可愛らしく思えてきましたので……ええ。そうですわね、ではわかりやすく……これでいかがでしょう?」
女性が空中でひらひらと手を振ると、いつの間にかその手には向こう側が透けるような美しい薄衣が握られている。
きれいな生地ではありそれなりに目を引くものだが、一体どうしてそんなものを取り出したのか奇妙に思った俺たちは首を傾げた。
女性は、俺たちの疑問に答えることなく、言葉を続ける。
妖しげで魅力的なよく響くその声は、実に楽しそうで、なんだか癪に障ったが、どうやらこの場で事態を把握しているのは彼女だけらしい。
俺たちは黙って彼女の話を聞く。
「いま……ユキト様には、リリア様は銀髪で紫水晶の瞳を持った少女に見えていることでしょう。しかし、ユキト様以外には……リリア様はこのように見えるのですわ」
女性はそれから俺に近づき、しゃらり、と手に持った薄衣を俺の前にまるでベールのように翳した。
すると、その向こうに透けて見えるリリアの姿が、ふっとぶれるように変わって見えた。
それに俺は心底驚く。
ベールの向こう側にいたのは、あまり目立たない、どこにでもいるような少女の姿だったからだ。
茶色の髪を無造作にのばして二つにまとめた、黒い瞳の少女。
肌の色は褐色であり、顔の造りもどことなく、目立たない特徴のないものだ。
おそらく人混みに紛れたら一瞬で見つけられなくなる。
そんな少女だった。
平凡とは言え、それなりに可愛らしい、と言えないことはないだろう。
年相応に幼く、若さから発される、そこそこの輝きがそこには感じられるからだ。
ただ、先ほどまでのリリアの姿と比べると格段に地味だった。
明らかに別人であると思ってしまう程度に。
目の前の少女に残っているリリアらしさは、おどおどとしながらも好奇心に満ちた光が宿る瞳の輝きと、自信なさげな表情だけだ。
「……これは」
「ま、そういうことですわ。彼女には幻惑魔術がかかっている……魔女アラド師のお弟子たる、ユキト様にはお馴染みですわね。ただ、リリア様は自らの力でかけているのではなく……この髪留めに魔法がかかっているだけですが」
女性は薄衣を俺に押しつけ、それからリリアに近づいていき、その髪を二つに留めている髪留めをふっと外して翳して見せた。
すると、薄衣越しに見えていたリリアの姿が変化していく。
それは、俺からいつも見えていた彼女の姿。
銀髪を二つに分けて留めた、紫水晶の瞳を持つ雪の精のような少女だ。
薄衣を外しても、リリアの姿は何も変わらず、幻惑魔法が解けていることを教えている。
リリアは驚愕の表情を女性に向け、それから申し訳なさそうに俺の顔を見る。
「……あの、黙っててごめんね……ユキト」
「いや……黙ってるもなにも、俺にはリリアははじめからその姿だったから特に何かってこともないよ。そもそもパーティ名に黒銀の竜爪ってつけたじゃないか。リリアはあのとき口を滑らせてたと思うけど……」
「え? ……あっ」
俺の私的に、慌てたような顔をしてから「そっか……そうだよね……あぁ……」とか言いながら頭を抱えているリリア。
まぁ、それはいい。
俺に幻惑魔術は効かない。
あらゆる魔法的現象に基づく視覚的害悪は、俺に一切の効果をもたらさない。
魔女アラドに譲り受けた目、"魔眼"を俺は持っているからだ。
だから、結局、何も変わらない。
リリアは俺の言葉を聞き、ほっとしたように胸をなでおろす。
疑問があるとすれば、どうしてリリアがそんな幻惑魔術などかけている必要があるのかということだが、そんなことは俺が言えたことではないだろう。
俺はハルヴァーンに来て、すぐに幻惑魔法をかけて世間の眼から隠れたのだから。
同じようにリリアにもなんらかの事情がある。
それだけの話だ。
それにしても不思議なのは、この店員の女性である。
俺が幻惑魔術を見抜けるのは魔眼の力があるから当然であるとは言え、目の前にいる不思議な微笑みを浮かべ続けるこの女性は、ただの服屋の店員であるはずだ。
なのに。
そんな俺の感情を読みとったのか、女性は微笑みを崩さずに続けた。
「……あら、わたくしのことが気になりますか?」
「当然だよ。そもそも、名乗ってもいないのに、あなたは俺やリリアのことを知りすぎている。たとえ街で聞いてまわったのだとしても、おかしいことばかりだ。俺はこの街で、自分が魔女の弟子だなんて名乗ったことはないし、リリアだって幻惑のことを話したことなんてないはずだ。なのに、あなたは……」
「あらあら。魔女アラド師の弟子たるユキト様。意外と察しが悪いのですわね……?」
「……何を言って……」
女性は笑みを深くして続ける。
見れば、彼女の体は徐々に空中に浮かび始めている。
いや、違う。
地面から何かが生えてきている。
植物の蔓……?
