ほしをみるひと1
第三次世界大戦の開戦前、まだ二人の天才が頭角を現していない二十一世紀の初め頃。
地球上にキメラなんていう存在は無く、精々家畜のクローンを造り出す程度の事には成功しているものの、それを大量生産するには至ってない時代。
後にマテリアル研究所を創設する事になるマーカス・ストーンランドは当時まだ近所の山から珍しい石を探してきてコレクションするのが好きなだけの、田舎住まいの地味な少年だった。
山といっても子供が遊びに行ける様な所で住宅地に隣接している小さい山だ。
安全で野生の動物もほとんど見かけないし、居たとしてもリス等の小動物しか棲んでいない。
この地図にも乗らないような田舎の小さな山は、少年マーカスのお気に入りの遊び場だった。
「うわああああああー!誰かー!」
マーカス少年は今、情けない、しかし必死の形相で悲鳴を上げながら、遊び場の山から自宅のある住宅地に向かって走っている。
運が無い事にマーカスを追いかけて来るのは、この山には居ない筈の熊だった。
キメラでもない只の人間が熊の追跡から逃げ切る事は不可能だ。
人類のほぼ全てがキメラ化した第三次世界大戦後のセカイでは、熊を素手で殴り殺せる芸当が出来るヒトも珍しくないが、この頃の熊と人間では身体能力に差があり過ぎて、銃、しかも貫通力の高いライフル銃でも持っていないと戦いにすらならない。
なんせ熊は自動車と併走出来る程足が速いが、一流のアスリートですら人間は自動車に追いつけない。
膂力の差なんて言わずもがなだ。
「うわあああああああ!来ないでぇぇぇぇ!!!」
人の多い住宅地まで辿り着ければ、もしかしたら熊もマーカスを追う事を諦めたのかもしれないが、マーカスが足を縺れさせて転んだここはまだ山の中だ。
転んでしまった拍子に恐怖で竦んで動かなくなったマーカスに触ろうと熊が鼻先を近づけた時、突然山の中に大音量のビープ音が鳴り響いた。
「!?!?」
突然の騒音にマーカスと熊は驚いて、マーカスはビックリして泣き止んで、熊の方はあっさりとその場から逃げていった。
熊が遠ざかるのを確認したかの様にビープ音は止むと、すぐに元通り静かになった。
「なんかよくわからないけど……た、助かった……?」
一体何があったのかはわからなかったが、とりあえず身の危険は遠ざかったのを確信出来たマーカスは安堵から脱力して大きく息を吐いた。
そこへ何者かが声を掛けた。
「大丈夫か?」
「えっ!?」
「こっちだ」
なんとなく声がしている様な気がする方向にマーカスが顔を向けると、明らかに人工物と思われる石造りの台座の上に不思議な白い石が鎮座していた。
いくらマーカスが幼い子供とはいえ、それでも石が話すなんて信じられない事だったが、マーカスは直感的に目の前の不思議な石に話しかけていた。
「……もしかしてキミが助けてくれたの?」
しかし相手は石、当然返事ない……と思っていたマーカスの予想は意外な程あっさり裏切られた。
「その通りだ、君が無事でよかった」
「やっぱりそうだったんだ……ありがとう、えーと……ボクはマーカス、キミの名前はなんていうの?」
「私の名はメタトロン」
「そっか、ありがとうメタトロン!」
「別に大した事はしていない……それよりまたさっきの熊と鉢合わせるかもしれない、早く家に帰った方がいい」
「…………」
家に帰るように促すメタトロンをじっと見つめたまま、マーカスは何やら考えている様子だった。
「……どうした?」
「ボク、メタトロンに何かお礼がしたいな……何か僕に出来る事は無い?」
突然の申し出にメタトロンは面食らったが、特に要望を思いつかなかったので断る事にした。
「……気持ちは嬉しいが、私が君にして欲しい事は無いな」
「そうだ!ピカピカに磨いてあげるよ!」
「汚れてないので結構だ」
「じゃあクッションとか欲しくない?」
「特にそういったものも必要無い」
そんな問答がしばらく続き、マーカスは涙目になっていた。
「ごめんね……役に立たなくて……ッ!」
マーカスは自分の不甲斐なさに悲しくなってしまった。
「君が気に病む様な事は何もない」
「うえええええええええん!!」
「おい、泣かないでくれ……わかったマーカス、それじゃあ私に何か本を読ませてくれ」
メタトロンの言葉に反応して、マーカスはすぐに泣くのをやめた。
「本?」
「そうだ、君の家に何冊かあるだろう?」
「うん、それならパパの部屋にいっぱいあるよ!」
「じゃあ私を君の家まで連れて行ってくれないか……くれぐれも丁寧に扱ってくれよ?」
そう言うとメタトロンは自分の大きさをポケットに入る小石程度まで縮小させて、マーカスの胸ポケットへと滑り込んだ。
・・・
メタトロンがマーカスの部屋にやって来てから数日、謎の力でパラパラとページを捲り本を読んでいるメタトロンを眺めながらマーカスが言った。
「メタトロンって、一体何なの?」
「……随分藪から棒な質問だな」
「だって聞いた事ないよ、喋る石なんてさ……ネットにだって載ってないし」
メタトロンはページを捲るのを一旦止めた。
「そうだな……君達から見れば、私は宇宙人の様なものだ」
「宇宙人!?すげー!地球へはなんで来たの!?」
「ちょっと落ち着きなさい……私がこの星、地球へ来た目的は……」
「も、目的は……」
マーカス少年は子供らしい想像で胸を膨らませていた。
宇宙をパトロールするミステリアス正義の味方、もしかしたら逆に悪の手先として地球を侵略にやって来たのかも知れない……マーカスは固唾を呑んでメタトロンの答えを待った。
「……観光だよ、どうした」
メタトロンの回答にマーカスはめちゃくちゃガッカリした。
「えぇー!?悪い宇宙人から地球の平和を守る為に来たヒーローじゃないの!?」
「違う……というかそれはテレビの見すぎだマーカス」
「えー!なんだよそれー!」
「そんなこと言われてもな……旅の途中で面白そうな星を見つけると、こうして立ち寄ってしばらく滞在したりするんだ」
「へー……じゃあメタトロンはいつ頃から地球に居るの?」
「……えーと、そろそろ地球に来て4000年程なるな」
「よ、4000年!?」
突然告げられた途方も無い数字に驚いたマーカスだったが、一つの疑問が頭をよぎった。
「あれ?メタトロンはそんなに長い間何をしてたの?」
「君達みたいな知的生命体が文明を興すのを眺めるのが好きでね……何かを創り出したり、破壊したり、傷付けたり、慰めたり……とにかく文明というのは劇的で面白い」
「もしかして4000年もずっと一人でそれを眺めてたって事?……それって寂しくないの?」
「ここに来るまでに何億年と宇宙を旅して来たからな、私からすれば数千年なんてあっという間だよ。君達人間とは時間の感覚が違うんだろう」
「……凄いんだね、メタトロンは」
「自分では実感が湧かないが……マーカスがそう思うのなら、それでいい」
メタトロンは再び本のページを捲り始めた。