第14話 幻獣と第六天魔王
城塀を越えると、砂地の広場に椅子が一脚。
その背もたれに、巨大な翼と獅子の胴を持つグリフォンがふんぞり返っていた。
首には古めかしい学位帽、胸からは延々と論文リボンが地面に尾のように垂れている。
「こほん。余は栄光ある○○学会終身名誉主席教授であるぞ!」
グリフォンは顎をそびやかし、羽根を一度だけ見せびらかすように打った。
「我が学識は千の論文と万の注釈に裏打ちされておる。若輩者は黙って拝聴しておれ。」
真理は思わずノートを取り出したが、隣のアリスは眉をひそめる。
「では講義を始める。」
グリフォンは胸を張った。
「海のロブスターの舞踏の様式! これぞ高等教育の真髄である! まず前進二歩、後退三歩、横に一回転──これを理解できぬ者は文明人に非ず!」
「はぁ……」
アリスはため息をついて、真理の耳元でささやいた。
「見た目は偉そうでしょ。でも中身は空っぽなの。神話ではグリフォンって高貴な守護獣だけど、ここではへらへらしてる。
それ自体が貴族的権威や伝統の肩書きへの皮肉だと思っていい。」
グリフォンは話を続ける。
「次に海面礼。礼を尽くしてから、砂の上で仮定命題を三度唱え──」
アリスは肩をすくめた。
「つまり虚飾の学問や伝統の講義が、実際には空論で役に立たないって風刺。」
グリフォンは咳払いをして、リボンをさらに引きずった。
「なお、注釈は七万八千三百四十一──」
「最後にね。」
アリスは小声でまとめた。
「作者のキャロルはオックスフォードの学者だったから、古典教育が形式ばかりで空虚になる瞬間をよく知ってたの。
グリフォンという古代ギリシア由来の幻想動物をわざわざ出しておいて、結局ナンセンスな踊りの講義で終わらせる。
つまり空虚な権威と伝統教育を、やわらかく笑ってるの。」
真理はノートを閉じ、広場の風に揺れる長いリボンを見た。
「……たしかに、肩書きや注釈の数より、中身だね。」
「こほん!」
グリフォンが椅子から飛び降り、翼で砂をはね上げた。
「では余みずから、前進二歩、後退三歩、横に──」
「横回転は要らないわ。」
アリスは笑って手を振る。
「まっすぐでいいから、ね?」
グリフォンは不満そうに喉を鳴らしつつも、二人の前を歩き出した。
翼の影が、からっぽの威厳の形を砂地に長く伸ばしていった。
真理はため息をつき、椅子にふんぞり返るグリフォンを見上げた。
「今度は……無意味な権威主義者かあ。織田信長が一番嫌いそうなタイプね。」
アリスはいたずらっぽく微笑み、両手を打つ。
「じゃあ、呼んでみましょうか──えいっ!」
まばゆい光の幕が裂け、南蛮風の甲冑をまとった男が歩み出た。
鋭い眼光、背筋はまっすぐ、口元には薄い笑み。
「なんだ、おみゃあ。えらそうに肩書きばかり並べおって。」
男は横目でグリフォンを一瞥した。
「役に立たん権威ほど腹の立つもんはないがや。」
戦国の覇者、織田信長その人である。
グリフォンは羽をばたつかせ、声を張った。
「け、けしからん! 我が学説は千年の伝統を誇るのだ!」
信長は刀の柄を軽く指で叩き、鼻で笑う。
「伝統だけじゃ国は動かんて。中身が空っぽなら、いくら名札を積んでも風で倒れるわ。」
にらみ合いの空気に、真理は思わずつぶやいた。
「わ……本当になんでもありね、この世界……」
アリスは胸を張り、にこっと得意げに笑う。
「ふふん、そうよ。私が呼べば誰だって来るの。で──このヒゲのおじさんは誰?」
真理は歴史好きの文学部生らしく、手短にまとめた。
「織田信長。
十六世紀、日本の戦国時代に天下統一を進めた武将。
合理主義で新しいものをどんどん取り入れる革新派。
気に入らない権威や古いしきたりは徹底的に壊した……そんな人物ね。」
戦国武将の横顔を眺めながら、慎重に言葉を選ぶ。
「もともと信長さんの家は尾張の守護代に仕える分家筋で、その中でも代官の代官みたいな立場。」
「じゃあつまり……太守の陪臣の、そのまた陪臣なんだ!」
アリスは両手を合わせて目を丸くした。
グリフォンは翼を大きく広げ、鼻で笑う。
「ほう、卑しい出自ではないか! 陪臣の陪臣風情が天下を狙うなど無礼千万! 血筋と伝統こそ正義! それ以外の者は永遠に下働きでおれ!」
むっとした真理が信長に問いかける。
「だから、信長さんみたいな権威を無視する改革者が現れたんですよね。」
信長はぴしゃりと手を振った。
「ちゃうわ。わしはただの反逆者やないて。」
低く落ち着いた声が、砂地に吸い込まれていく。
「わしはな、室町の将軍・足利義昭を奉じて上洛したんだわ。
形だけやなく、本気で室町幕府の威光を取り戻して、この国をもういっぺんまとめ直そうと思っとった。
……けどな、義昭が自分の欲に走ってまって、結局は決裂よ。
わしが権威を壊したんやない。
権威のほうが、自分で崩れていったんだて。」
グリフォンは言葉に詰まり、論文リボンをいらだたしげに踏んだ。
風が吹き、古めかしい学位帽の房がカラリと鳴る。




