第8話
「よう結城、今日添島たちとカラオケ行くんだけど一緒にどうだ?」
放課後、帰り支度をしていると漆原が声をかけてきた。
漆原というのは俺の幼なじみで、幼稚園からの腐れ縁でもある男子生徒だ。
「悪い、今日は文芸部に顔を出さないと。提出するものがあるんだ」
「なんだそうなのか、そりゃ残念だな~」
意味ありげに笑いながら言う。
「なんだよ、何かあるのか?」
問いかけると漆原は「へへっ」と笑みをこぼしてから、俺の耳元でこうささやく。
「佐々木も来るんだけどな」
「えっ、佐々木さんもっ!?」
「ああ。でもお前は部活があるから無理なんだよな。あーあ、残念」
佐々木さんとは俺のクラスのクラス委員であり、学校の副生徒会長でもある女子生徒だ。
俺はこの佐々木さんのことが割と気になっているのだが、どういうわけか漆原はそのことに勘づいているのだった。
「佐々木さんもカラオケに行くって言ったのか?」
「ああ、駄目もとで誘ってみたら来るってさ。こんな機会なかなかないぞ」
佐々木さんは優等生タイプなので、学校帰りに友達とカラオケというキャラではない。
なので、漆原の言う通り、たしかにこの機会を逃すと佐々木さんとカラオケに行くチャンスはもう訪れないかもしれない。
「じゃ、添島たちが待ってるからおれはもう行くからなっ」
「ま、待ってくれっ」
漆原を呼び止める俺。
とっさに声が出ていた。
「なんだよ、結城は部活があるんだろ?」
とニヤニヤしながら漆原。
「あー、まあそうだけど、提出物を預けたあとなら今日くらいサボっても多分大丈夫だ」
「ふーん、そっか。じゃあ玄関で待ってるから早く行ってこいよ」
「ああ、サンキュー漆原」
こうして俺は文芸部へと足早に向かった。
文芸部は旧部室棟の二階にある。
そのため、一旦校舎を出て、渡り廊下を通ってから旧部室棟へと赴く。
文芸部室の前までたどり着いたところで、俺はカバンから提出物である俺の書いた異世界小説を取り出した。
提出する前に一度読み直して誤字脱字がないかをチェックする。
この異世界小説は今度WEB上のコンテストに送るために書いたもので、部員全員が異世界をテーマにした短編小説を今日までに提出することになっていた。
「えーっと……」
声を抑え黙読する。
――――
――
[とある勇者の日記。
魔王ルべリア。その名が恐怖の象徴だったのも遥か昔のこと。
人間と魔王軍との戦いは熾烈を極めた。混沌の時代が永遠に続くかと思われた。
そんなとき一人の若者が立ち上がった。彼の名はリック。
勇者リックによって魔王が討ち滅ぼされてから幾年月が経った。
今はもう当時のことを知る者は誰もいない。
しかし最近になってある洞窟の地下深くから一冊の書物が発見された。
それは歴史に名を残すことのなかったとある勇者の日記であった。
丑の月 三日。
俺の名前はガイア。十六才。
シスターに「あなたは年長者なんだから、毎日日記を書いてみんなのお手本になりなさい」と言われたので今日から日記を書くことにする。
といっても日記って何を書けばいいのだろう。とりあえず今日あったことを書けばいいか。
今日は朝四時に起きて牛乳配達をして、教会に帰ってきてから少しだけ剣の稽古をした。そのあとシスターとアネモネと朝食の準備をした。ほとんどをシスターが一人で作ったので俺とアネモネは邪魔をしただけだ。朝食の後は昼まで勉強の時間。午後は剣の稽古の時間。シスターは女性なのになぜあんなにも強いんだろう。
そのあと年少組が昼寝をしている間に俺とアネモネはシスターの内職の手伝いをした。あとは教会の掃除をして夕食まで自由時間だった。
とこんな感じでいいのかな。よくわからない。日記なんて書いたことないし。でもまあ誰かに見せるわけでもないし適当でいいか。
丑の月 四日。
最近外の世界では魔物の動きが活発になってきているらしいけどこの辺りは安全だってシスターが言っていたから大丈夫だろう。実際近隣で魔物が出たという話は聞いたことがない。たとえ出て来たって俺の剣術で返り討ちにしてやるさ。
剣術と言えば今日はすごく嬉しいことがあった。アネモネに剣で初めて勝ったのだ。九つのときから挑み続けて初めての完全勝利だった。メアリーもアンも一緒に喜んでくれた。アネモネは「もしわたしが男だったら負けてなかったわ」と悔しがっていた。
自由時間に今日の勉強でわからなかったところを教えてもらおうとアネモネを訪ねたら断られた。剣の稽古の時間での出来事を根に持っていたみたいだ。俺と同い年のくせに大人げない。
丑の月 五日。
夕食の時間にシスターが一人の少年を連れてきて「今日から新しい家族になるパトリックです。みんな仲良くするんですよ」と言った。年は十一才だと言っていたからメアリーの一つ下、アンの五つ上ということになる。
パトリックは人見知りする性格のようで自己紹介の時あまり自分からは話さなかったが、うちには優しいシスターと常識人のアネモネと世話焼きのメアリーと人懐っこいアンがいるからすぐに打ち解けるだろう。もちろん俺もいるしな。
