ゼノカリオン3
いくら窮地に追い込まれようと歴戦の精鋭揃い、ゲイズハウンドがそう易々と蹂躙される事は無い。
絶望的な状況でも皆それぞれ懸命に戦い抜き、生き残ろうと必死だ。
奮闘虚しく命を落とす者も中には居たが部隊としてのゲイズハウンドが絶命するには程遠く、徐々に基地からの脱出に成功し始めていた。
その中で殿を務めていたのはロウディカ率いるアルファ小隊だ。
「隊長!もう限界です!我々も退却しましょう!」
ジャックが得物の大鎌で敵兵の剣を受けつつ叫ぶ……その声色は今にも泣き出しそうな切羽詰ったものだった。
泣きそうになっているジャックに急かされた訳ではなかったが『もう十分時間は稼いだ』とロウディカは判断した。
「泣くなジャック!我々も行くぞ!」
ロウディカは隊長だけあってゲイズハウンドの中でも頭一つ抜けた戦闘力持っており、この状況に於いてさえ未だに余力を残しているように見えた。
彼女が鎖鎌『コルテオ』一度を走らせれば防刃素材の防具もなんのその、複数人の敵をまとめて斬り裂いた。
(隊長だって健在なんだ……僕だって頑張らないと……!)
敵の数にやや圧されながらも、ロウディカ率いるアルファ小隊も、やっと基地の出口付近までたどり着く事に成功した。
ようやくこの危機を乗り越えられると安堵したジャックが、ふとロウディカの居る方向に目をやると、何か妙なものが視界に映り込んだ気がした。
今は夜だというのに、何故かロウディカの背後にある暗闇がゆらゆらと陽炎の様に揺らめいていて、ロウディカはその妙な揺らぎにまだ気が付いてはいない様子だった。
(なんだ、アレは……何か、まずいぞ!)
本能的に危険を察知したジャックは反射的にロウディカの元へと駆け寄っていた。
おそらく声で注意を促そうものなら、その瞬間にはもう既に手遅れになってしまっていただろう。
なにぶん一瞬の事だったもので、あの揺らぎがどのように危険なのかという事を言葉で伝えるには何もかも足りなかった。
ジャックに出来た事は隊長の名を呼ぶ事と、ロウディカに迫る得体の知れない危険に対して己の身を晒す事だけだった。
その行動の代償が何であるのか、この時のジャックは知る由もなかったが『ゲイズハウンドは皆家族』という想いがジャックの身体を動かした。
「隊長ォォォ!」
無我夢中だったジャックはその瞬間、周りの世界が妙にゆっくりと動いている感覚を味わった。
敵も味方も彼自身さえも全てが緩慢に動作する中、ソイツはスローモーションの世界の虚空の闇の中から、ゆっくりと滲む様に現れた。
誰も居なかった筈の空間から出てきたのは名も知らぬ女……くせっ毛の金髪で巻き角が特徴的なアサシン。
全てがスローモーションの世界で尚、その女は一人だけ別世界に居る様な速度でロウディカに刃を振り下ろさんとしている。
(コイツ……まさか特殊能力持ちか!?)
ジャックは瞬間的に研ぎ澄まされた思考の奔流の中で、以前たまたま見かけた敵の情報の中に『見えない兵士』が居るという話があったのを思い出した。
姿が見えないという安直な理由から、何のひねりも無く『インビジブル』と、誰からともなくそう呼ばれ恐れられている戦士の通称。
ジャックがその話を聞いた時は「居るらしい」という他に情報がまるで無くて、よくある戦場の根も葉もない噂話の一つだろうと思っていたが……暗闇の中から現れたアサシンは、まさにフォークロアそのままの存在だった。
しかし今はそんな事はどうでもいい。
(間に合えッ……!!)
ロウディカが背後の気配に気付いた時には既に手遅れだった。
インビジブルの持つ二本の黒い短剣の間合いに入ってしまっており、回避も防御も間に合いそうにない。
一呼吸よりもずっと短い刹那、ロウディカを即死させる必殺の一撃が放たれてしまうだろう。
「なにっ!?」
しかし刃が首筋に到達するよりもほんの一瞬だけ早く、ジャックがロウディカの身体を突き飛ばした。
振り下ろされた真っ黒な短剣は、そのまま軌道がズレてジャックの胸部を斜めに切り裂いた。
「ジャック!!」
ロウディカはジャックを助けに戻ろうとするが、ジャック自身がそれを拒んだ。
彼は姿を現したインビジブルの刃を自らの体と大鎌で無理矢理に抑えつける。
インビジブルが僅かに眉を寄せ、能面の様な表情をいささか曇らせた。
「・・・くっ!!」
ジャック自身は勿論、ロウディカですらこの敵には勝てないという事をジャックは本能的に悟っていた。
それは根拠の無い思い込みの様なものだったが、しかし間違ってはいなかった。
「僕の事はいい!逃げろ隊長ォ!」
ジャックが叫んだ事により先程の傷口が開き、ジャックの足元に血の塊をボトボトと落としていく。
これには流石のロウディカも迷ったが、決断に猶予は残されていない状況だった。
「……わかった。必ず助けに来る!それまで死ぬなよ!ジャック!」
ロウディカはジャックを置いて逃げ出した。
ジャックは既に薄れ始めていた意識の最後にロウディカが無事逃げおおせたのを確認して、ホッと胸を撫で下ろした。
(隊長……よかった……)
その時、冷たく拒絶する様な独り言が目の前の敵から発せられた。
それは明らかに戦場で敵から感じる殺意とはまた別の、極めて個人的な怒りであり、だからこそジャックはそれを心底恐怖した。
「私に触るな」
「っ!!!」
次の瞬間、ジャックは全身を執拗にズタズタに切り刻まれた後、意識を失った。