第11話 組合と実力
迷宮都市ハルヴァーンから南西へ進みしばらくすると見えてくるものがある。
人の手の入っていない、巨大な樹木が密集する中、人の足と馬車の轍で踏みしめられた心許ない道のようなものが蛇行しながらその内部へと続いている。
月衣の森。
遙か古代より生きる木々は太く、生命力に溢れていて、草食の巨大で強力な魔物たちの狩猟圧にも負けずにその分布を広めている。
見上げるばかりの大樹ばかりで、その大きさは一つ一つが数十メートルに達するほどだ。
また、内部に存在する魔物は、そのどれもが強力であり、一般の冒険者であれば出会った時点で死を覚悟しなければならないほどのものが少なくない。
であるからこそ、そんな場所に入る前に一端の休憩をとり、英気を養うのが鎧鼠の魔物馬車の定番であり、月衣の森直前まで来たら一端停止し、夜が明けるのを待ってから月衣の森に進入するのだ、とゴドー達、熟練の冒険者達は語った。
鎧鼠の魔物馬車はその行く場所のすべてが危険地帯か危険地帯へ続く通路であり、そのために、乗っている冒険者達はそのほとんどが上位冒険者であるのが普通だ。
ゴドーに連れられてきた俺やラルゴのような場合もないではないが、それでも危険なことに変わりはないから、普通は鎧鼠の魔物馬車には乗りたがらないものらしい。
それでいて、鎧鼠の魔物馬車に乗って目的地に行く、というのは一流の冒険者の証でもあるから、これに乗るということに憧れを持つ冒険者も少なくないと言う。
「だったら無理して乗る若い冒険者とかもいるんじゃないの?」
馬車を止め、月衣から一キロほど離れた地点に焚き火を囲んで野宿していた。
寝ずの番をしなければ魔物におそわれるので、馬車に乗り合わせた冒険者でパーティごと順繰りに番をしていた。
今は俺たち三人の時間であり、さらにミリーも眠れないらしく番に加わっている。
俺の質問にゴドーが答えた。
「乗ろうとする奴はいないわけじゃないが……御者がな。止める」
「御者が?」
「乗る前に説明したが、魔物馬車の御者は魔物調教師であることが絶対条件だ。魔物を操れるのはそいつらだけだからな。そして魔物調教師の世界ってのは、才能の世界だ。魔物にどれだけ好かれ、どれだけ言うことを聞かせることが出来るのかがすべてだ。剣士や魔術師は修練次第である程度まではどうにかなるが、魔物調教師はそうもいかない。修行しようがなんだろうが、まず魔物に懐かれなければ話にならないからな。普通なら人間を見たら襲いかかってくる生き物に好かれるんだぞ? それだけでどれだけこれが難儀な職業かが分かる。必然、ハルヴァーンで魔物馬車なんてやっていけてるのは、それこそ魔物調教師でも一流どころでな。鎧鼠もかなり上位の魔物だが……それを操ってるあの御者のじいさん、実のところ魔物調教師組合の幹部の一人である多種使いと呼ばれる凄腕魔物調教師グイン=フォスカだ」
「え……」
馬車の横で、鎧鼠の鎧そっくりの固い表皮を撫でながら、パイプを燻らせている白髪の老人を一瞬見る。
とてもではないが、そんな大人物に見えないが、実力者とは案外そのようなものであるということを、母や魔女アラドという分かりやすい例で俺は納得していた。
だからゴドーの話に頷く。
「なるほど。あのおじいさんに拒否されたらその時点でどうしようもないわけだ」
「そういうことだな。普通の馬車の御者なら恫喝するなりなんなりして無理矢理乗ることも出来るだろうさ。だが、魔物馬車の御者だけは別だ。どうやったって言うことを聞かせることは出来ない。もし出来るなら、そもそも乗るのを止められることも無いしな。なぜといって、それは冒険者として上位の実力を持つことの証明なんだ。そういうわけで、鎧鼠の馬車に無理矢理乗る奴は存在しない」
「うまくできているもんだねぇ……そういえば、さっきので気になったけど、魔物調教師組合って言うのがあるんだね? 冒険者組合って大きな括りだけじゃなくて、職業別にも職能団体があるの?」
「あぁ、あるぜ。重複して入っても構わないしな。冒険者組合の方が上位組織なんだよ。その下部組織として、それぞれの職業別の組合がある。その職業の情報の収集なんかは職業別の組合の方が集めるし、冒険者組合に出された依頼の中で、その職業が達成しやすいものを纏めたりするな。あと、後進の育成なんかも、下部組織の役目だ。冒険者組合に登録したいが、何の能力も持たない場合、試験を受けて、下部組織に所属して一人前になるまで面倒を見てもらうことが出来るわけだ。まぁ、それなりに難関だけどな。だから何も出来ないのに冒険者組合にいきなり登録する、なんて言う馬鹿が少なくないわけだが……」