パトリックは俺と同室になった。ちなみにシスターはアンと、アネモネはメアリーと同室だ。おっとこんなことはいちいち書かなくてもいいか。
男兄弟は初めてだからこれから楽しくなりそうだ。
丑の月 六日。
驚くことにパトリックには剣術の才があった。普段はおとなしいパトリックだが剣を持つと人が変わったように凄みが出る。
稽古の時間の終わりにパトリックが「ガイアさん一度手合わせお願いします」と言ってきた。まだ敬語は抜けないようだが、それはそのうちなくなるだろ。
俺はパトリックの申し出を快く受け入れた。
勝負はもちろん俺が勝った。だが十一才ながら光るセンスを感じた。いずれ追い抜かされるだろうと俺はこのとき確信した。
丑の月 七日。
今日は午後シスターと町に買い物に行く日だったのでパトリックも誘った。男手は多いほうがいいし、町のことも知っておいた方がいいからな。
すると「わたちもつれてって」とアンにせがまれたのでしょうがなくアンも連れていくことになった。
パン屋、八百屋、魚屋と周り一週間分の食料を買い込んだ。全部で六人分だからかなりの量だ。卵と牛乳は教会で飼っている鶏と山羊からとれるから必要ない。
帰りは案の定というかやっぱりというかアンが疲れて寝てしまったのでパトリックがおぶって帰った。パトリックを連れてきて正解だったな。
丑の月 八日。
今日は一日中雨が降っていた。雨の日の牛乳配達は結構大変だがもう慣れた。
剣の稽古の時間がなくなった分勉強の時間が増えた。勉強が好きなメアリーは「ずっと雨だったらいいんだわ」といきいきしながらパトリックとアンにわからないところを教えてやっていた。
ずっと雨だったら俺の頭がパンクしてしまう。
午後の自由時間俺とアネモネはシスターの内職の手伝いを、メアリーとパトリックとアンはかくれんぼをして遊んでいた。
パトリックはすっかりみんなと打ち解けたようでなによりだ。
丑の月 九日。
正直うちは決して裕福ではない。
うちにいるみんなはシスターが身寄りのない子や孤児を引き取って育てられてきた。俺もそうだった。早くに両親が死に、親戚中たらいまわしにされているところをシスターに助けてもらった。
だから俺はシスターのことを本当の家族だと思っている。もちろんアネモネもメアリーもパトリックもアンもそうだ。
そんなシスターがひと月に一度だけ俺たちを置いて教会を留守にする日がある。そんなときは必ず「絶対についてきては駄目よ。わかったわね」と念を押す。そして帰ってくるときは少しのお金を持って帰ってくる。これに関しては何を聞いてもはぐらかされてしまう。外で何をしてきているのだろう。
今日もまたシスターは汚れた服でお金を持って帰ってきた。
丑の月 一〇日。
アンはすっかりパトリックに懐いていた。何をするにもいつもくっついている。
それをメアリーが「パトリックが勉強できないでしょ」と引きはがそうとするが、アンも「りっくといっちょにいるー」と離れない。そんな光景をシスターとアネモネは優しい笑顔で見ていた。平和だ。
午後アネモネに買い物に誘われた。何の? と返すと「あんたシスターの誕生日忘れたの!? わたしたちが代表して買ってくるってことになったじゃない」と怒られた。そうだった。
「はい、これ」とお金をアネモネに渡した。俺が牛乳配達をしてためたお金から少しづつシスターの誕生日プレゼント用にとっておいたものだ。
アネモネはしっかりしているから持っていてもらった方がいいからな。
そして結局プレゼントはアネモネが一人で選んだ。俺はついていく意味なかった。
丑の月 一一日。
今日はシスターの二十六才の誕生日だった。
メアリーとアンがシスターを外に連れ出している間に俺とパトリックで部屋の飾りつけをした。その間アネモネはささやかながら誕生日ケーキをつくった。
シスターは誕生日会に驚いてくれた。でも多分シスターは俺たちが準備していたことに気付いていたと思う。
アネモネが選んだブローチをみんなでシスターに渡した。シスターはとても喜んでくれた。シスターは俺たちひとりひとりを抱きしめて「ありがとうね」と言った。
いい誕生日会になったと思う。
夜寝る前にパトリックが「今日は楽しかったね」と言った。俺もなんだかうれしくなった。
丑の月 一二日。
「お姉ちゃんに何でも質問していいのよ」と勉強の時間にメアリーがパトリックにお姉さんぶっていた。そのパトリックの腕にはアンがひっついていた。微笑ましい光景だ。
内職の手伝いの最中、話の流れでシスターがパトリックについて教えてくれた。
遠い異国の生まれで両親と三人で暮らしていたらしい。でもあるとき両親が魔物に殺され行く当てのないパトリックは孤児となったそうだ。そこにシスターが通りかかったらしい。
アネモネはパトリックの生い立ちを聞いて目に涙を浮かべていた。
それから考えるとパトリックはだいぶ明るくなったと思う。
