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悠久の園  作者: カヤ
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早朝の異変

 どんな人でも毎日を生きる上である程度生活のリズムは決まっているだろう。朝起きて、朝食を食べ、大人なら仕事へ、子供なら学校へ、そして帰宅し、入浴し、夕食を食べて、寝る。朝起きる時間はそれぞれで遅い人もいれば、早い人もいる。起きるが苦に感じる人もいれば、何も感じない人もいる。


 葵は後者だった。


 毎日起きる時間は常に一定だったし、気持ちのいい朝日を浴びると爽やかな気分になる。


 葵は上下揃えたジャージを身に付け、朝日を眺めていた。


 朝日のオレンジ色の日光が自身の髪を染め上げ、冷たい空気が肌を刺す。春とはいえ早朝のこの時間帯はまだ肌寒い。完全に衣替えが終えるのはもう少し先になるだろう。


 葵は毎朝決まってこの時間に外へ赴く。葵の朝の日課は五時に目を覚まし、朝食をとり、朝日を眺め、植物に水をやることだ。今日の朝食はご飯に味噌汁、鮭の照り焼きほうれん草のおひたしというものだった。葵は専らご飯派で、朝食は毎日必ず和食と決まっている。日本人なら米を食べるべきだと全ご飯好きを代表して、心の中で雄弁していた。


 最後は植物の水やりだったが、これは一筋縄ではいかなかった。毎日五時という早い時間に起床しているのもこの水やりが理由だったのだ。


 葵は日光浴し終わると玄関を通り過ぎ、自宅の裏手へ回った。


 ポケットから使い込まれ、古びた鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。ぎぎ、がが、と錆びた音を撒き散らしながらかちゃん、と錠が外れ、ドアを開ける。そこにはビニールに包まれた二重引き戸があり、それを横に引いた。中は暖かい空気に満たされ、天井全体に敷き詰められた分厚いガラスを媒体として朝日の柔らかい日光が差し込んでくる。


 視界に飛び込んできたのは多種多様な植物の群れだ。


 緑色を基調として、赤、黄、茶色とりどりの植物が雑多に叢生し、乱立していた。大きさもまちまちで、人よりも小さな植物もあれば、見上げるように高い木もある。中は広く学校の校舎ほどあり、その中に植物が隙間なく植えられ、観賞用の遊歩道が申し訳程度に設けられている。


 葵はここの植物園の管理者だ。ここの植物園は葵で三代目で、創設者である祖父の日向健造は世界中の植物を集めるコレクターだった。外国に行っては珍しい植物を持ち帰り、ここの植物園に植えていた。鑑賞し飽きれば、また外国へ赴いて、同業者と交渉したり、譲ってもらったりなどしてここまで大植物園になった。祖父は亡くなるまで植物たちと触れ合い続けた。祖父の人生は植物に始まり植物に終わったと葵は父から聞いている。父はそれ程この植物園に興味はなく、しかし、放り捨てるわけにもいかなかったので、全てハウスキーパーの人に任せっきりだった。


 葵自身はこの植物園が好きだった。


 小さい頃から植物たちと過ごし、世話し続け、家族も同然だった。


 もう既に他界してしまった両親の代わりの家族と思い、過ごしてきた。


親戚内では変わり者扱いされていた祖父の植物を愛し、執着しま気持ちが葵にも解る気がした。



「……いつ来ても気持ちいいなここは」



 囁き、葵は園内に設立された一本の遊歩道を歩き、園の中心に向かった。


 緑のトンネルをくぐり、中心にやってきた葵は図らずも上空を仰いでしまう。


 そこには周りの植物など比較にもならない目立った植物があった。


 高さ自体は周りの植物と大差ないものの、装飾品のように身に纏っている花などが圧倒的存在感を醸し出している。


 この植物が植えられている区画は、小さな円形の池に囲まれ、その中の島に鎮座している。


 まるで玉座におわす王が周りの植物たちを従えているかのような、そんな感想を抱いた。周りの植物たちはこの圧倒的存在感のせいで意識していないにも関わらず、陳腐なものなものに見えてしまう。


