第22話 母の平服
久々に戻ったハルヴァーンの景色は意外なほどに懐かしく感じた。
なんとなく、俺はこの景色に郷愁のようなものを感じていたのだ。
それは、もはや、俺には故郷と呼ぶべき景色が存在しないという事も影響しているのかもしれない。
雑多で人と物に溢れている迷宮都市ハルヴァーン。
少しだけ怪しげで、なんとも言えない胡散臭さがあって……。
それはここで一攫千金を狙う冒険者たちが殆ど山師に近い存在であるからだろう。
たくさんの人が行き交う大通りを抜け、俺は宿に戻る。
母が待っているからだ。
ゴドーとラルゴとはハルヴァーンについてすぐ別れている。
狩った魔物の素材などの換金についてはラルゴがやっておいてくれる、という話で、そう言った素材に見慣れ目利きもできるだろう彼が適任だろうと任せることになった。
聞いてみればゴドーとラルゴがあの山に出かけた後は、いつも換金についてはラルゴがやってきたらしい。
ゴドーはそういうところについて面倒くさがりそうだし、ちょうどいい役割分担なのかもしれなかった。
宿に戻るとそこには女将タイナとその娘ココネが給仕にかけずり回っていたが、俺の顔を見ると久々に会えたことに喜んでくれた。
「戻ってきたんだね! 剛剣と一緒だって言うから、そういう心配はしてなかったんだけど、万が一ってこともあるじゃないか。無事で戻って本当によかったよ……」
「魔物はほとんどゴドーが倒してしまったからね。俺がやっていたのはちょろちょろとその様子を見物してただけさ」
そんな俺の言葉を聞き、ココネが不思議そうに首を傾げた。
「魔物と戦わなかったの?」
「いや……緑小鬼数匹とは戦ったかな」
「それで無傷なんだ……やっぱり結構強いんだね、キミ」
自分より年下の少年が、まさか魔物と問題なく渡り合える存在にはどうやっても見えないらしく、ココネは俺をまじまじと見つめてはため息を吐いている。
俺はココネに言った。
「ゴドーと比べると大したことないんじゃないかな」
その言葉にはタイナの方が笑って、
「そりゃあね、剛剣と比べてしまったらこの街の冒険者はほとんどが霞むよ。気にすることないさ」
そう言ったのだった。
それからしばらく雑談をし、そろそろ部屋に戻ると言って俺はその場を離れた。
俺はそのまま部屋に進む。
部屋の前で来ると俺は扉をゆっくりとたたいた。
「はい……」
母の声が聞こえた。
久しぶりに聞いたそれはなんとなくほっとするように思えた。
「俺だよ。入るよ」
「帰ってきたのね……どうぞ」
そうして中に入ると、そこには何枚かの羊皮紙を開いて部屋備え付けの机の上に置き、一枚一枚読み込んでいる母の姿があった。
服装も前の時とは変わっている。
今はハルヴァーンに来た当初から着用していた王族としてのドレス姿ではなく、平民の着る一般的なものを身につけている。
さらに母は多少、近眼であるため、だいぶ昔に俺が魔女アラドと共同開発した眼鏡をどうやら携帯していたらしく、今はそれも身につけているようだった。
羊皮紙に囲まれながら眼鏡をしてたたずむ母は、そうしているとまるで王族に見えなかった。
どちらかと言えば、研究者然とした若い女性、という感じだろうか。
俺を産んだ年齢が年齢なので、母は実際にまだかなり若い。
三十代には到達してはいないだろう。
二十代後半に入ったか入らないか、それくらいだ。
「まずはお疲れさま。初めての冒険はどうだった? 魔物はちゃんと倒せたかしら?」
母はそう言って俺を労う。
そこには宿の女将のような心配の表情は見て取ることは出来ない。
母は俺の実力がよくわかっているからだろう。
そこらの魔物に簡単にやられる訳が無く、また冒険者時代の経験から、Bランク冒険者が一緒にいる時点でどれほどの安全性が確保されるかも理解している。
だから全く心配していないのだ。
「あぁ、何の問題もなかったよ。俺は緑小鬼数体と地味に戦っただけだったしな。あとは全部、ゴドーがやってくれた。大緑小鬼も現れたんだけど、これもまたゴドーが簡単に倒してしまったから……」
大緑小鬼の単語が出た瞬間、母は一瞬驚いた顔をしたが、ゴドーが倒したらしいことを聞くと頷いたので納得したらしい。
母は言う。
