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第17話 剣と薔薇

 ジャバウォックの奇声が耳を裂き、真理は思わず耳をふさいだ。


「人間はなぜ、心の奥底にこんな恐怖や混沌を抱き続けるのでしょう? 不合理に思えます……」


 太郎は烈火のごとく応じる。


「不合理こそ人間の証だ!!

 合理だけで生きられるなら、人間はただの機械だ!

 理解できないものを抱えて苦しみ、もがく。

 その矛盾の中でこそ、人間は生きていると叫べるんだ!」


 そして、言葉の最後を刃のように研いだ。


「芸術は合理じゃない!

 生きる力も、愛も、怒りも――全部、不合理だ!

 それを押し殺したら、人間は死んだも同じ。

 だからこそ心は『怪物』を生み続ける。

 それは呪いじゃない、命の爆発だ!!」


 真理は一歩前へ出る。

 震えが足から去っていくのを確かめるように、深く息を吸った。


「……では、この怪物も、あるがままに混沌として存在していいと?」


 太郎は両腕を大きく広げ、真正面から頷く。


「そうだ! 存在していい!

 だがな――それに怯えて縮こまるのは死んでるのと同じだ!

 怪物は叩きつけろ! 抱きしめろ! 乗り越えろ!

 あるがままの混沌に真正面からぶつかるとき、人間は初めて生きるんだ!!」


 真理の手には、いつの間にかヴォーパルの剣が握られていた。

 冷たい重みが掌に食い込む。


「……シナリオ通りに動くな、ですよね。」


 彼女は小さく呟くと、振りかぶって――剣を遠くへ放り投げた。

 からん、と金属音が草のなかに消える。

 太郎が目を見開く。

 だがすぐ、口元を吊り上げた。


「ほう……面を食うわ!」


 怪人は、狂喜の表情を張り付けたまま叫ぶ。


「だが――そこで他人に意見を求めるようでは、まだまだだな!」


 真理は苦笑し、肩をすくめる。


「……はい、わかってます。」


 刃向かう相手を失ったジャバウォックは、しばし空を仰いだ。

 大きな翼が一度だけはためき、風船みたいにふわり、と軽くなる。


「Fruuum…iousss……?」


 輪郭がさらに曖昧になり、霧の層を抜けて青空へ――ゆっくりと、小さく、小さく。

 炎も叫びもなく――ただ不思議な静けさだけが残った。

 アリスは両手を合わせ、にこっと笑った。


「よくできました。ナンセンスは、あるがままでいいってメッセージでもある。ね、もう少しだけ世界が広く見えるでしょ?」


 その背後で岡本太郎は両腕を大きく広げ、胸の底から声を突き上げた。


「芸術は──爆発だッ!!!」


 眩い閃光。

 轟音。


 炎ではない、色とりどりの絵の具のしぶきが空いっぱいに花開く。

 しぶきはきらめきながら降り、太郎の輪郭はそこへ溶け込むように淡くほどけていった。


 やがて絵の具は粘りを帯び、雫となって落ちる。

 ――絵の具の飛沫は、いつしか本物の赤いペンキになっていた。


「……え?」


 足もとが、ふいに固い石畳へ変わった。

 城の庭園だ。


 生け垣の向こうに立派な薔薇の木が並び、どれも咲き誇っている。

 ……一本だけ、白い薔薇の木の前がざわついていた。


 ハートの二と五と七――トランプ兵が三人、慌ただしく筆を動かしている。

 白い花びらに、さきほどの赤いペンキをせっせと塗り重ねていた。


「……赤い薔薇と白い薔薇って、イギリス王家の比喩なのよね。」


 真理がつぶやく。

 アリスは頷き、少し真剣な顔になる。


「そう。昔、薔薇戦争っていう大きな内乱があったの。赤い薔薇はランカスター家、白い薔薇はヨーク家――二つの王家が王位をめぐって、何十年も争い続けたのよ。」


「なるほど……」


 真理は、トランプ兵の背中越しに白から赤へと変わる花びらを見つめた。


「じゃあ、この白い薔薇を赤に塗るってのは、植え間違いの隠蔽ってだけじゃなくて……イギリス史の血の上塗り、みたいな風刺でもあるのね。」


 アリスは小さく笑い、肩をすくめる。


「キャロルはナンセンスを書いたけれど、その奥にはちゃんと歴史の影があるの。

 女王さまに首をはねられないために慌てる庭師たち――でも、その姿こそ、戦乱の記憶を薄く塗り隠して見栄えだけ整える社会の習い、そのものかもしれないわ。」


 ちょうどそのとき、ハートの二が筆を滑らせ、真っ赤な雫が一枚の花弁からこぼれ落ちた。

 石畳に点った円は、遠い昔の血潮のようにも、ついさっき空から降ったペンキの滴のようにも見えた。


 アリスと真理は顔を見合わせ、そっと息をつく。

 庭園には、塗りたてのペンキの匂いと、どこか不穏な歴史の気配が混じり合って漂っていた。

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