「意外といろんな道があるんだね。下部組織で一人前と認められればそのまま冒険者組合に登録できるの?」
「あぁ。その場合は下部組織が推薦してくれる。本来登録したての冒険者はGランクから始めなきゃならないが、推薦を受けた場合はFから始めることが出来る。この違いは大きいな。討伐依頼をいきなり受けることもできるんだから」
「戦闘技能については下部組織が保証するってわけだ」
「まぁ、そういうことだ。他にもF以上から登録する方法はCランク以上の冒険者から推薦を受ける、という手段がある。これについては、おまえみたいな奴の場合だな。ただ、その場合は漏れなく組合長の試合になったりする。そういう場合、血縁者をコネで入れようとする奴もいたりするからな。基本的な戦闘技能があることを保証するための制度なのにコネだけで押し込まれると意味がねぇ。まぁ、そういうところは大体みんな分かってるから、ほとんどいないわけだが、一応ってやつだ。それに、下部組織の推薦は冒険者組合が定める明確な基準をクリアした上でないと受けられない。たとえば、一般的な魔術師の場合は、下級魔法のうち三つ以上を覚え、実戦においてそれを使って五体以上の魔物を倒した経験があること、とかな」
「へぇ……いろいろやってるんだね。冒険者組合って」
「そりゃあな。国を跨ぐ巨大組織なんだ。それくらいはな」
「ちなみにゴドーは下部組織には属しているの?」
「あぁ、一応な。俺は剣士だから、剣士組合にな。まぁ、平だが」
「平?」
Bランクの冒険者、しかも"三剣"とまで称される凄腕が、平にすぎないというのは意外だ。
ハルヴァーンでも上位の実力者なのだから、少なくともハルヴァーンにおけるそれなりの立場に就いていてもおかしくないはずなのだが。
そんな俺の疑問にラルゴが答えた。
「こいつはな、不真面目なんだよ。だからいくら幹部になるように打診されても『めんどくせぇ』の一言だ。剣士組合の連中も最近ではもう諦めちまってる」
「ゴドーらしいね。平日に森で植物採取して湖で泳ごうなんてBランク、頭がおかしいとしか思えない」
「まぁ、Bランク以上の冒険者ってのは大体頭がおかしいもんだがな……ただ、それでもゴドーの発言力は大きい。剣士組合には数少ないAやSランクも所属しているが、ハルヴァーンでの最高ランクはBだからな。実質、ハルヴァーン最高ランクの剣士はこいつってことになる。ハルヴァーンは迷宮都市だ。迷宮にどのくらい潜ってどのくらいの成果を上げてこれるかがその存在の価値を高める。つまり、実力主義ってわけだ。だから、こいつの意見を剣士組合の人間は無視できない。する気がないってのが正しいかもしれねぇな。なにせ、こいつこんなんで尊敬を集めてやがる」
笑いながら言うラルゴにゴドーが苦笑する。
「おいおい、こんなんはないだろ、こんなんは。俺ぁ、これでも割と頑張ってるんだぜ? 指名依頼はまず断らないし、特殊個体の討伐依頼は積極的に受けるしな」
「指名依頼を断らないのが好印象なのは分かるけど、特殊個体の討伐依頼を積極的に受けるのが頑張っていることになるのはどうして?」
そう聞くと、焚き火の周りに刺さった肉が焼けるのを今か今かと待っていたミリーが説明してくれた。
「そりゃ、特殊個体なんて出ると低ランク冒険者にとっては今までのいい稼ぎになってた場所が一転危険地帯に変わっちまうからね。毎日ゴブリン五体を狩るのを自分のノルマにして生活費を稼いで生きてるFランク冒険者なんかにとっては、そこに突然特殊な緑小鬼個体が現れたりしたら死ぬ可能性が高くなるだろう?」
「まぁ、慣れでまた通常の緑小鬼しか出ない、って思ってたら危ないね。ただ異常事態は常に警戒しておくのが冒険者だと思うけど」
「まぁ、確かにあんたの言う通りさ。一流になるには、それくらい分かってないとだめだ。ただ、低ランクのうちにそれを求めるのは酷ってもんだ。それに、異常事態と言っても緑小鬼の群の中に緑小鬼魔術師がちょろちょろいるくらいならまだなんとかなるかもしれないがね。そこにある日、緑小鬼将軍とか緑小鬼王が現れてみな。逃げることも出来ないで終了さ。いくら注意してても、低ランクである以上は限界ってものがあるからね。だからね、特殊個体の討伐は高ランク冒険者の……そう、義務みたいなものさ。ま、それが無理なときは特殊個体が確認された場所に行くような依頼のランクが上がってしまったりするんだけどね。その辺は流動的さ」