「緑小鬼は弱い魔物の代名詞みたいに言われるけど、意外と手強いし嘗めてかかると危険なのよね。それに、たまにもの凄く強力な個体や変異体もいる……研究対象として興味が尽きない存在でもあるわ。その大緑小鬼がどうして発生したのかはわかる?」
母の趣味は王宮にいるときから魔物の研究一辺倒だったから、この発言は予想のうちだった。
これについては国民もよく知っていて、だからこそデオラスでは魔物の研究自体かなり推奨されていたので、魔物の研究については先進国でもあった。
魔女アラドがいたことがそれにさらに拍車をかけたので、魔物調教師の数もかなり多かったのを覚えている。
俺はそういった方向よりも自らの戦闘力を上げる方に血道を上げていたのでそれほど魔物の調教については詳しくない。
母の質問に、俺は答えた。
「今回の大緑小鬼は大鉈を持っていた。それがパーティメンバーの見立てではかなり上位の呪われた魔剣でさ。それを所持していたことが大緑小鬼の巨大化に影響したんじゃないかって話だよ」
「呪われた魔剣……魔武具の類は魔物の存在の格を上げるっていうあれね。聞いたことはあるんだけど、本当なのかしら」
母は顎に指を当てて考えた。
俺は答える。
「事実かどうかは実験なり観察なりを繰り返さなければわからないけど、たぶん正しいんじゃないかな。その大緑小鬼は通常のものと比べてかなり大きかったし、特徴的なのはその大鉈だった。その鉈の振るい方だって相当の練度だったしね……鉈に愛着を持っている感じもあったよ」
「愛着ね……なるほど。わかったわ。ところでその鉈はどうしたの? 呪われてるんでしょう?」
その行方に興味があるようだ。
一般的には呪われた魔剣の類はその場に放置か、あとで専門の職人に取りに行かせるかするらしく、自分でどうにかする冒険者は少数派だ。
理由は、持つと同時に呪われて仲間に襲いかかった、という話は枚挙に暇がないからだ。
そんなことで死ぬのはみんなイヤだからだ。
俺だってイヤだ。
けれど今回はふつうに持ち帰ってもそんなことにならない理由があった。
「パーティメンバーの一人が鍛冶師だったから。適切な処理をして持ち帰ってきたよ。あとで換金するって」
「大丈夫なの?」
母が少し心配そうな顔を見せる。
ラルゴが魔剣に呪われてないのか、と聞きたいらしい。
なので俺は説明する。
「なんか聖水を染み込ませた布で包んでおけばとりあえずは大丈夫らしいね」
それが一般的な方法であるらしい。
あとは、それ専用の呪文を使うとか、専用の運搬用道具を使うとか、いろいろあるようだが、最も簡易なのは聖水を染み込ませた布を使うという方法だ。
母はあまりにも準備の良すぎることに驚き、
「そんなもの、よく持ってたわね……」
とつぶやいた。
しかしこれは別にそんな自体を予測していたからというわけではない。
ただ、いつもいらないものを冒険に持っていける余裕ある冒険者がパーティにいただけの話だ。
「やっぱりこれもパーティメンバーの一人が収納袋を持ってたからね。いつでも使えるように常備してるんだってさ」
「便利なのね……」
そう言って、母は感心していた。
それから、聞くべき事は聞き終えたと、母は話をがらりと変える。
「そういえば、言わなければならないことがあったの」
座り直して真剣な表情でそう切り出した母に、俺はなんとなく緊張を覚えた。
何か重要なことなのだろう。
そして、口を開いた母の話したことは、やはり重大な話だった。
「手紙が、届いたの」
それがどこからなのかわからないほど俺は察しが悪くなかった。
つまり、それは母がこの間手紙を出した相手のうちの誰かから、ということだ。
それにしても早い気がするが、母がその理由を説明した。
「ほとんどは通常便で出したのだけど、三枚ほど、奮発して飛竜便を使ったわ。だから早く着いたの」
それは、飛竜を使って手紙や荷物を届ける、かなりお高いサービスのことである。
当然、魔物調教師しか務められない仕事であるから、その分高くなるのだ。
魔物馬車と同じ理屈という訳だ。
ただ、ハルヴァーンは思いのほか、高位の魔物調教師が多いらしく、世界平均よりはかなりやすく使うことが出来たらしい。
だからこそ、あまり金銭的余裕がない今でもそれを使う決断が出来たのだろう。
「で、具体的にはどこから着たの?」
「ええ……オリン公国からよ」
その言葉に俺は驚く。
オリンは、デオラスの隣国であるからだ。