ランボーイラン
いつから人は、雨の中傘を差さずに歩いているだけで、指を指されるようになったのだろうか。
走った。
死に物狂いで、行く当てが無いのに。
走った。
何かに追われているわけでも、きっとないのに。
走った。
ただ全力で、アスファルトを蹴り上げながら。
「はっ、はっ、あぎっ、えぐ、はっ、はっ、くそ」
風に混じって、何かが俺の頬を打ってくる。
急に走ったことによる心臓の驚愕に混ざって、何かが俺の心を占めている。
それでも走りは止めない。
トラックが突っ込んでくるその時まで。
『ここ、歩道だよ。死にたいなら車道だね。』
酸欠による思考低下だけじゃない。
確かに俺の頭に居る何かが、考えることを邪魔してくる。
『一旦、落ち着こうよ。良くあることだよ。やっぱ合う合わないは、生き物の常だし。』
脹脛が先に根を上げた。次に股関節。
いたる所の軟骨が、擦り減っているのを感じる。
前、前前前前前前前前。
信号が見えた。
まるでここで止まれと言っているかのように、赤く光っている。
否、正確には点滅している。
「くっそ―! 青に変わるんじゃねぇ! 」
思わず悪態が噴き出る。
何人かの通行人は、きっと白線の上を走りながら叫ぶ俺を、怪異かなんかと思っただろう。
暫く走っている内に、段々と景色が変わってきた。
薄暗く、そして肌寒い。
まるで、何かに遮蔽されているかのように光は消えた。
俺は、今ビルとビルの隙間、裏路地を走っている。
暫く走っている内に、薄ぼんやりとしたネオンが見えてきた。
全身のまともな部分を粗方使い切った俺は、誘蛾灯に引き寄せられる羽虫のように、光源に向かった。
「はっ、はっ、はっ、……はぁ、はぁ、はぁ、あっイッ」
体に籠った狂躁はもうない。
それを指し示すかのように、俺の体は地面に投げ出された。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、良し……」
なんとか這いずってコンクリートの壁を支えに立ち上がる。
見慣れた視界が戻ってきた。
驚きだ。
まさか吸い寄せられた光が自販機だったなんて。
「はぁ、はぁ、はぁ、……ふざけてるだろ。こんなの」
『止まらないで。歩きながら息を整えよう。水はあそこで手に入るから。…それまで耐えるんだ。』
声に言われるがまま、
荒い吐息を周囲に撒き散らしながら、生まれたての子鹿のように、ふらつきながら光源へと向かう。
場所が場所なのもあるのだろうが、随分と薄気味悪い。
生き物の往来すらないのか、空気が濁り切っている。
足を踏み出すごとに積もった塵が、空気に飛び交うような閉塞感に、思わず右手で胸を掴んだ。
光が強くなってきた。
「み、水、このままだと死ぬ……」
がしゃんと、10分前の物より大きい何かが落ちる音がした。
俺だ。
俺は、目の前の自販機に縋りつくように倒れ込んだ。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……あは、あははは」
驚きだ、笑いが止まらない。
もう残ってないと思っていたのに、目から水が絶えるどころか溢れてくる。
『良いかい拓人。まずは、水分を補給することだけ考えるんだ。それだけ考えるんだ。』
水………こ、コーラ……
『違う、違うよ。スポーツドリンク。財布からお金を出して。』
分かった。
俺は、財布から小銭を……「しまッ」
言い切るよりも早く500円玉は、自販機の下に落ちてしまった。
小銭を拾うために屈む。
暗くて、良く見えない。
仕方が無いので右手を突っ込んで、漁ることにした。
「くそ、くそ、こんな日に限って」
暗がりを撫であげるたび小石らしき物が手の平に突き刺さってくる。
『闇雲に探しても余計、疲れるだけだ。スマホの明かりで一旦照らそう。』
見たくない。
断じてそれは、双葉からどんなメッセージが来てるかなんて考えたくもない。
思わず撫であげる速度が早くなる。
見つけないと見つけないと喉が渇いた。
見つけないと見つけないと腕に余裕がもうない。
見つけないと見つけないと鉄が頭に当たって痛い。
見つけないと見つけないと見つけないとみつけ
ぬちゃり
「ひっ……………」
思わず右手を引っ込めてしまった。
小石じゃない、なんだかぶよぶよしたものに触ってしまった。
うすら寒いネオンを全身に浴びながら手の平を目に近づける。
『………は?。』
薄ぼんやりと手の平に赤が見える。
ありえない。
思わず手の平を親指で擦った。
ここにあっていいわけがない。
確かな質感を持って触覚と嗅覚に、不愉快さが届く。
これは……見覚えがある。
俺の中に、嫌、生物の中に絶えず順動する俺達の生命線。
肉の中にあるべき物。
「生き物の……」
『今すぐ立って!逃げるんだ!。」
頭がそれを理解するよりも早く、体がそれを教えてくれた。