不加虐
イかれた奴は意外と身近にいる。
「が、はっ……?! 」
立とうとした時にはもう遅かった。
俺は、絶えず響く心臓の鼓動より速く、壁際に吹き飛ばされた。
背中に走った衝撃で、脳に正気が回らない。
眩暈がヤバい。ちかちかする。
それに、視界いっぱいに赤が。
どうやら俺のスピードについていけず大事な物が辺りに、散らばったらしい。
『君だけの物じゃない。…くそ…油断していた。…すまない。無能の極みだね。これでは。』
やけに親身な『声』を聴き流しながら、辺りを見回す。
どうやら、追いやられたのは俺が来た方向とは逆なようだ。
周りには土に紛れて食い散らかされた何かの肉と、何故か赤く染まったビニール傘。
『』
そんなことは、今はどうでもいい。
上から流れてくる血で前が見えない。
それを拭いながら、傘を手繰り寄せなんとか立ち上がる。
「…………』
足音は聞こえない。
意味が分からん。
とどめを刺すならこれ以上のチャンスはない。
『思考は生きていればいつだってできる。死に体の君にはそんなこと!。』
視界から一度、奴を外した。
体はもう、使い物にならないのを証明した。
今から俺を殺すのだから。
ならば、嘲りの一つもあっていいはずなのに。
「………………』
体の痛みより、沈黙を貫く歪さが気に入らない。
「おい、てめえ?! 」
『ここから逃げるべきだ。今すぐ!蛮勇に駆け込むべきじゃない!。』
傘を支えに突き進む。
「いってぇ……」
足を死地に向けるごとに、激しい神経信号がここから逃げろと警告してくる。
『落ち着くんだ。今はまだ、戦うべきじゃない。』
……うるさい。
今日一日で、俺の価値は随分と暴落した。
このまま路地裏のゴミのように、打ち捨てられてなるものか。
俺の額から流れ出る赤が、激しい興奮を誘ってくる。
鼓膜に響く軋む音は、骨か、歯か。
どちらでも構わない。
もう時期全てがどうでも良くなる。
自販機の光が強くなってきた。
奴はまだ動いていない。
後、15、16メートルで全てが決着する。
「おい、てめえ!! 必ずぶっ……」
最後に一つ、殺してやると口にしようとして、
痛みも忘れて空いている方の指の先で、目蓋に入った血を拭う。
……見間違いじゃない。
そこには、確かな非現実感が自販機のネオンに照らされていた。
生えている。目、口、人間に搭載された隙間という隙間から左右上下にあるはずの物が、びっしりと。
『余計なことは考えなくていい。今は……』
今度は、ドスンと後ろで大きな音が鳴った。
どうやら魂が抜かれるよりも早く腰が抜かれてしまったらしい。
奴は、勇気の破片を踏み砕くのが目的かのように、手足達を遊ばせながら俺の居る方向に進み出した。
近づく事に嫌というほど分からされる。
顔だけじゃない。
体中の隙間から小さな手足が……
まるで、腐肉で踊る蛆虫のようだ。
「ひっ、……え……く、くぅる、な」
そういえば、喉が渇いた。
奴の歩きは緩慢だった。
そういえば、腹が減った。
奴の方から腐った肉の匂いがする。
そういえば、ソシャゲのログボを受け取ってない。
見たくない。
そういえば、奴との距離はもう自販機2台分しかない。
そういえばそういえばそういえばそういえばそういえばそういえばそう、『カット』
『良い加減落ち着くんだ!。蛮勇はどうした、現実を見ろ!。このまま、むざむざ殺されてやって良いのか!。』
逃避を狂気に引き戻される。
言い、訳がない。
このまま、むざむざ殺されるなんて許されない。
俺の積み重ねた記憶の一つ一つが、完結を拒んでいる。このまま全てを運命に委ねることは、
良いわけがない。
『なら、とっとと立つんだ。明日から素敵な面倒事がボク達を待っている。こんな雑魚に、遅れをとっている暇はない。それに、まだコーラを飲んでいないだろう?。』
その単語を聞いて、俺の狂気は爆発した。
業腹だが、頭に響く面倒事の極みのような『声』の挑発に、乗ってやることにする。
奴はもう目の前だ。
生えまくった手足がこちらに来いと手招きしているのが見える。
もう一度、傘に力を入れ立ち上がる。
「どうするよ……イキッたはいいが打開策がねぇ。……傘で突っついて見るか? 」
目でもついてりゃ良かったんだが、顔に手が生えすぎて、どこら辺が目か分かったもんじゃない。
てか、どうやって視界確保してんだコイツ。
『それよりも、良い手があるんだけど、使う?。』
予感がする。青春全てを捧げることになるだろう。これは悪魔の誘いだ。応じたら最後、きっと真っ当にはもう生きられない。
けど、面白そうだ。
ウゼェ奴が死ぬのは。
「有るんだったら、とっとと使わせろ」