ゼノカリオン4
うすぼんやりと目を覚ますと、そこは知らない場所だった。
「ん……?」
まだ覚醒しきらない頭で考えてみる。
(確か僕は……任務中に、隊長を庇って……!?)
自分が戦場で倒れた事を思い出したジャックは、そのショックで頭のもやが一気に消し飛んで、勢い良く飛び起きた。
「ぐっ……あぁ!?」
急に動いたせいか、インビジブルに切り刻まれた全身の切り傷が、その存在を主張するように痛みだした。
鋭い痛みでジャックの体と心は硬直し、そのままゆっくりとベッドに倒れ込んだ。
この時、初めてジャックは自分がベッドに寝かされていた事に気付いた。
ずっと森に潜伏して戦い続けたジャックにとって、それは久しぶりの感覚だった。
ベッドは金属製のパイプベッドに薄いマットレスに白いシーツと掛け布団といった簡素なものだったが、ここでなら雨風も虫も気にしなくて良い。
そんなヒトとしての当たり前の日常に懐かしさと感動を覚えたのも束の間、すぐに自分のいる部屋に違和感を感じた。
今ジャックが居る部屋を見回してみると、大体四畳位の広さの部屋で窓は無く、のっぺりとした白い壁に囲まれていて、ベッド以外で狭い部屋にある物と言えば、部屋の隅に間仕切りも無しに設置された洋式の便器と、この部屋の中で唯一の黒色であるコードからぶら下げられた裸電球のみだ。
部屋の出入り口にある重そうな金属製のドアには鉄格子の付いた覗き窓があり、部屋というよりも独房と言った方がしっくりくる。
ジャックは痛む体を気遣いながら恐る恐るベッドから立ち上がる。
幸い、身体を拘束されているような事は無く、身体には病衣まで着せられている事に気が付いた。
念の為に体のあちこちを触って確認してみるが、傷が痛む以外の異常や違和感は感じられない。
身体が無事だとわかると、今度はまるで隠密行動をしている様な慎重さでジャックは鉄格子に顔を近づけてみた。
鼻先だけを鉄格子の隙間から出すような形で周囲を探ってみると、最初に目に入ったのは部屋の中と同じ白一色の廊下だ。
ジャックの独房の対面には全く同じ造りの金属製の扉と窓に鉄格子……そんな光景が等間隔で廊下の奥まで続いている。
しかし鉄格子から顔を出す事が出来ないので、それ以上に詳しい事はわからない。
耳を済ませてみると、おそらくジャックと同じく捕らえられているだろうヒトの気配と、誰かが遠くで話す声の他にブゥゥゥゥン……といった何かの機械の稼動音のような音が聞こえてくる。
ジャックは改めて戦慄した。
「なんだ、ここは……?」
病院にしては厳重すぎるし、捕虜の収容所としてはあまりにも無機質すぎる……ジャックはそのタイミングで他の隊員に聞いた最悪な噂話を思い出した。
戦争の捕虜は様々な条約で守られている。
しかし人造キメラに対しては世論や常識が追いついてないおかげで法整備がされていない。
つまりこれが何を意味するのかというと『そもそもキメラは人間としてカウントされない』という事実だ。
キメラが捕虜になった場合、待っているのは拷問や労務では無い。
キメラ兵は存在そのものが軍事機密と科学技術の塊であり、都合良い事に人権も無い。
各国の軍が捕虜になったキメラに対して行っているのは、敵の情報を得る為の人体実験……勿論何処の国も公式でキメラで人体実験を行っているとは言ってはいないが戦場では公然の秘密として囁かれている事だ。
「う、うわあああああああああああああ!」
ジャックは恐怖のあまり叫んだ。
全身から冷や汗が噴出し、汗を吸った薄い病衣が肌に張り付いた。
しかしジャックの悲鳴に応えるものは何も無く、声は無機質な白い壁に吸い込まれて消えるだけだ。
・・・
コツコツコツ……と、白いリノリウムの床を鳴らす革靴の音が廊下に響く。
一つの革靴の足音に追従するようにして、重くて鈍いザッザッザ……という屈強そうなブーツの足音が二つ。
ジャックはその足音をベッドの上で震えながら聞いていた。
あの足音がここへやってくると決まって独房から誰かが連れ出される……勿論何処へ連れていかれるのかは知らないが、連れていかれた者は皆ここに戻ってこない。
武器は取り上げられ、まともな抵抗が出来ない捕虜達は足音の主が自分の部屋に来ると、戦場で戦士であった者でも子供の様に泣き喚いて抵抗する者も珍しくない。
それは女子供でも大の男であったとしても同じ事だ。
無駄な抵抗だと分かっていても、平気な顔で地獄へ歩いていける者など居はしないのだ。
(通り過ぎてくれ……たのむッ……たのむッ……!)
