メントス
大雨の中わざわざ外に出る奴は、バカだ。
「起きて、起きてちょうだい。どうなってるのよ全く。意識ってそんなに薄くなる物なの? 」
聴き馴染みのある凛とした声に、心の白紙を埋め尽くされる。
「うるせ……エ? 」
視界の先には、巴が腕を組みながら、椅子に座る俺を学習机越しに見下ろしていた。
「あ、え、……は? 」
理解が追いつかない。
ホームルームは始まったばかりなのに、なぜ当たり前のように目の前にいるんだコイツ……
「なぁ、なんで俺の目の前に居るんだ? 」
巴は、胸下で組んでいた腕を解いて、左頬を右手で掻いている。
まるで、イかれた奴を刺激しないよう、言葉を選んでいるかのように。
「そりゃあ放課後だからに決まっているじゃない。……朝のあれ、また起きたの? 」
放、課後……
周りを見れば担任どころか、周りのクラスメイトの姿すら見えない。
……校庭ではジャージに着替えた部活生が、汗水垂らしている。
「なぁ、今何時だ? 」
『自分で確認しなよ』
「午後3時48分。ズレは無い筈よ。設定とかあんまりイジんないから」
私は関係ありませ〜ん。とでも言いたげに
右手に持ったスマホを、シャカシャカ振りながら、画面を見せてくる巴に思わず、
「あ、も一つ悪いお知らせね、貴方が教室に入ってくる所。誰も見てないって。まぁ、これに限って言えば、貴方の日頃の生活態度じゃない? 私も、結局思い出せなかったし」
他人事のように振る舞う巴に苛立ちが隠せない。
『実際、他人事だけどね。』
「なぁ、俺ってさ、今日以外もちょっと変なんだよ。それでも、必死にやってんの。心配してんのか。バカにしてんのか知らないけど。……悪い。いっぱいいっぱいでさ。だから、」
『放っといてくれ』
そう言いきる前に俺は、机に突っ伏した。
記憶が消えたり、知らねぇ『声』が頭の中で響いたり。
どれだけ真っ当に生きようと思っても、くそみてぇな面倒事に巻き込まれて、全部パァになっちまう。
『……』
「巴にも当たっちまったし、明日から気まずくなりそうだな」
腹に溜まった不満を吐き出すように目を瞑って、深く体を後ろに反らして伸びをする。
頭上には、いつもと変わらない殺風景な見慣れた天井。
昨日まで圧迫感を感じていたそれも今は、俺に寄り添ってくれているような気がする。
変わらないって良いものだな。
『そんな物はないよ。』
「あーあ。せっかく心配してくれたのに。呆れてどっかに行っちまったんだろうなぁ」
「……」
「まぁ……一旦家に帰りますかね」
ぶつくさ言うなら見慣れた天井の下が一番良い。
どうせなら家に帰る時の記憶も無くなれば良いのに。
『流石に、手を抜きすぎだよ。』
……
取り敢えず、机の横に引っ掛けていた、鞄の紐を手に取って。
机を、蹴り飛ばす勢いで立ち上がる。
『急に立つと危ないよ。』
視界が急速に上昇するなか、そこには見慣れた黒髪が。
「あら、もうお家に帰るの? 」
「……返ったんじゃなインスカ」
「さすがにそこまで野暮じゃないわ。……今の貴方を放っておいたら、私が気まずいもの」
と言う事は?
俺がぶつくさ言ってる間も待っててくれたと言う事は?
「ハァ……仕方ないから一緒に帰ってあげる。貴方達のお家、確か、校門出て右側よね。」
ですよねー
良し、今日の不幸はもうどうでも良い。
巴がなんで俺の家の場所を知っているとか。
その他諸々、どうでも良い。
女の子と、一緒に下校。
めくるめく青春の1ページ。
「口から涎が出てるわよ。それと、近くの自販機でコーラ買ってきて。なるはやで、私は靴箱の近くで待っているから」
そう言って巴は、俺の了承を得る間もなくスタスタと教室を出て行ってしまった。
『ここから一番近い自販機は、中庭だね。』
現在、俺は中庭に来ている。
「コーラ……コーラと」
自販機のボタンを押すと、がしゃんと大げさな音を立ててお目当ての物が落ちてきた。
……残念ながら、2回とも抽選は外れてしまったようだ。
『今んとこ、真っ当なんだし良いんじゃない。』
赤いのか黒いのか聴いてなかったから1本ずつ。
選ばなかった方を俺が飲めば良い。
俺は2本のコーラを、なるべくキャップ部分に触れないよう丁重に靴箱へと運んだ。
ランデブーポイントに近付く事に巴の話し声が聞こえてくる。
学校の奴らは、部活やってる奴を除いてみんな帰っている筈なのに。
黒い方のラベルを、思わず力強く握ってしまう。
俺は、それを誤魔化すように歩みを進めた。
「先輩、いつも至らぬ兄のお世話ありがとうございます」
あの煩わしい短めのツインテール、人工甘味料、あの声は。
靴箱の近くで巴が話していたのは一人の女子生徒。
我が妹、一条双葉だ。
え……なんで。
「先輩ごめんなさい〜 いつもアイツの面倒みてもらちゃって」
は? いつも
「気にしないで。可愛い後輩の頼みだもの。最近、周りの目がムカつくけど、全然平気よ」
『雲行きが怪しくなってきたね。』
「本当に大丈夫ですか? 兄に嫌なことされたらぶん殴っても良いですよ。巴さんなら、妹権限で許しちゃいます」
知らねえよ。どんな権限だよそれ……
「ふふ。今コーラを買ってきて貰っているの。こんな事ならもう一本頼んでおけば……あら」
柊巴はやっと、俺に気づいたようだ。
「盗み聞きなんて感心しないわね。全く、少しは双葉ちゃんを見習ったら? 今まで職員室で、授業で分からなかったところを、教えて貰っていたそうよ」
だろうな。昔から俺と違って要領良いもんなコイツ。
「ぼさっとしてないで、とっととコーラを渡しなさい。おぞましい、貴方の体温で温かくなったコーラなんて飲みたくないのに」
……痛い。
「お兄ちゃんお疲れ〜顔色悪いけど、大丈夫そ? あ、もう一本のコーラ頂きま〜す! 」
…………手が痛い。
「早く靴に履き替えてよ。荷物も持って。それと後ろを歩いてね。邪魔されたくないから」
……………心が痛い。
「ぼさっとしないでしっかりして、ハァ……貴方の御両親もさぞかし苦心されているでしょうね。生まれてくるのが、逆だったら良かったのにって……」
『』
「さすがに言いすぎですよ〜 まぁ実際、言ってましたけど〜 」
……………………………………………………………『』す。
「そうでしょうね。あ、そうそう彼、今面白いことになっていてね。私も……あ、ちょっと」
女が何かを言い合える前に俺は、何かが吹き出したかのように、何処かに向かって走り出した。