第11話
馬車はあぜ道を進んでいた。
時折馬車が大きく揺れる。
「実は仕事を冒険者に鞍替えしようかと思っていてね」
とパンドラは切り出した。
「だが冒険者になるにはパーティーに最低でも一人男がいないと登録できないんだよ。誰が決めたのかわからないふざけた法律さ」
「へー、そうかい」
だからなんだって言うんだ。
それより宇宙人、俺の心の声が聞こえてるんだろ?
だったらこの状況をどうにかしてくれ。
『なぜだ? カケルは奴隷として買われたわけではなさそうだぞ』
それはわかる。
『ならばいいではないか? むしろパンドラに気に入られたのではないのか?』
それはそれで迷惑なんだよ。
そもそも俺は異世界で生活したいなんて、これっぽっちも思っていないんだからなっ。
『ふ~む』
何がふ~むだ、くそ宇宙人っ。
「おいカケル、聞いているのか?」
気付くとパンドラの顔が目の前にあった。
「んっ……お、おう」
「そこであたしはカケル、あんたをパーティーのメンバーに入れようと思っているのさ」
「あーそうかい。でも残念だったな、俺のレベルは1だ。お前の仲間になっても足手まといになるだけだぞ」
パンドラのレベルは200以上だったはず。
俺と組むメリットなどない。
「そういうわけだから俺のことは見逃してくれないか。お前が奴隷商人をやめるならちょうどいいだろ」
「駄目だね。さっきも言ったがあんたはあたしの物なんだからな。もし自由になりたいんだったら十万マルク今すぐ払いな」
パンドラは手綱をぐっと強く握りしめた。
馬車は森の中へと入っていくところだった。
「あ、おい、パンドラ。この先はガーゴイルが出るんじゃないか?」
「ガーゴイル? そんなレアモンスターには滅多に遭遇しないから平気だよ。心配するな」
「いや、そうは言ってもなぁ……」
さっきはこの先の森でガーゴイルに襲われたんだぞ。
「もし出てもあたしのレベルは250だからガーゴイルだって目じゃないさ」
そう言うと森の中へと馬車を走らせる。
俺は隣に座るパンドラの顔を横目で盗み見た。
年は三十歳前後だろうか、ゴリラみたいなごつい筋肉質の体に似合わず、よく見ると整った顔立ちをしている。
シルエットこそ大男のそれだが、顔だけなら外国のモデルみたいだ。
「あたしの顔に何かついてるかい?」
「い、いや、別に」
「ふっ。あたしの顔が見たけりゃこれから好きなだけ見れるさ。あたしたちは冒険者仲間になるんだからね」
「だから俺はお前の仲間になんか――」
その時、前を走る馬たちが一斉にいなないた。
パンドラは手綱を強く引き馬車を止める。
「うおっ!?」
馬車の前座席からつんのめりそうになったところをパンドラが手で押さえてくれた。
「大丈夫かい? カケル」
「ああ、悪い」
「それよりカケル、あんたの言った通りになったな」
パンドラはあごをしゃくる。
それを受け、俺は空を見上げた。
すると上空には、剣を持ち、にらみを利かせているガーゴイルの姿があった。
パンドラは馬車から飛び降りると、銀色のムチを地面に叩きつけ、「さあ、かかってきなっ」とガーゴイルを挑発した。
ガーゴイルはパンドラめがけて襲い掛かっていく。
すごい速さで滑空しながら剣を振り下ろした。
だがパンドラは後ろに飛び退き剣をよけると、ムチをひと振りガーゴイルに浴びせる。
「グエッ……!?」
ガーゴイルは奇声を発し、一旦空中に逃れパンドラから距離をとった。
「どうした、もう戦意喪失かいっ?」
空を見上げ余裕の表情を見せるパンドラ。
上空からパンドラを睨みつけるガーゴイル。
ここまでは前回とほとんど同じ状況だ。
唯一違うのは俺が檻の中に入れられていないということだ。
今なら隙をついて逃げられる。
『カケル。もしかしてまた逃げるつもりなのか?』
宇宙人が俺の頭の中に喋りかけてきた。
前回はここで逃げ出してスライムに殺された。同じ轍は踏まない。
スライムの体の中で溺死なんて二度とごめんだからな。
とはいえ、このままだとゴリラ女の所有物としての人生が待っている。
それもごめん被る。
どうする俺?
「グエエッ!」
考えがまとまらずにいるとガーゴイルが鳴き声を上げながら上空を旋回し始めた。
ぐるぐると大きな円を描くように空中を飛び回る。
宇宙人、あいつは何をしているんだ?
『仲間を呼んでいるのだろう。ガーゴイルは強い敵に出会った時に仲間を呼ぶ習性があるからな』
すると宇宙人の言葉通り、二体のガーゴイルがどこからともなく飛んで来た。
ガーゴイルは合計三体となった。
「おっと、これは少々面倒なことになったかな」
パンドラは三体に増えたガーゴイルたちを見上げながら言う。
次の瞬間、三体のガーゴイルが時間差でパンドラめがけ向かってきた。
それぞれが手に持った剣を振り下ろす。
一撃目、二撃目とこれをかわしたパンドラだったが、三体目の剣先がパンドラの腕をかすめた。
血が飛び散る。
ガーゴイルたちは追撃はせずにパンドラのムチが届かない上空に再び舞い上がった。
「くっ……モンスターのくせにしっかり連携が取れてるじゃないか」
パンドラは腕から血を流しながらも口元には笑みを浮かべている。
おいおい、もしかしてピンチなのかこれ?