ジャックの願いも虚しく、足音は遂にジャックの独房の前で止まった。
独房の扉を開けて先ず入ってきたのは大柄なキメラの兵士二人、それがブーツの足音二つの正体だ。
続いて独房に入ってきたのは身長が兵士の半分も無い小柄な男で、白衣を着ている事から何かの研究者だというのが分かる。
キメラ化の際に口元が昆虫の大顎の様に変形しており、上下ではなく左右に開くようになっていた。
キメラは珍しくないとはいえ、やはり虫系のキメラは初見のインパクトが凄い。
「やあ、身体の調子はどうですかな?」
白衣の小男が妙に馴れ馴れしく話しかけてきた。
自分の優位は絶対に揺るがないと思っているからこその余裕なのだろう、そしてそれは正しい。
ジャックは被っている掛け布団の隙間から恐る恐る顔を出して3人を窺うが、今のジャックには小男の挨拶に答える程の余裕は無かった。
命乞いがしたくても、息が詰まって喉から言葉が出て来ない。
「…………ッ」
ジャックの沈黙を無視して小男は軽く頭を下げた。
「ああ、申し遅れました。私、ドリィ・ハーディエスという者です、ここの所長をしております。最近どうも忙し過ぎてねえ……オーバーワークですよオーバーワーク、いくらお国の為とは言え……全くヒト使いが荒すぎる」
ジャックは世間話をしている体のドリィを訝しく思いながらも、なおも沈黙している。
「大体職員の数に対して捕虜の数が多すぎるんですよ、受け入れにも限界があるっていうのに……そんな訳でねぇ、捕虜を一人一人尋問するのにも手が回らない状態でして」
そこでドリィがジャックの方へぎょろりと眼球を向けた。
「貴方が素直に我々に情報を提供してくれるというのなら、ですよ?多少の身代金と引き換えに貴方の身柄を本国の方へ送還してあげようかと考えているのです……我々が、ここへ来た時も随分怯えてしまっていたご様子、どうです?悪い話じゃないでしょう?」
確かにドリィが言う事が本当ならば悪い話じゃないのかも知れない。
敵に情報を漏らしてしまったら、本国での自分の扱いがよくなるとは到底考えられないが、ここでむざむざ殺されるよりはずっと希望がある様に思える。
本国も国民感情や世間体を気にして一定数の捕虜交換をしているという話も聞いた事がある。
「一つ……質問する事を許して頂きたい……どうしてその話を僕に?」
今は愛想良くしてる目の前の小男の掌の上に自分の命が転がされている事を重々承知した上で、ジャックは慎重に且つ出来うる限り丁寧にドリィに質問した。
緊張で思わず声が掠れてしまう。
「聞くところによると、貴方……あのゲイズハウンドの隊員なんですってね?我が軍は随分あの部隊に手を焼いているみたいでしてね、彼の部隊の情報は目下垂涎の的なんですよ。なので貴方にはこうしてベッド付き個室の独房を与える特別待遇でお迎えして、所長である私が出向いてお話している次第でして」
ドリィはここで脅すように声のトーンを下げた。
ギチギチ……と鳴る昆虫の顎がジャックの恐怖を助長する。
「自白剤を使うと、どうしても細かい部分が曖昧になってしまいまして……先程お話した通り、我々もヒマじゃないんでね……今すぐに答えて頂きたい」
ジャックは緊張ですっかり乾いてしまった唇から何とか言葉を搾り出す。
答えを言ってしまったら自分は……二度と国に帰る事は出来ないだろう。
「……協力は出来ない」
それを聞いたドリィの顔面から愛想が剥がれ落ちた。
相手が敵で、しかも自分が絶対的に有利な状況だったとはいえ、ドリィの豹変ぷりは常軌を逸していた。
しかし彼を知る人物は皆、それがいつも通りの彼だと口を揃えて言うだろう。
「時間が無いと言ってるのに……私の貴重な時間を無駄にしてくれやがってからにッ!」
先程とはうって変わって、イラつきを全く隠さない声でドリィは兵士達に命令した。
「それならもう用は無い!適当に痛めつけてから運んでやれ!お望み通り地獄を見せてやる!!」
ドリィが乱暴に扉を閉めて独房を後にすると、廊下に殴打されるジャックの悲鳴が響き渡った。