第2話 絶望の始まり
目の前で見る魔女の戦いは、それこそ圧巻だった。
あの圧倒的な魔術を放つ魔女と、存在するだけで周りを威圧するほどの力を持った鎧騎士、彼らと人間と同じところはまさにその容姿だけでしかなく、その中身はまさしく神代の時代の何かなのだとその場にいた誰もが思った。
魔女と魔物である鎧騎士との恐るべき戦いは、まさしく神話の再現であり、この世を滅ぼさんとする伝説の悪魔と、それを調伏せしめんとする魔女との物語に思えたのだ。
けれど。
振り返って見てみれば、それはもっと分の悪い何かだった。
魔女の力が弱かったわけではない。
むしろ拮抗する何かを、確かに魔女アラドは持っていた。
けれど、何事にも相性というものがある。
そのときの戦いは、そう。
あまりにも相性が悪すぎた。
あの戦いをたとえるなら……そう。
魔女と悪魔とのそれではなく、オーディンとフェンリルの戦いだったのだろう。
◇◆◇◆◇
魔女の放った魔法はすさまじかった。
あたりを爆音と閃光が埋め、何も聞こえず何も見えない空間をそこに作り出した。
けれど魔女自身には敵の姿がはっきり見えていたのだろう。
自分の魔法で何も見えなくなっては話にならない。
だから、魔女アラドに油断などはなかった。
けっして油断などしていなかったのだ。
それにも関わらず。
「……ぐぼっ」
光と音が引いたその瞬間、そこに広がっていた光景は、人類の敗北を告げる何かでしかなかった。
しわがれた声が断末魔をあげて血を吐いている。
鎧騎士の腰に差し込まれていた剣が、今や魔女の腹をまっすぐに貫いていた。
見れば、ハルバードは横に控えていた別の魔物が持っているようだ。
おそらく、鎧騎士が手渡したのだろう。
魔女との戦いには、剣で臨むべきと考えたのか、それともそれで十分だと思ったのか。
それは彼にだけしか分からないことだ。
しかし実際に、魔女はその剣によって大きく傷をつけられている。
その様子を兜から除く感情の籠もらない瞳で見つめる鎧騎士。
彼は言った。
「魔女、か。確かに恐るべき力と言えるだろうよ。その相手が私でなければの話だが、な」
魔女アラドはそんなことを少し残念そうにつぶやく鎧騎士を見た。
どういう意味か、と目で聞いているのだ。
喉に絡んだ血が、魔女アラドの発声を邪魔している。
「冥土の土産におしえてやろう、ご老人。私の鎧はありとあらゆる攻撃魔法を無効化するのだよ。もちろん、物理的攻撃に対する耐性もミスリル銀やオリハルコンに匹敵する。光栄なことに、私があの方から賜った宝物のうちの一つだ。むしろ、初期の呪詛の方が私は恐ろしかったくらいだがね。あれを私は知っているぞ。魔女特有の能力なのだろう? 魔法では、ない。おまえが死ぬことになった今、もはや私を止める手段はないということだな」
そうしてその鎧騎士は人間界に出現してから初めての感情をその顔に載せたという。
それは愉悦に染まった微笑み。
これからこの世界に住む人間を滅ぼせることに喜びを感じているように思えたとは、この光景を間近に見、そして生き残った騎士たちの言だ。
それから言いたいことを好きなだけ言ったのか、鎧騎士は魔女アラドに突き込んだ剣をさらに深く刺したあと、ゆっくりとそれを抜き取り、倒れゆく魔女アラドを踏みつけにしてその場を後にしたという。
この国最強の存在たる魔女アラドを倒した今、鎧騎士の進む道を遮るものはなにもなかった。
多くの騎士や魔法兵が周囲を取り囲んでいるにも関わらず、だ。
なぜといって、魔女アラドの強さを今やその場にいる全ての人間が理解していたからだ。
普段の訓練で見せていたと思っていた圧倒的な力すら、魔女アラド本来の力から見てみれば矮小なそれでしかなかったということを、理解してしまったからだ。
そんな一種の化け物とも言える魔女アラドをしてすら、兵士たちの目の前をゆっくりと通り過ぎていく鎧騎士は歯牙にもかけず一撃で倒して見せたのだ。
それはつまり、この場にいる誰であってもその騎士に勝利することは出来ないと言うことを意味している。