「……おい、宇宙人。聞いてるか?」
『うむ、聞いている』
「俺は次、ガーゴイルたちがパンドラに襲い掛かったら逃げようと思う」
『また逃げるのか? 女性を置き去りにして?』
宇宙人の呆れたような声が届く。
「しょうがないだろ。俺のレベルは1でガーゴイルは……」
『レベル200だ』
「だろっ。勝てるわけないじゃねぇかっ」
変な異世界に飛ばされたせいで、俺はスライムにさえ勝てないんだからなっ。
『逃げてどうするのだ? またスライムに出遭ったら殺されるぞ』
さっきは弱い相手だと思って油断していただけだ。
「今度はスライムに会ったら速攻で逃げてやるさ」
『そんな堂々と言われれてもな』
情けないが仕方ない。
今の俺は最弱モンスターのスライムより弱いんだ。
そこへ「「「グエエッ!」」」とガーゴイルたちが再度パンドラめがけ襲い掛かった。
今だっ!
俺は前回とは反対方向の森の奥に向かって駆けだした。
「あっ、カケル待てっ……」
後ろから聞こえるパンドラの声を無視して俺は全力で走る。
途中、木の枝で顔を切ってしまったがそれでもお構いなしに走った。
振り返ることなく、息の続く限り、俺は必死に走り続けた。
『カケル。もうだいぶ離れたと思うが』
宇宙人の声。
「ああ、はぁ……はぁ。そうだな……はぁ、はぁ」
俺は息も絶え絶え足を止めた。地面に腰を下ろす。
後ろを振り返るも誰も追ってきてはいない。
今頃はパンドラが三体のガーゴイルと死闘を演じていることだろう。
若干の後ろめたさを感じつつ俺は周りを見回した。
周囲は木々に囲まれていて日の光があまり届いていないのか、やや薄暗い。
必死になって走っているうちに俺は森の奥まで来ていたようだ。
「おい、宇宙人。俺はこれからどうしたらいい?」
『どうしたらとはどういうことだ?』
「俺はレベル一で無一文、一番弱いスライムだって倒せないから経験値も金も手に入れることが出来ない。俺はこの先どうやってこの世界で生き抜いていくんだっ?」
『今装備している麻の服を売ればいくらかお金になるのではないか』
「そしたらまた全裸になって捕まるだろうがっ」
アホ宇宙人め。
『ならばとりあえずさっきのショサイの町に戻ってお金を稼げばいいのではないのか?』
「稼ぐってどうやって?」
『それはカケルがいた世界となんら変わらない。労働の対価としてお金が得られるだろう』
「え、マジで?」
俺はこの世界をRPGと混同していた。
金はモンスターを倒して手に入れるものだとばかり思い込んでいた。
「なるほどな。だが宇宙人、俺はもう異世界を充分満喫した。そろそろそっちに戻してくれっ」
『……』
「おい無視するなっ」
俺は立ち上がり天を見上げた。
「グエッ!?」
するとそこには、なぜか空を飛ぶガーゴイルの姿があった。
「うおぉっ!?」
なんでこんなとこにガーゴイルがっ!?
パンドラと戦っているはずなのに……。
「グエッ!」
俺と目が合ったガーゴイルは方向転換して俺の方に向かってきた。
高速で滑空してくるガーゴイル。
気付けば目の前で剣を振り上げていた。
はやっ、逃げられないっ
死ぬ……っ!
俺は今日二度目の死を覚悟した。
だがその時、
ばしゅんっ。
縦に一本の線が走ったように見えたあと、ガーゴイルの体が縦に真っ二つに裂けた。
血が噴き出し俺の服に飛び散る。
「大丈夫だったか? カケル」
少し離れた位置からパンドラが俺の名を呼んだ。
手には血みどろのムチ。
「これ……お前がやったのか?」
「このムチは鋼鉄製の特注品でな、上手く扱えばドラゴンの硬い皮膚だって破けるんだ。ガーゴイルくらいなんてことないさ」
パンドラはムチについた血を布の切れ端で拭きながら近付いてくる。
ガーゴイルの遺体の前まで来ると、遺体には目もくれず地面に落ちていた剣を拾った。
「ガーゴイルの剣だ。こいつは高く売れるはずだぞ」
そう言って俺に見せてくる。
パンドラの腰には既に二本の剣が差してあった。
他の二体のガーゴイルも倒して奪ったってことか……。
「ところで……」
パンドラはその剣の切っ先を俺の鼻すじに向けた。
「どうして逃げたんだ?」
俺を冷たい目で見据える。すごい威圧感だ。
俺の足が意に反して震えているのは、全力疾走したからという理由だけではないはずだ。
「……正直お前が苦戦すると思った。だから逃げるには今しかないと思った……さっきも言ったが俺はレベル1だ。スライムも倒せないような雑魚だ」
自分で言ってて嫌になるが。
「あんな戦い俺には到底手に負えない。だから逃げた」
「なるほど……そうか」
そう言うとパンドラは剣を自分の腰に巻いたベルトの間に差した。
「冒険者になったところでお前の役には立てない。だから俺のことは諦めて自由に――」
「だからどうした、そんなこと関係ない。カケルのことはあたしが守ってやるさっ」
俺の肩に腕を回しすごい力で抱き寄せるパンドラ。
「うぐっ、お、お前バカなのかっ! 話聞いてたかっ? 俺はお前を見捨てて逃げたんだぞっ。そんな奴を仲間にしたいのかお前はっ?」
「あたしは正直者は大好きだ。一生面倒見てやるよっ」
パンドラは「はっはっはっ」と豪快に笑った。
く、苦しいっ。ギブギブ、とりあえず放してくれっ……オチる!