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第13話 割れる卵

 真理は城壁をじっと見上げ、ぽつりと言った。


「ヴィクトリア朝のイギリスでも、『自由』や『人権』って新しい言葉だったのよね。──この卵みたいな人たち、当時の偉い人たちは、どう受け止めたのかしら?」


 アリスは静かに頷き、やわらかな声で答える。


「最初は、とても乱暴に扱われたの。

 『自由』は王さまや貴族には秩序を壊す危険な言葉。

 『人権』は下層の人が自分の分を求めるための武器。

 だから保守派は危険思想として恐れて、市民や労働者は、希望の旗として掲げたの。

 同じ言葉でも、誰が使うかで意味が変わったのよ。」


 アリスはくすっと笑い、壁の上を見上げる。


「つまり──『自由』も『人権』も、ハンプティみたいに偉そうな人には混乱の種。 

 でも普通の人には、未来を開く魔法の言葉に聞こえた、ってこと。」


「『自由』とは、下々が黙って上に従うことだ!」


 卵男は仁王立ちになり、声を張り上げた。


「『人権』とは、身分ある者だけに与えられる特権のこと! 言葉は力ある者が好きに定義すればよいのだ!」


「笑止千万!」


 福沢がきっぱりと声を上げる。


「自由とは誰もが生まれながらに持つ権利、人権とはその証明である。特権と呼ぶその姿勢こそ、文明の敵だ。」


 真理も口を開いた。


「でも実際には、『自由』も『人権』も立場や状況によって揺らぐから。だからこそ、議論を重ねて共通の理解を、ゆっくりと適切に育てていかないといけないんですね。」


 アリスがうなずく。


「そう。言葉の意味は一人で決めるものじゃない。言い合うことで、初めて社会に溶け込んだ生きた音節になるの。」


 福沢が重ねる。


「言葉は議論によって磨かれる。多事争論こそ、人間社会の知の力だ。」


「や、やめろ!」


 ハンプティは顔を真っ赤にし、耳をふさぐ。


「言葉は私が決めるんだ! お前たちのような下層の声に意味などない!」


 目をぐるぐる回し、足が縁を踏み外す。


 どんっ!


 ――ぱりん!


 殻が粉々に割れ、黄身がじわりと石畳に広がった。

 アリスはそっと息を吸い、どこか子守歌のような調子で口ずさむ。



「ハンプティ・ダンプティは塀の上。

 ハンプティ・ダンプティは落っこちた。

 王さまの馬と王さまの兵、

 もう二度と元には戻せない。」



 真理は深々と頭を下げた。


「福沢先生のこと、誤解していました。……でも、今日ここでお話を伺えて本当に良かったです。」


 福沢は小さく笑い、肩をすくめる。


「ふむ……私は口も悪く、問題点も多かった。だから後世に誤解されるのも仕方ない。だが――『議論を絶やすな』という一点だけは、どうか忘れるな。」


 言葉と同時に、その輪郭が薄れていく。

 襟元から袖口へ、硝子が溶けるように透け、やがて肖像の面影だけが残った。


「……学問も文明も、それでようやく進む。」


 ふっと声だけが空気に触れ、次の瞬間、一枚の紙片となってひらり。

 札は真理の手のひらに収まり、彼女の胸ポケットへ静かに滑り込んだ。


 視線を横にやると、石畳には割れた殻と黄身が散らばっている。

 いつの間にか現れたトランプの兵士たち。


「おっとっと、またやっちまったみたいだぞ、卵閣下は。」


 口々に言いながら、手際よく担架へハンプティを載せていく。


「もっと、そっと運ばんか!」


 情けない声が殻の隙間から響き、トランプたちは「はいはい」と器用に足並みをそろえた。

 その様子を見て、アリスはケラケラと笑う。


「ほらね! 不思議の国じゃ、誰もが好き勝手にしゃべって、割れる卵は割れるし、お札の先生は紙に戻るのよ!」


 真理は苦笑しながら、胸ポケットを軽く押さえた。


(不思議だけど……確かに議論の力に触れた気がする。)


 アリスの笑い声が、空っぽになった城壁に軽やかに反響し、風に乗って遠くへ流れていった。

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