第24話 閉廷
蹴とばされて床に転がっていたハートの王様が、のそのそと身を起こした。
衣に付いた紙屑をぽんぽん払い、静かに口を開く。
「……そう、いじめてくれるな。
これは時代が進歩しても、人々の心が追いつかなんだ証なのじゃ。
権威は、恐怖の衣をまとい、時に専制の仮面をかぶる。
だが恐怖はやがて畏怖に変わり――畏怖はやがて、尊敬へと変わっていく。
それには時が必要なのじゃ。」
そのとき、テーブルに落ちていた一枚の小さなトランプが、ふわりと宙へ浮いた。
カードの面には歪んだハートの女王の顔。
だが次第に輪郭がやわらぎ、皺の間に穏やかな光が宿る。
いつしか肖像は、現代のエリザベス女王の落ち着いた微笑へと変わっていた。
「……これが、時代の積み重ねで辿り着いた君主の姿……」
真理が息をのむ。
アリスはうなずき、静かに言う。
「恐怖に震える存在から、穏やかに見守る存在へ。女王が変わったんじゃなくて、人々の心が成長したの。不思議の国の『首をはねよ』も、その成長の途中の影なのよ。」
ホームズが短く補う。
「制度が進歩しても、人の心が追いつかねば専制は形を変えて現れる。だが時と歴史がそれを磨き、やがて権威は象徴となる。――この国が辿った道だ。」
(……ナンセンスな裁判も、人の心の歴史を映す鏡だったんだ。)
真理は胸の内でそっとつぶやいた。
黒いスーツのマイクロフトが、王の耳元に身を寄せる。
「陛下、時が参りました。議会が始まります。」
ハートの王様はのそのそと立ち上がり、重たい足取りで前へ進む。
手には――小さくなったハートの女王のトランプ。
まるで宝物のように、大切そうに握りしめている。
ふと立ち止まり、カードを見つめる王の横顔は、どこか優しい追憶に照らされていた。
そして王は思い出したように裁判槌を高々と掲げ、
「コン!」
と一度だけ叩く。
「――無罪放免。」
アリスと真理は目を見合わせ、深く息を吐いた。
陪審員は紙束を放り出し、帽子屋たちは「お茶に戻ろう!」と跳ねる。
張り詰めていた空気が、一気にほどけて庭へ風が通った。
マイクロフトが静かに一礼して言う。
「ご苦労、弟。」
ホームズはパイプをくわえたまま、興味なさそうに片手をひらひら。
「……ふん。法廷ごっこも、まあまあ退屈しのぎにはなるな。」
喜び合う真理とアリスを見つめながら、探偵は静かに席を離れた。