ミリーの言っていることは分かりやすい。
つまりは、冒険者同士の助け合いってことだ。
自分が低ランクのときには、上位の冒険者にそのような配慮をもらってきた。
そうである以上、自分が高ランクになったときには、同じようにして低ランクの冒険者に返していかなきゃならない。
そういうことだろう。
「ミリーも特殊個体の討伐をしたりするの?」
「ま、弱い奴ならね。それこそ緑小鬼魔術師が複数体、くらいなら面倒くさがらずにいくさ。でも、それ以上になるとね。おいそれとは行けないよ。そういうのはそれこそ、Bランク以上……ゴドー達の仕事さ。そうだ、聞いたよゴドー。ファミール墓所のあれをやったんだろ?」
ミリーがゴドーに話題を振るとゴドーは答える。
「あぁ……聖なる墳墓王な。あれはやばかったぞ。倒したけどな」
「それは?」
聞き覚えのない魔物の名前に、俺は首を傾げる。
「滅多に出ない、特殊個体の一匹でな。死者系魔物にも関わらず、聖属性を帯びている厄介な奴だ。治癒や回復は利かないから聖職者が倒せなくてな。ファミール墓所は聖職者連中のいい稼ぎところだからな。だから俺の出張となったわけだ」
「へぇ……どうやって倒したの?」
「地味に延々と斬り続けただけだ。再生力も耐久力もかなり高くてなぁ。何時間戦い続けたか……もうあんなのと戦いたくねぇぞ」
嫌そうな顔でそのときのことを思い出したらしいゴドーはそう言って手を振った。
しかしミリーがとどめを刺すように呟く。
「ハルヴァーンにいる限り無理だね。迷宮都市は迷宮だらけだからそう呼ばれるんだ。そしてそういうところには多くの特殊個体湧く……特殊個体の討伐は高ランク冒険者の宿命だね」
「ったく。嫌なこと言うんじゃねぇよ」
「本当に嫌ならハルヴァーンなんか出てけばいいのさ。あんたもお人好しだね」
「おまえもな」
そうして、ゴドーとミリーは顔を見合わせて物騒に笑い合う。
二人とも高ランク冒険者だ。
通じ合うものがあるのだろう。
夜の森の縁は静かで、風が吹くとさわさわと森の木々を揺らしていい音がする。
焚き火もゆらゆらと何かを映すように揺れていて、肉をじわじわとあぶっている。
良い時間だった。
けれど、ここはあくまで魔物の巣窟の横なのだ。
そのことを忘れてかけていたのは、俺だけだったのだろう。
ミリーがそのとき、耳をぴくりと動かして森の方を見た。
同時に、ゴドーも、そしてラルゴも見る。
「……うん。私が出るよ。あんた達はここで馬車の番をしてな」
「おい、大丈夫か?」
「この程度なら、問題ない。それくらい分からないあんたじゃないだろう?」
「言うじゃねぇか。分かった。何かあったら呼べ」
「あぁ、じゃ、またあとで」
そう言って、ミリーは森の方へとゆっくり歩いていく。
首を傾げる俺に、ゴドーは説明した。
「ま、危険は早いうちに排除してくってことだ」
「魔物が?」
「魔物じゃねぇな。あれは。鎧鼠の魔物馬車を狙うなんざ馬鹿のすることだが、そういう馬鹿だ。そういや、最近この辺りに流れてきた盗賊が根城を作ったから討伐しろって依頼を見たな」
顎をさすりながら思い出すようにそう呟くゴドーに、ラルゴが頷く。
「あぁ、そうらしいな。ただ、こんなところに根城をつくるなんてそれこそ馬鹿のすることだからな。それこそどっかの余所者だろう。魔物におそわれるか、冒険者に退治されるかしかないからな。俺が盗賊ならもっとハルヴァーンから離れた位置の街道沿いに作るぜ。北門の向こう側なんか良さそうだ」
「おい、あんたが盗賊になったら全員が良い武具を持ったふざけた盗賊団が出来るだろう。やめてくれ」
「はっ。冗談だっての」
ミリーが行ってから、ラルゴもゴドーも心配もしないでそんな風に談笑を続けていた。
それが、ミリーの実力に対する信頼なのだろう。
俺も彼らに従い、談笑を続ける。
しばらくしてミリーは戻ってきた。
そのとき彼女が言ったのは一言。
「弱いにもほどがあるね!」
それはいっそ憤慨と言っても良いくらいの口調だ。
ウォーミングアップにもならなかったと言って、ミリーはそれからすぐに寝てしまった。
朝になってからミリーのつぶした盗賊の数を数えてみたところ、十人を優に超えていて、全員が一撃で心臓か頭を弓矢で打ち抜かれて絶命していた。
これがCランクかと、改めて俺はその実力に感嘆したのだった。