第14話 森の外
そこは、多くの生き物にとって住みやすい楽園であると同時に、人間にとっては対抗しきれぬ自然の驚異の集積場であった。
月衣の森を住処とする魔物は月桂樹竜を始め、上位冒険者ですらも苦戦するような強力なものが多いのである。
ただ、それでもそのことに目をつぶりさえすれば、ずっとここにいてみたいような、そんな気分にさせる趣がそこには感じられた。
生えている木々はその多くが大樹であり、一体どれほどの月日を超えてきたのか分からない。
そしてそんな木々は、他の森とは少し異なる特徴を持っていた。
「この辺りの木々は、月の光で成長するんだ」
ミリーがそう言って馬車の外に生える木々を見つめた。
「月の光で? 太陽じゃないんだ」
「もちろん、太陽の光で成長するものも生えているけどね。この森のほとんどを構成している主要樹木――月陰っていう木は、太陽の光だとほとんど育たないんだよ……月の光は太陽の光より魔力が多く含まれているらしくてね、月陰はその魔力を浴びて育つのさ」
「へぇ……なるほどね。それにしても詳しいんだね。意外だよ」
そう言うと、ミリーは笑って少し睨みつけてくる。
「ガサツな私には似合わないかい?」
そう言って。
そんなつもりはなかったので、俺は首を振って答えた。
「そんなことはないさ。そうじゃなくて、ミリーは今回星鳥の観察に行くんだろう? 冒険者組合の依頼掲示板には植物関係の依頼もたくさんあったのに、その中であえて星鳥の依頼を受けるんだから、植物より動物の方が好きなのかと思ってさ」
「なんだ、まだ冒険者じゃないのに依頼掲示板を見てたのかい?」
「事前偵察って言うか、下見っていうか、そのつもりでね。そのお陰でゴドーに会えたよ。そのときはなんか植物採取の依頼を適当に受けるつもりでいたって言ってた」
「ゴドーも相変わらず自由気ままに生きてるね……植物採取ってあれだろう。常時依頼の薬草採取とかそういうのだろう……Gランク向けのさ」
ミリーがゴドーにそう言うと、ゴドーは頷いた。
「まぁ、そうだが。ただ、上位ランク向けの植物採取系があったら受けようとも思っていたぞ。魔物と戦って素材を持ってくる、とかそんな気分じゃなくてなぁ。それに、出来れば日帰りで出来るようなのがよかったからよ……」
「日帰りってあんた。そんなのやっぱり薬草採取しかないじゃないか」
「いやいや、たまに辛子の実の採取とかもあるんだぜ。食堂の女将とかが気まぐれで依頼してくるからな」
「辛子の実……市場で買った方が安いような気がするんだけどね」
「あえて、実が熟する前のものが欲しいとか、大粒のが欲しいとか、規格から外れたものが欲しいときがあるらしくてな。そういうときに出されるんだ。報酬は大したこと無いが、受けると美味い食事が保証されるぜ。たまに酒も出てくるしなぁ。ユキトと会ったときはとにかく酒が飲みたくてよ。酒代稼ぎに依頼を受けるつもりだったから、余計にそういう依頼を目を皿にして探してたんだが……こいつと会っちまった」
ゴドーは俺の頭をわしわしと撫でる。
力強い手だ。
固く、大きく、一流の戦士しか持ち得ない手。
比べて俺の手はそうでもない。
やっぱり年季が違うからだろう。
いつかこのような手を持ちたいものだと思う。
「全く、おかしなBランクだよ……まぁ、Bランク以上の冒険者なんて大体おかしなものだけどね。それでユキト、私は確かに動物関係の依頼が好きだけどね、植物も好きさ。そもそもがダークエルフだからね。植物には普通の人間よりも親しみがある」
ミリーは長い髪をかきあげてその尖った耳を見せてくる。
ダークエルフだから浅黒い肌をしているが、滑らかできれいな質感をしていた。
「じゃあ今回は動物の気分だったんだね」
そう言うと、ミリーは頷いた。
「そう言うことさ。それに星鳥だからね。食い気が勝ったというのも大きい」
「それなんだけど、俺、星鳥食べたことないんだ。そんなにおいしいの?」
何の気なしに言ったその言葉だが、ミリーは大げさに驚いて言う。
「なんだって!? 星鳥をあんた食べたこと無いのかい!? 全く、あんたそれじゃあ人生の半分は損をしていると言っても過言じゃないよ! 迷宮都市に来たら絶対に一度は食べるべき品だ……そうだね、今度私が奢ろう。値段が値段だから普段はなかなか手が出ないけど、絶対に買えないってほどでもないからね。そう、少し奮発すれば食べれる」
随分な剣幕でまくし立てるように言うものだから俺は少し驚いてしまう。
そんなに美味しいのだろうかと。
しかしミリーのこの様子を見るに、美味しいのだろう。
しかも相当。
ただ、食べてみたいのはもちろんだが、相当高いと聞いた。
そんなものをたとえ稼ぎのいいだろうCランク冒険者のミリーとは言え、集ってもいいのだろうか。
そう言うと、