それが徐々に太くなり、そして女性が腰掛けられるイスのような形になって徐々に大きくなっていく。
「ユキト……! これって何……!?」
リリアが驚きの声をあげる。
魔法を使用しているにしても、変化が大きすぎる。
そもそも植物とは言え、生き物の成長に直接働きかける魔法はその魔力の制御の難しさから、使えるものなど生まれつき植物との親和性の高いエルフくらいしかいないのだ。
それなのに、明らかにエルフではないのに、この技量。
目の前の女性は……。
「これはおそらく……!」
そうだ。
俺はこのような現象を起こせる存在に、心当たりがあった。
世界の法則を操り、神とすら戦ったと言われる種族。
人を越えた人。
亜人の中の亜人。
「……魔女!!」
俺の叫び声に、女性は言った。
「正解ですわ、ユキト様。そうわたくしは……」
植物がドーム状に庭全体を覆っていく。
女性の後ろには後光のように色とりどりの花が開き、その香りを辺りに広げていた。
この場を、空間を、そしてそこに生える植物すべてを、彼女は支配しているのだろう。
その気になれば、俺とリリアの存在など一瞬で刈り取ることも可能なはずだ。
それだけの力を持つ存在、それこそが魔女だ。
「わたくしの名は、魔女フロルカーミラ。……世間では、"枯死の魔女"と呼ばれています。ただ……それではあまりにもおそろしいので……ユキト様とリリア様にはこう名乗りましょう。"花の魔女"と。ですから、出来れば、花とよんでいただければうれしいですわね。ほら、この場において、わたくしが司っているものを見れば、そう名乗るのがふさわしいとは思いませんか?」
魔女の名は、その振るう力を象徴して名付けられるとアラドに聞いた。
アラドにも王国の魔女以外に、それはそれは物騒な名があったが、好んで名乗ることはなかった。
目の前の女性も、同じらしい。
"枯死の魔女"。
名前が表すように、植物とその生命を操ることを権能としているということだろう。
あまりにも強力なその力は、たしかに神とすら争えるだろうと思わせる。
「それで……花の魔女であるあなたは、それを俺たちに名乗ってどうしようって言うんだ」
「あら……意外と驚きませんのね?」
「アラドのばあさんで魔女の規格外さには慣れたからね……リリアは腰を抜かしているみたいだけど」
リリアの方を見てみれば、まさに腰を抜かしているとはこのことだというお手本のような倒れ方をしている。
魔女フロルカーミラ……フローラはそれを見て頷き、
「まさにああ言った驚き方を期待していたのですが……ユキト様はわたくしを満足させてくださいませんのね……まぁ、いいですわ。わたくし、リリア様の可愛らしい様子を見て満足しましたから」
フローラは指をぱちり、と鳴らした。
すると植物のドームはしゅるしゅると解かれていき、庭園の方へと消えていく。
どうやら彼女に俺たちを害する意志はないらしい。
「さて、ご質問にお答えしましょうか。別にどうもしないですわ。わたくし、今はしがない服飾屋ですから。リリア様のような可憐な方に、服をお作りするのが今の楽しみなのです」
こともなげにそう言ったフローラは改めて庭に設えられていたイスに腰掛け、紅茶を飲み始めた。
ただの余興のつもりだったらしい。
そう理解した俺は、リリアに手をさしのべて起こした。
「危ないことはないってさ」
「……びっくりした」
それから、フローラは何事もなかったかのようにリリアの服を選び、それから俺に代金の支払いを求めた。
魔女は変わり者ばかり。
その真理を、俺は改めて確認したのだった。