第32話 認識の相違
ラルゴの台詞によるならば、その店"花の香"は迷宮都市ハルヴァーンの若い娘に今、人気の店であるという話であったが、その店の前に立つに、その台詞は果たして正しかったのかと不安になる。
その洗練されている建物の前に立ちながら、リリアは言った。
「……がらんがらんだよ」
「……そうだね」
本当にその通りだったから、俺は頷いた。
誰も人がいない。
少なくとも、店の外には。
ここに来るまでの間、女性用の服を販売していると思しき店をいくつか見たが、そのどれもに人が出たり入ったりしているのを見たのに、この店"花の香"には誰一人としてそんな人間を見ないのだ。
こんなことなら別の店に冷やかしでもいいから入っとくべきだったかと思った俺を後目に、リリアは手を振り上げて言った。
「さっそくだけど、中に入ろうっ!」
リリアは俺と違って、この店への期待を未だ失っていないらしい。
そのリリアの態度が正しいか否かは、店の中に入れば分かることだろう。
もしだめなら、戻って通り過ぎたいくつかの店のどれかに戻って入ればいいかと思い、俺はずんずんと先に進むリリアに続いたのだった。
ドアを通るとき、ふっと、何か薄い布を通り過ぎたような感覚がした。
「なんだろう?」
不思議に思うも、前方にいるリリアは特に何も感じなかったらしい。
立ち止まった俺を不思議そうに見て、
「ユキト、はやくー!」
と叫んでいる。
まぁいいかと思い、俺は店の奥に進んでいった。
店の中は、不思議な間取りになっていた
ドアを開ければすぐに服がいくつも並んでいる大部屋とかがあるものだと思っていたが、その予想は裏切られた。
曲がりくねった通路がしばらく続いているのだ。
そして、壁や棚の上などには王族として育った俺をして中々の品だと思わせる絵画や調度品が飾られており、その並びも決して厭味ではなく品を感じさせる。
さすが、服飾を職業とするものはセンスもいいものだな、と思いつつ、俺はリリアに続いた。
そして。
「……わぁ!」
通路は終わり、開けた場所に出る。
そこは屋内ではなく、おそらくは店の裏手に当たるだろう場所、庭だった。
かなり広い庭園になっていて、外側から見たときどうやってもこの店にこれほどの空間を確保できる余裕はなかったことを不思議に思う。
柔らかな緑が目に優しく、計算されつくした花々の配置が、高名な庭師による芸術的な仕業であることを教えていた。
これのどこが服屋なのだ、と言いたくなるところで、どこにも服など置いていない。
ただ、庭園の手前に白色のテーブルが置かれていて、そこに妖しい色香を漂わせる貴婦人のような女性がカップとソーサーを手にリリアを眺めて微笑んでいた。
「……いらっしゃいませ、お客様」
声も美しく、金の髪とルビーのような真っ赤な瞳を持つその容姿と合わせてみれば、まさに妖精の女王、という感じのする不思議な女性だ。
その背中に七色に輝く羽が生えていないのがかえって奇妙に思えてくるほど。
そんな女性に、リリアは見とれていた。
俺はリリアの背中を小突き、
「ほら、服を買いに来たんだろ」
そう言った。
おそらくこの店は、作り置きの服をいくつも置いておき、その中から客に選ばせると言うタイプの営業形態をしているのではないのだろう。
女性の目は、リリアの体型を測っているようで、顔立ちを視たりしながら頷いている。
「あ、あの……わたし」
リリアがなにかを言いかけた。
けれど女性は、
「ええ、ええ、分かっておりますとも。全て、わたくしにお任せくださいませ。そうですわね……お客様のような方になりますと……このようなものはいかがでしょう?」
ぱちり、と女性が指を鳴らした。
すると、リリアの体が不自然な青色の煙に包まれる。
そして煙が晴れると、そこにいたのは先ほどまでのみずぼらしい服装の少女ではなく、洗練された服を身に纏ったどこぞのお嬢様かと言われるような恰好をしたリリアが立っていた。
薄緑の透け感のある短めのマントに、その下には極めて精緻な文様の描かれている白色のブラウス。
高級感のある茶色のミニスカートから伸びる長く細い脚が美しく、全体的に上品で調和の取れている雰囲気をしている。
リリアは着替えてなどいないのにいつの間にか変化していた自分の格好に驚いて、
「え、えっ!?」
などと言っているが、女性は満足そうにうなずき、そして言う。
「……やはり素材がいいと違いますわね。魔物調教師でいらっしゃるということで、魔物に避けられるような素材の仕様は控えたコーディネートになっておりますが。場合によっては魔力を通すことにより、隠蔽効果なども付与されるようになっております。もちろん、防御力に関してはそれなりのものと自負しておりますわ。なにせ、どれも相当に高位の魔物のものを使用しておりますから。そこらの鍛冶師の防具など、霞みますわね……さすがですわ、わたくし」
なんだか妙な自慢が漏れたような気がする。
しかしリリアは材料が高位の魔物のもの、と聞いた時点で目を見開いて、それから言った。
「い、いえ、私、そんなに高価なもの買えませんよ! 今回だって、ユキトにお金借りるから……」
「俺はいいけど……実際、どのくらいの金額になるの、これ」
正直似合っているし、防御力が高く、かつ魔法効果まであるというのなら買っておいて損はないと思うが、そこまで高性能となると値段が恐ろしい。
だから女性に顔を向けて聞いたのだが、女性は空中におそらくは魔力で数字を書き俺に示した。
「これくらいになりますかしら」
それは、正直服に出すにしては高いにも程がある値段だった。
そんな俺の心を読み取ったのか、女性は続けた。
「他に同じような効果を持ったものを、数着セットでお売りしますわよ?」
そうなってくると話は別である。
一セットなら問題のある値段だが数着セットとなると安い。
不思議になって俺は首を傾げる。
「そんな値段だと、儲けがないんじゃないかな?」
すると女性は微笑んでいった。
「いいえ。儲けなど、芸術の前には塵と同じです。このような可憐な少女が地味な格好をしているなど、世界の損失! わたくしの仕事は、全ての少女の美しさを限界まで引き出すことですわ!」
拳を振り上げられてそう言われた。
なるほど、こういうタイプかと納得した俺は頷く。
しかしリリアは、いまの女性の言葉に納得しかねたらしい。
「わ、わたし平凡ですよ……」
けれど女性は言う。
「なにをおっしゃいます、お客さま。その美しい銀髪、水晶のような紫の瞳、白雪さえも霞む滑らかな肌! 誰が見てもあなたはお美しく可憐で……」
「ちょ、ちょっと待ってください、しーっ、です。しーっ!」
途中でリリアは女性の言葉を遮った。
一体どうしたのかと思って俺は首を傾げる。
「……リリア、どうしたの?」
そう言うと、リリアは不思議そうな顔で俺を見つめた。
「あ、あれ? 驚いてないの?」
「何が?」
「わたし……銀髪じゃないでしょ? 目だって紫じゃ……」
「え……?」
何を言っているのかよくわからない俺は、首を更に曲げたのだった。