「何いってんのさ。冒険者は宵越しの金なんて持たないもんだ。それに、後輩が遠慮なんてしてんじゃないよ。気に入った奴には奢る。それが冒険者の作法だ。覚えとくんだね。もちろん、断るのは礼儀に反すると言うこともね!」
なんて男らしい物言いだろう。
俺は感謝しつつ、頷く。
するとミリーは満足そうに笑ったのだった。
馬車は進んでいく。
月衣の森をそろそろと。
森の中にあるのは決して木々だけではなく、いくつもの水源の姿もあった。
静かに流れている川や、恐るべき透明度を誇る湖を何度か見た。
そういうところには魔物や動物がいて、水を飲んだりしていたが、流石にそういうときは静かにしているのが作法なのか、どの魔物も、魔物馬車に襲いかかってきたりはしなかったし、他の動物も襲おうとはしていなかった。
森の生き物には森のルールがあるらしい。
そう思って、何とも言えない微笑ましい気分になった。
そんな風にいくつもの木々を越えていき、気づいた頃には馬車は森を抜けていたのだった。
突然開けた場所に出たので俺が驚いていると、慣れている他の冒険者達が笑っていた。
月衣の森の外は本当に広かった。
どこまでも続いているように感じられるほど遠くまで、真っ平らな平原がそこにはあったのだ。
「……コーンドール平原」
そう言うと、ゴドーが頷く。
「そうだ。大陸でも人の手の入っていない平原としては、有数の平原だな。その全てを歩いた者はどこにもいないと言われていて、まだどんな秘密が隠されているのか分かったもんじゃない。その一つが、ミリーの星鳥だ」
「そう言えば、ミリーはコーンドール平原で降りるんだっけ?」
ミリーに聞くと、頷いて答えた。
「そうだね。ただもう少し言ったところに村があるからね。そこに拠点を作って、それから行く予定だから、降りるのはもう少し先さ」
こんなところに村があるということに感心していると、ラルゴがそんな俺に気づいていった。
「人間、意外とどんなところにでも住めるものだ。気温とか考えるとこの辺は快適だしな。森と平原の境目は魔物もあまり近づかないし。それに水源の確保は森から流れてくる川がある。意外と住みやすいんだ。だからラミズみたいな村があったりする」
「へぇ……そうなんだ。ラミズはここから遠いの?」
「近くはないが……それほど遠くもないな。半日ほど進んだところにミリーの言う村があるが、そこからさらに一日かかった辺りにあるのがラミズの村だよ」
「分かった。もうすぐ着くってことだね」
「あと一日野宿だけどな。ま、頑張ろうぜ」
そんなことを話していると、思いのほか時間が過ぎ去るのが早かったのか、いつの間にか村に着いていた。
ミリーの言っていた村だ。
トルノという村で、月衣の森に生える樹木や薬品の原料となる植物の栽培・採取が主要な産業らしい。
馬車が村に着くと、村長が入り口で待っていたので随分歓待されているのだなと驚いていたら、ミリーが首を振った。
「いや、私を歓迎して出てきているわけじゃないからね? そうじゃなくて……ほら、魔物馬車に物資を積んできただろう? この村から注文の品とかがあるからね。村長はその確認で出てきたのさ」
そんなことを話していると、もう百は超えているのでは、と思わせるしわしわの肌の老婆――トルノの村長らしい――がこちらに歩いて来て言った。
「ひょっひょ……いつも村からの細々とした依頼を受けて来てくれるCランク冒険者ミリーをないがしろにする村がどこにあるんじゃ……もちろん、歓迎はしているさね。ただ、街から運ばれてくる酒や食材、それに都会の服なんかは、このトルノではCランク冒険者より歓迎されるんだけどね」
「ばあさん、また魔女らしくなっちゃって……本当に魔女じゃないのか?」
ミリーが笑ってそう言うと、村長はまた魔女のように笑って言う。
「どうかね……魔女なんてものはどこにいるのか分からないものさ。もしかしたら、わしも魔女なのかもしれんがね……そんなことを自分から言う魔女なんてのはなかなかいないものさ。デオラスの名高いあの王国の魔女はそういう意味でも変わり者だね」
「あぁ……あの魔女な。確かに変わってるね。魔女が一つの国に属するなんて、帝国以外では初めて聞いたね」
「そうさ。帝国はまた少し事情が違うが……ま、そんなことはいいさね。それよりも、積み荷を運び込まなくちゃならん。あんたら、手伝ってくれ」
老婆がそう言うと、その後ろに控えていた男達が魔物馬車に入って積み込まれた物資のいくつかを運び出し、村の中へと消えていく。
老婆は御者におそらくは積み荷の代金が入っているのだろう皮袋を渡し、感謝の言葉を伝えていた。
こんな辺鄙なところに住んでいたら普通はものに不自由することだろう。
しかし迷宮都市周辺では魔物馬車が走っている。
迷宮同士をつなぐそれは、その途中にある村々へと物資を運搬することをも仕事のうちにしているということが今回分かった。
魔物馬車はそういうところでも役に立っているのかと感心したのだった。