第15話 改めて出発
「ではそろ行くかのう?」
魔物馬車の御者のグイン老がそう言った。
見ると、馬車に積んでいた荷物の三分の一ほどが下ろされたようで、内部は随分と広くなったように感じる。
トルノの村のための食料品や衣服、その他雑貨などだったのだから、結構な量だったのだろう。
村一つ分、と考えるとそれでも少ない気すらするが、それほど大きな村ではないからこんなものなのかもしれないと思った。
グイン老の言葉に従い、ミリーやトルノの村の人々に挨拶をして戻ることにする。
「じゃあ、またね、ミリー。それに魔女みたいなおばあさんも」
「あぁ。ま、ハルヴァーンに戻ったらすぐに会うことになるから、そんなに惜しむ別れじゃないんだけどね」
「ひょっひょ……わしは魔女じゃないぞ。……多分な」
ミリーの言葉にその通りだなと頷き、そしてトルノの村長たるおばあさんの言葉に本当だろうか、という疑念が生じる。
魔女は本当にどこにいるのか分からない。
デオラスの魔女アラドだって王国の魔女になる以前は国内の街だか村だかで普通の人間として暮らしていたのである。
このような大きな都市から遠く離れた土地であるならば、余計に魔女がいてもおかしくない気がするのは決して偏見ではないと思う。
しかし確かめる術は存在しない。
魔女はその容姿からして人間と全く異ならない。
寿命は長いのだが、それを確かめるためにここに何十年も住むわけにはいかないし、子供は女しか生まないという特徴があるのだが、今更このおばあさんに子供を産んでくれもないだろう。
だいたいそんなあからさまな提案を飲んでくれるなら普通に考えて白状するに決まっている。
最後は魔力の総量なり使用できる魔法の数や威力を試すという方法があるが、こいつもやっぱり本人が使ってくれなければどうしようもない。
魔力の量については分かる人には分かるのだが、魔女は魔力の扱いについても人間より上を行っている。
自らの莫大な魔力総量を隠すことなど朝飯前だし、そもそも持っている魔力を全て放出してゼロに出来るという、およそ人間業ではないことも可能としているのを俺は魔女アラドから教えてもらって知っている。
そんなことをされては人間に魔女を見つけることなどまず不可能だ。
だからこそ魔女という存在は人の生活の間に入って生きていけるとも言えるが。
ミリーや村人たちと挨拶して、馬車に乗り込むと鎧鼠は月衣の森の中でのそろそろとした歩みが嘘のような勢いで走り出す。
馬車が壊れるんじゃないか、と思うくらい揺れて、他の冒険者たちの中には乗り物酔いになって調子の悪そうな者もいたが、大抵は何の問題もないような顔をして座っている。
さすがは高ランク冒険者御用達の魔物馬車と言うべきか。
しかしよく見ると顔を青くしていたりするので、単なるやせ我慢らしいいことが分かる。
近づいて顔を見つめたりしていたら、手をゆるゆると振って、吐くかもしれないから近づかないでくれと言われたりした。
そんな中、ゴドーとラルゴは元気そうにしていて、どうやらこの二人には乗り物酔いというものはないらしいことが分かる。
俺も、前世では結構車酔いをした方なのだが、今世では何の問題もないようだ。
馬車の中を歩き回っても調子が悪くなったりしないので、快適である。
「へぇ、お前も馬車酔いは平気か」
ゴドーが感心したようにそう言った。
「みたいだね。ここまで揺れる乗り物には初めて乗ったけど、何の問題もないみたい」
「街道を走るときは道の関係もあってここまで無茶な速度は出せないんだけどよ、コーンドール平原の縁には街道なんてねぇからな。人も歩いてねぇし、どれだけ速度を出しても事故は発生しない。だからこんな速度で進んでいるわけだ」
「冒険者とかにぶつかったりはしないわけ?」
「魔物馬車が平原の縁を走るっていうのはそれこそ常識だからな。ぶつかったらいやだろ? だから冒険者はまぁ、どうしようもないとき以外は平原の縁に近づくのを避ける」