 葵はこの植物が一番好きだった。


 王のように威風堂々として他者を圧倒する存在に葵は惹かれたのだ。学校でもおとなしい方である葵にとって自分には兼ね備わっていない代物だ。クラスでも目立っている中心人物には憧れるものがある。自分がひ弱な男子であるのは葵自身重々承知している。それに加えて趣味が植物の育成となればさらに女々しく感じられる。だが自然が好きという気持ちを偽ることはできない。


 この植物は祖父がどこかの国で安く買ったものらしく、それがここまで大木に育ったものだから祖父としても儲けものだっただろう。


 そして祖父はかなりの資産家だった為、幸いお金に困ることはなかった。おそらく死してなお、この植物園を残して置きたかったのだろう。両親が早くに亡くなった葵としては僥倖ともいえた。ここまでの規模になると、維持費だけでも莫大な金額を必要とするのだ。


 ここは基本的には一般公開していない。祖父が植物を荒らされるのを嫌がった為だ。入出を許可されたのは祖父の心を許した友人だけだった。葵もそれに倣い、一般公開は控えてあるが、見学希望者がいればそれを拒む理由もないので、見学を許している。ここには世界的に有名な植物から見たこともないような植物が多種存在している。故に有名大学の教授も訪れ、研究させてほしいとの申し出もあったらしい。


 だが祖父は頑なにそれをよしとせず、死ぬ最後まで見せようとしなかった。


 植物園と言えば日本では市民たちの憩いの場、観光施設などのイメージがな強いが、本来は学術研究の視点で収集された植物、花卉、樹木などを生きたまま栽培保存し、押し葉標本などの標本類を保存するための施設である。


 世界最古の植物園は古代エジプトのアレクサンドリア図書館に隣接していたものといわれている。そこでは薬草として利用するために種類ごとに、採集、分類して栽培されていて、現代の植物園の定義と精通していることがわかる。


 大航海時代になると、それまで近隣の植物しか採集できなかったのが船を経由し、世界中の植物が集められた。世界各地に植民地が拡大していく中で植物学研究は飛躍的進歩を遂げ、学術的な意義だけでなく、当時の権力者の権勢の証にもなった。


 つまるところ植物園は歴史的背景から重要な意味を成していたのだ。


 葵の家にある植物学の本にはこう記されてあった。


 葵の家にはこういった植物学の書物に始め、栽培方法のノウハウ、植物学史など、植物に関する書物が多数ある。その中には英語で記されたものもあり、葵には半分以上も理解できていなかった。


 葵は見上げていた頭を下ろし、視線を木の根本に移した。


 そして奇妙なものが目に焼き付いた。


 木の根本に少女と思わしき人物が立っていた。


 年は身長から察するにおそらく9歳前後、腰まである長い白い髪に緑と茶色が混じった、言わせてもらえば、珍妙なワンピースを着て、あの木を臨んでいた。


 少女はこちらに気付いていないのか、ずっと見続けていた。


 永遠ともいえる長い時間、いやあるいはまばたきをするよりも短い時間だったかもしれない、それまでの沈黙を破り、少女が唐突にこちらを振り向いたのだ。


 まだ幼さが残る顔。ぷっくりと膨れた頬。淡い小さな灯火が光るエメラルドグリーンの瞳。この世の美しさとは思えない美貌がそこにあった。そして幼さと共に、消すことができない妖艶さが滲み出ている。


 少女はじっと葵を見つめていた。葵は固まった足を地面から引き剥がし、一歩前へ進んだ。



「ねえ君、いったいーーー」



 言葉を続けることはできなかった。


 葵の視界にひらひらと舞い落ちる木の葉が散見した。だが、今は窓は閉め切っており、風が入ることはない。樹木が揺れ動くことはないのだ。


 しかもどいうことか葵の頭上の樹木のみ揺れ動いていた。


 葵の目に頭上の植物から落下した木の葉が入り、鋭い痛みを感じ、咄嗟に目を瞑ってしまった。


 その目を擦りながら開けてみるとそこには少女の姿はなかった。


 目を瞑ったのは一瞬だった。その間に少女は煙のように消え去ってしまった。


 後に残ったのは朝焼けの清々しい気分と困惑の二重奏だった。



「何だったんだ……?」



 どこかで朝を告げる鶏の鳴き声が聞こえた。

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