第25話 謎の少女
俺の腕を強く握りしめつつ、睨みつけ続ける涙目の少女。
その様子は、まるで長年に渡り探していた憎い敵を見つけたかのようであり、今しも「復讐を果たさん!」とか言いながら殴りかかってきたとしても違和感がないほどに目つきが悪い。
だが、それにしてはその目尻に浮かぶ大きな水滴の存在が奇妙である。
まぁ、もしかしたら過去、俺になにかされたことによる屈辱を思い出して抑えきれないものがあったのかもしれないと解釈することはできなくはない。
問題があるとすれば、俺にはそんな心当たりは一切ないということだろう。
改めて、少女に見覚えがないかどうか、記憶を検索するためにその容姿を凝視して分析してみる。
二つに結ばれた流れるような白銀の髪、水晶のような紫色の瞳。
肌はその下に流れる血管すら透けるほど白く滑らかだった。
おそらくは今の俺より年齢は上のようだが、それでもまだその美貌には成長の可能性が感じられる程度には幼い。
十二、三歳、というところだろうか。
客観的に見て美しいと感じられる女の子だ。
つまり一般的な男の感性を持っている俺をして、その特徴を一度でも目にしたら忘れられるとは思えない。
強烈に記憶に残る目立つその容姿。
けれど、俺には一切、その見た目に覚えはなかった。
というか、この世界で生きてきた俺の人生はまだ十年と少ししか経過していない。
しかもそのほとんどがデオラス王族として王宮に籠もり、魔女アラドを初めとする数々の人生の師たちにスパルタ式教育を受けていたのだ。
王宮の外にいるような女の子に対し何か悪さが出来るほど自由が約束された環境ではなかったのである。
どう考えても、俺とこの女の子には接点など無く、今が初対面なのだと解釈するよりほかになかった。
それならばどうしてこの少女はこんな目で俺を見るのか、そして突然ひっつかんだのか……。
視線の交錯は長かったようにも短かったようにも感じた。
しかし、その間にあったのもは、ただただ無言である。
俺の困惑と、少女のよくわからない強い視線が奇妙に交差しているだけだ。
「……」
「…………」
そして少女がそのままなにも語らないため、なにも事態は進行しない。
耐えられなくなった俺は、とりあえず話のとっかかりを掴もうと何か語りかけることにした。
「……あのさ」
「は、はいっ!」
出来る限り優しく、また静かな声で話し始めた声に、少女はびくりとその身を震わせて、硬直するように直立して返事を返す。
どうやらもの凄く緊張しているらしく、それがためになにも言えなかったのではないかと推測させた。
けれどそんな風にびくついているにも関わらず、少女は決して俺の腕を離そうとはしないのだ。
これはよっぽど深い事情があるのか……と思った俺は、そのまま続ける。
「とりあえず、君が俺に何か用があるということはわかった。だから、手を離してもらえないかな? ……別に逃げも隠れもしないし、会話には応じよう」
離して、の辺りで少女の目に溜まっていた涙の量が増えた。
それに気づいた俺は逃げないと言うことを約束する。
そんな俺に、少女は俺の手をひっつかんだまま、疑わしそうに首を傾げ、
「……本当ですか?」
と言った。
ここで嘘だと言えば、面倒くさそうなことになりそうな気配を感じた俺は、力強く首を縦に振り、その真実性を示す。
しばらく俺の目を見つめ、納得したのか、少女はそれからゆっくりと手を離した。
「……わかりました」
しぶしぶ、という感じである。
なぜそんなに俺の捕獲にこだわるのか、気になった俺は、とりあえず会話するのに適した場所に行こうと少女を誘う。
長くなりそうだし、落ち着いて会話できる場所の方がいいだろう。
「なにがなんだかよくわからないけど……立ち話もなんだ。どこかでお茶でも飲みながら話をしようか。ええと、そうだな……ちょっとここで待ってて」
少女にそう言って、俺はさきほどの受付のお姉さんの元にいく。
それから、首を傾げるお姉さんに聞いた。
「この辺でカフェとかってどこがあるかな?」
「……カフェ? それはまたどうして?」
「いや……なんかあの子が俺に話したいことがあるらしくて」