俺たちが新しい家族だ、パトリック。
丑の月 一三日。
アネモネと些細なことで喧嘩をしてしまった。
剣の稽古の時間に俺がアネモネに連勝し続けたことでまた「あんたが男だから……」とか「わたしが女じゃなかったら……」とか言ってつっかかってきたからだ。俺も実力をちゃんと認められてないようでつい感情的になってしまった。
反省している。
明日は町に買い物に行く日だ。アネモネの好きなアップルパイを買って帰って仲直りしよう。ついでにメアリーには欲しがっていた大きな熊のぬいぐるみを、アンにはお絵かき帳を、シスターには香水を買って帰るか。きっと喜ぶぞ。
荷物が多くなりそうだからまたパトリックを連れて行こう。男二人で出かけるってのも悪くないな。
明日晴れますように。
丑の月 一五日。
昨日、シスターとアネモネとメアリーとアンが死んだ。魔物に殺された。
いつも通り牛乳配達をしてから朝食を済ませ午前の勉強の時間を過ごした。昼食をとってから剣の稽古の時間、アネモネとはまだ少しギクシャクしたままだった。それから俺とパトリックは町に買い物に出かけた。
それが生きているみんなを見た最後だった。
買い物から帰ると教会は跡形もなく崩れ、廃墟のようになっていた。アネモネとメアリーの遺体はがれきの下からみつかった。アンの遺体は一部しかなかった。魔物に食べられたのかもしれないと思った。
シスターだけはまだかろうじて息があった。魔物の群れに襲われたことを息も絶え絶え話してくれた。
シスターは最期に「どうか……パト……リックを…………」と言って息を引き取った。
それから俺とパトリックは丸一日かけて四人のお墓をつくって手厚く埋葬した。
これからどうすれば……。
丑の月 一六日。
昨日から一切喋ろうとしなかったパトリックがようやく口を開いたと思ったら「剣術を教えてほしい」と言ってきた。
俺は山を下りてパトリックの里親になってくれる人を探そうと思っていたが、パトリックが俺と一緒にいたいと言うので仕方なく断念した。
パトリックは鬼気迫る表情で俺の稽古に応えた。俺から見ても十一歳のそれとは思えず、少し恐怖すら感じた。
俺たちは山から下りず自給自足の生活を選ぶことにした。木の実を取り、動物を狩り、野宿する。空いた時間は全て剣の稽古に費やすことになった。
丑の月 一七日。
シスターへ。
シスターに謝っておきます。日記を毎日書くという約束をしばらく破ります。
今はシスターたちを襲った魔物たちの元凶である魔王を退治する。そのことが俺とパトリックの生きる糧になっています。
特にパトリックは両親も魔物に殺されているのでその思いは俺より強いかもしれません。
みるみる俺の剣技を吸収していくパトリックを見ていて俺はパトリックを鍛えることに専念することに決めました。いずれ勇者となり魔王を撃ち滅ぼすでしょう。俺はそう信じています。
なのでしばらく日記は書けません。すいませんシスター。
寅の月 八日。
あれから四年。
久しぶりに日記を書く。
パトリックは目覚ましい成長を遂げ勇者の風格が出てきていた。修行から二年目には俺ではもう敵わなくなった。山を下りて強者のうわさを聞きつけては教えを請うという旅に出た。
そんな中出会ったマリエルという呪詛使いと行動を共にすることになった俺たちはマリエルの特技でシスターたちを殺した魔物たちをみつけることに成功した。
パトリックは俺の制止をきかず、その魔物たちを一匹残らず惨殺した。
それが昨日のことだ。
そして今朝パトリックとマリエルは置き手紙を残して姿を消した。
手紙には【魔王は必ず僕が倒す】とだけあった。
シスター、俺はどうすれば……。
午の月 二二日。
魔王がリックという青年によって倒されたという話が国中を駆け巡った。
俺は二十三才になった。パトリックは生きていれば十八才のはずだ。
あれからあちこち探したが結局パトリックもマリエルもみつからなかった。
もしかして勇者リックというのがパトリックなんじゃないだろうかと思ったりもしたが俺はパトリック探しを続けるつもりだ。
シスターからパトリックのことを頼まれているからな。
明日はもっと北の方に行ってみようと思う。
亥の月 四日。
俺はもうだめだ。洞窟が崩落し閉じ込められてしまった。
食糧も底をつき酸素も残りわずかだろう。この日記も自分の血で書いている始末だ。
結局パトリックは見つけられずじまいだ。一時はパトリックが闇に堕ちてしまったかもと思ったが、勇者リックがパトリックだったなら今はこれほど嬉しいことはない。
五十年は長いようで短かった。今振り返るとシスターやアネモネ、メアリーやパトリック、アンと過ごした日々が懐かしい。人生で一番楽しかった。
シスター、約束守れなくてすみません。あの世で直接謝りたいと思います。
ガイア。]
――
――――
「うん、まあ特に間違いはなさそうだな」
俺は自分の書いた小説を手に、文芸部室のドアをノックした。