そんな事実を明確に目の前に提示されて、一体どこの誰が鎧騎士に立ち向かえるというのだろう。
兵士犇めく王都の中央通りを、その鎧騎士はまるで人など存在しないかのように悠々と進んでいく。
止めなければいけないはずなのに、それなのに、全く動かない足に、そして怯えからか震えの止まらない手足を、兵士たちは生まれてから初めて呪った。
なぜこの足は動かない。
なぜこの手はふるえているのだ。
死など、恐れてはならない。
たとえただの無駄死にになろうとも。
そう教えられてきたはずなのに。
そしてその通りの気持ちでここにいるのに、動かない手足。
どれだけ無念だったことだろう。
この時の兵士たちの気持ちを考えると胸が張り裂けそうである。
でも仕方のないことなのだ。
意味のある死ならば、恐れるべくもなかっただろう。
けれど、ここで動くことは完全に意味のないそれでしかないということを、彼らは本能的に察したのだ。
だから、俺は別に彼らを恨んでなどいない。
彼らが止めなかったその存在の進む先。
たどり着くはずのその場所が、俺たち王族の住む王城なのだったとしても。
◇◆◇◆◇
当然のことながら、城門を守っていた兵士たちも、鎧騎士を止めることはできなかった。
彼らが不幸だったのは、鎧騎士の力のほどを目にすることが出来なかったことだろう。
王城に入り込もうとする魔物を、彼らはその力の限りを絞って戦い、止めようとしてしまったのだ。
勝てるはずのない、一瞬の時間をすらも稼ぐことの出来なかった彼らの戦い。
これを無駄死にということは簡単だ。
けれど、俺はそうは言いたくない。
彼らは俺たちを守るために死んだのだ。
だから、俺たち王族は、その命の尽きるそのときまであきらめてはならないのだ。
けれど、そうは言っても、やはり実際にその鎧騎士を目にしてみれば恐ろしさは段違いだった。
魔女アラドの敗北を見た騎士は、すぐに王城まで走り、そしてその結果を俺たちに伝えた。
鎧騎士の歩みはゆっくりだったから、それが可能だったのだ。
それが余裕からなのか、それとも俺たちがすぐに逃げたとしても対応できる自信があったからなのかは分からない。
けれど、結局俺たちは鎧騎士に相対することになったのだから、後者が真実なのだろう。
連絡が来た直後、王族に伝わる転移水晶を使用したのだが、なぜなのか分からないが発動が封じられていたからだ。
逃げられなかった。どうやっても。
逃げて、体制を整えることすら許されないらしい。
目の前でゆったりと笑う悪魔のような鎧騎士は、俺たち王族に向かって言う。
「貴様等が、人の世の王の一人か」
「……そうだ」
親父――この国の国王たるエルトモラルガルドローは気丈にも俺たちを守るように一歩前に進み、それからはっきりとした発音で鎧騎士に答えてた。
けれどそこまでだ。
それこそが親父の今生最期の言葉だった。
気づいたときには、親父の首は空を飛んでいた。
金切り声が聞こえた。
母の声だ。
俺の後ろで震えながら、叫びながら、その光景を見ていたのだろう。
そうして、鎧騎士の哄笑が玉座の間を満たした。
「これが、こんなものが、王だというのか! 弱い、弱すぎるぞ! カカカカカカッ!!!」
どうやら、彼ら魔物の概念で言うと、王というのは強いものらしかった。
親父とて、若い頃は身分を隠して冒険者をやっていたこともあったようだから、けっして弱くはなかったはずなのだが、魔物から言わせるとそうではないのだろう。
実際、親父は一撃で首を飛ばされてしまった。
絶望、というよりかはあっけにとられたような感覚の方が強かった。
俺はなぜかそんな状況で落ち着いていた。
悲しんだりしている暇がなかったのかもしれない。
極限状況だったのかもしれない。
そんなことを思った。
そのまま、がしゃり、がしゃりと鎧騎士が俺たちの方へと近づいてくる。
ゆっくりと、ゆっくりと。
目の前までくると本当に圧巻だ。
こんな存在感のある生き物を、俺は前世とあわせて始めてみた。
そうして、鎧騎士の剣が振り上げられ、ゆっくりと振り下ろされるのを俺は呆然と見つめた。