冒険者組合入り口付近で手持ちぶさたな雰囲気で佇む白銀の髪の少女を指さした俺に、お姉さんはふっと微笑んで、
「……なかなか隅に置けないのね」
と言った。
冗談めかしているから本気でそう思っているわけではないのだろう。
「ま、そういうわけだから、何か……女の子向けのところがいいかな」
「あらあら、気が利くのね。そうね……冒険者組合を出て北の方へしばらくいくとテラスのある二階建ての赤煉瓦づくりの建物が見えてくるわ。そこが、最近人気でね、《麦の果実》っていうお店なのよ。私も暇と蓄えが出来たら行きたいと思っていたところなのよね。そこはどう?」
「混み具合は?」
「うーん……新しいところだから、まだそれほどではないわね。オープンからは少し日も経っているし、それに今の時間帯ならそんなに混んではいないと思うわよ」
「そうか、じゃあそこにするよ。わざわざ悪いね」
そうお礼を言うと、お姉さんは言った。
「いいのよ……もしユキト君が稼ぐようになったら、私も連れてってね?」
さすがに今の俺はお姉さんから見たら完全に子供である。
だから冗談のつもりで言ったのだろう。
けれど、俺は今のやりとりに結構な感謝を感じていたから、言った。
「もちろんだよ。有用な情報には報酬が与えられるべきだ。今度誘わせてもらうよ」
「……あら」
少し目を見開いたお姉さんに軽く手を振り、俺はそのまま先ほどの少女の元に戻る。
「ごめん、待たせたね」
「……何をしてたの?」
怪訝そうな顔をしている少女に、俺は説明する。
「俺はこの辺に来てまだ間もないから、地理に疎いんだ。だから、ちょっとそれを聞いていたんだよ……じゃ、行こうか」
そう言って、俺が歩き出すと、少女も慌てて着いてくる。
絶対に俺から離れるわけにはいかないと悲壮とも言える決意を感じさせるその表情は不思議の一言だ。
一体なぜそうまでして……。
まぁ、それはこれから聞けばいい。
そう思いながら、俺は少女と街の大通りをゆっくりと歩いた。
しばらくすると、冒険者組合のお姉さんの言ったとおり、テラスが付いている二階建ての瀟洒な建物が見えてくる。一階の可愛らしく装飾されている扉の上部に、《麦の果実》との看板が出ており、なるほどこの店だと思った俺はそのまま進んでいき、扉に手をかけた。
少女もそれに続くだろう……と思っていたら、意外にも少女は足を止めている。
振り返って首を傾げると、少女は言った。
「あの……この店って、安くないから……」
その言葉で言いたいことがわかった。
少女も女の子であるところ、この店の評判と味、それに値段を知っていたのだろう。
そして、自分には払いきれない、と言いたいのだろう。
けれど俺としては別に少女に払わせるつもりはなかったから、自分の懐具合を頭で反芻しつつ、問題ないと改めて判断してから言った。
「いいよ。俺が奢るから」
「それは申し訳ないよ……」
俺の腕をひっつかんで足を引き留めておいて今更なにを言っているのか、という気もするが、それだけ必死だったのだろう。
少なくともその一言で少女が俺に恨みを抱いているとか悪意を持っているとか言うことはなさそうだと思った俺は、笑って言う。
「気にしないでいい。俺の仲のいい冒険者はみんな言うんだけどさ、冒険者は宵越しの金は持たないんだってさ。そして、気に入った奴には奢るのが礼儀で、それを断ることもまた礼儀に反するって。冒険者である僕の奢りを君は断るっていうのかい?」
それは、酒場で『俺の酒が飲めねぇっていうのか!?』と言うに近い台詞だったが、今回は別に許されるだろう。
脅したいわけでもなんでもないのだし、話をしたいと言っているのは彼女なのだ。
その場所くらい、奢りなのだから、俺の勝手で選ばせてもらっても別に構わないだろう。
少し乱暴かもしれないと言う気はするが……気にしないでおこう。
そんな俺の言葉に、少女は少し驚いて、けれどそれなら断るのは尚のこと悪いと思ったのか、ゆっくりと頷いて、
「……わかった……」
と、申し訳なさそうに俺の後ろについてきた。
そんなに気にするようなことではないだろうに、と思うがその謙虚さは前世日本で生きてきた俺にはなじみ深いものだ。
むしろかなりの好印象である。
だから俺はわりと気分良く、その店に足を踏み入れたのだった。