「なるほどね……そう言えば、さっきから結構な数の石とか踏むような音が、がつっ、がつっ、って聞こえてくるけどこの馬車大丈夫なの?」
そう聞くと、今度はゴドーではなくラルゴが答えた。
「この馬車は、っていうか、魔物馬車の材質は特殊だからな。かなり丈夫なんだよ。さっき月衣の森で月影の話が出ただろう? まさにあれで造られていてな。極めて丈夫で、しかも加工がしやすい希有な木材なんだ。その代わり、伐採は相当大変なんだが」
「どうして?」
「それはな、昔から言うんだ……『月影の虚には魔物が住む』ってな。魔物を呼ぶ木なんだよ。月影の群生地は大抵、強力な魔物の住処になっていて……だから、かなり高価な木材でもある」
「魔物が……月衣の森が危険地帯なのはその辺りにも理由があるのかな?」
「そうだな。ま、魔物馬車には月影の木を使うしかねぇし、魔物馬車がなくなったら困るからな。馬車が壊れたり次のを買い換える時期が来たら、そのときはその魔物馬車に世話になった冒険者連中が月影を取りに行くのがハルヴァーンの慣習だな」
持ちつ持たれつ、ということだろう。
馬車の製造で商売をしているところは商売上がったりでは……と一瞬思ったが、そんなことはないか。
材料を取ってくると言う話であって、馬車の製造までする、という話ではなかったもんな。
流石に冒険者とは言え、そこまで自前で補うことはできないだろう。
木材を採集して、それを製造業者に持ち込んで造ってもらって、それを贈る、という話だろう。
そう、ラルゴに確認すると、
「あぁ、そういうことだ。金はまぁ、カンパすれば簡単に集まっちまうからな。一人せいぜい銀貨二、三枚ってとこだ。ゴドーみたいな高ランクの奴は金貨を求められるが、それにしたってBランクにしたら端金だろう」
「その割には初めて会ったとき、お金持ってなかったけどね、ゴドー」
そう言うと、ゴドーが頭を掻きながら言った。
「武具の修理だったり、飲み歩いたりしてたらいつの間にか有り金全部なくなっててなぁ……あれには驚いたぜ。だから植物採取しようと思ってたんだが」
「本当に全部無かったんだ……もっと考えてお金は使いなよ」
呆れたようにそう忠告すると、ゴドーは手を振って言う。
「おいおい、ミリーが言ってたろ? 冒険者は……」
「宵越しの金は持たない、か。本当に無一文になるまで使うのはなんかちょっと違う気がするんだけどね……」
たとえそうなったとしても、自分なら問題ないという自信がゴドーを躊躇させなかったのだろう。
すごいんだかだめなんだかよくわからない。
ただ、おもしろい奴なのは間違いなかった。
「さて、夕日も沈んできたな」
ラルゴが馬車の外を眺めながらそっと言った。
ラルゴが外に顔を出しているところから同じように外を見てみると、コーンドール平原の向こう側に夕日が沈んでいくのが見えた。
オレンジ色の、大きな夕日が。
平原に点在する魔物や動物たちが照らされている。
「夜までにはラミズの村に着くの?」
「いや、今日中には無理さ。だから野宿だ。まぁ、すでに体験済みなんだから問題ないだろ?」
「まぁね。ただ、焚き火を囲んでご飯食べたり雑談してたりしただけだし」
「はは。普通ならもっと気を張ってやることだがな。ここまで凄腕がそろってると気も抜けるってもんだ。何かが近づいてきたら間違いなく全員気づくし、普通の魔物や盗賊なら瞬殺だしな」
「そうなんだよね……それがおもしろくないと言うか、出番が欲しいというか」
少し拗ねたようにそういうと、ラルゴが笑っていった。
「ま、いいじゃねぇか。最初の冒険なんだ。少し楽、くらいが丁度いいんじゃねぇか? どうせ、そのうち全部一人でやらなきゃならない日が来るんだからよ」
「確かにその通りだね。今はせいぜい楽させてもらうさ」
「言うじゃねぇか。その調子だ」
そうして魔物馬車は日が完全に暮れて辺りが真っ暗になると、ゆっくりとその速度を落としていき、完全に止まった。