万物の卵
ガイア理論という考え方がある。
地球上の全て生物がそれぞれ複雑に関係しあって環境を作り上げている事を指して『地球という惑星そのものが巨大な生命体である』と見なす考え方だ。
ガイア理論に詳しい専門家によると、地球という生命体は償いの日に死んで、そのままの状態だという。
地殻・海流・大気それぞれの流れが完全に停止し、本来ならば月面に似た状態になるのが普通らしい。
ところが現在の地球がそうなっていないのは、ゲヘナ達の力によるものだという説が一般的だ。
簡単な話、地球規模の事となると消去法でそれくらいしか心当たりが無いからだ。
・・・
かつて、日本という国家が建造したといわれている軌道エレベーター『ムスビ』
償いの日以前にはもう廃棄されてしまい、もう廃墟と化してから長いが、静止軌道上に作られたステーション『タカマガハラ』はゲヘナ達によって休憩所として利用されている。
特にゲヘナ達のリーダー格、白竜の天乾 はこのタカマガハラから見下ろす地球の景色を特に気に入っており、自らの領域とした。
タカマガハラは元々人間用の施設だが、天乾の趣味で内部は大きく改造されていた。
360度が展望出来るガラス窓、真っ白な石造りの床に神殿の様な柱とシンプルな観葉植物が配置されている。
本来ゲヘナ達は完全かつ全知全能であるが故に、ありとあらゆる一切の物を必要としない。
自らが無限に全てを創りだせるならば、この世に必要な物、欲しい物というのは存在しなくなる。
だからこそゲヘナは自らの身体と精神を八つに分けた上で更に、八柱それぞれが無駄な物に執着する傾向を持つようにした……いや『心掛けた』と言った方がしっくり来るかもしれない。
つまり自らで役割の分割とキャラ付けを行った。
「ふむ、結構慣れてきたかな……」
ゲヘナの一柱として天乾に割り振られた仕事は、地球に降り注ぐ太陽光を調節する事だ。
恐ろしい事に彼が仕事をサボれば、地球はすぐに生命の住めない星になってしまうだろう……というか地球は未だに死んだままだ。
ゲヘナが力を行使すれば、生命体として地球を蘇生させる事も勿論可能だが、彼等はそれをしない。
「巽主、そっちはどうだい?」
天乾が地球を眺めながら一声かけると、天乾の背後につむじ風が吹くと、その中から姿を現したのは緑竜の巽主だ。
彼女は地球の天候を管理する役割を担当しており、東洋の『龍』の様な緑色の身体に幾重にも重なったカーテンの様に風を纏っている。
彼女が空を舞う時、彼女の身に纏う風はオーロラに変化するという。
「こっちもいい感じだよ~……オゾン層とかも丁度いいでしょ?」
「おかげさまでね、これならすぐ地上も賑やかになりそうだよ~」
天乾は満足そうに頷いた。
「兌権も張り切って『卵』生みまくってるみたい~」
「それは楽しみだね、きっと新しい命が沢山生まれる」
「ね~」
・・・
なんの変哲も無い林の中に卵があった。
タマゴの色は白く、形状は鶏卵に似ていて地面に直立している。
異様なのはその大きさで、周囲の樹木が卵の根元をようやく隠せる位であることから、全長は100メートルは越えているというのが分かる。
「あった!『万物の卵』だ!」
冒険家スティーブ・ジョーンズは双眼鏡を覗き込むと喜びの声を上げた。
隣を歩く助手のライラが問いかける。
「今度のはどう?」
「ああ!なんとか孵化前に間に合ったみたいだ……もう少し先に丁度いい丘があるから、そこで張り込もう」
スティーブはヒトビトの目撃情報から位置を推測し、この万物の卵という謎の物体を追っていた。
既に今まで三度探しに行ったが一度目と二度目は卵が跡形も無く消滅していて、三度目は孵化したタマゴの殻の残骸しか見つけられなかった。
回収した殻の残骸を解析してみても不可解な事に、成分や強度は通常の鶏卵と同じ物で、どうやってその巨大な質量を維持していたのかすら不明だ。
謎の多い卵だがスティーブが一番見たいのは卵そのものではなかった。
・・・
卵から300メートル程離れた小高い丘にキャンプを張って二日目、丁度正午にそれは起こった。
卵のてっぺんにヒビが入ったのだ。
「ライラライラ!始まったよ!きてきてきて!」
スティーブは無邪気な少年の様におおはしゃぎしながら、丁度昼食の準備をしていたライラを大声で呼ぶと、ライラは料理を中断して大急ぎでスティーブの隣に駆け寄って来た。
「ホラ、見てみなよ!」
興奮気味のスティーブから双眼鏡を受け取るとライラも卵を観察してみると、万物の卵の天辺に入ったヒビが現在進行形でその範囲を大きくしているのがわかる。
二人共昼食そっちのけで撮影やら観察やらで忙しくしていると、あっという間に二時間が経っていた。
その頃にはヒビは卵全体に行き渡っていて、今にも崩れ落ちそうになっていた。
「凄いね……一体どうなるんだろう?」
「まだまだ、ここからだぞ……」
万物の卵からは文字通り『全て』の生物が生まれる。
哺乳類も鳥類も魚類も両生類も爬虫類も虫も植物も菌類も、モッドと呼ばれる人口の改造生物達から何かの機械生命の様なものも、想像上の動植物と呼ばれていたものでさえ、有機物無機物問わず全てが万物の卵から生まれ出づる。
生まれてくる生命体は成体・幼生全てバラバラで、確かにそれも謎の一つではあるのだが……そんな事を気にするのも今更に感じてしまう。
何でも生まれてくる『万物の卵』しかし卵が割れる瞬間の映像の撮影には、未だ誰も成功した例はない。
確かにそれだけでも大変価値があるものなのだが、スティーブ達が本当に見たいのはその後に起こる『ピースウォーク』と呼ばれる現象だ。
卵のヒビが全体に行き渡ると、殻が蒸気の様なものを発生させながら、まるで気化する様に虚空へと崩れていく。
そしてもうもうと立ち上る蒸気の中心から、生まれたての生物達がゾロゾロと沸いて来た。
種族も何もバラバラな生物達は卵の中心から放射状に外側に向かって歩き始めた。
「……始まった!大丈夫?ちゃんと撮れてるよね!?」
「うん、大丈夫だよ……すごい、本当に噂通りなんだね……」
「ああ!初めて聞いた時は都市伝説かオカルトの類かと思ったんだけど……」
不思議な事に獅子に似た頭部を持つ肉食獣の隣を餌になりそうな兎に似た草食動物が歩いている。
自然界では捕食者と被捕食者の関係にある筈の両者は、今はお互いに興味を示さず、ただただ前へと歩いていく。
それが卵から誕生した生命、全てに起こっていた。
種類も習性も全く違う生物達が皆一様に卵のあった地点から放射状に歩いていく。
「上手く言えないんだけど……多分僕は今、感動してるんだと思う」
スティーブの目から一筋の涙が流れた。
頬を伝う液体の感触でそれに気付いたスティーブが自分自身に驚いた。
「なんというか……圧倒的、だよね?」
「……うん」
その様子はとても穏やかなもので、もし全ての生物にとっての楽園が実在するのならば、それは正にこの光景の事なのではないか?と思わせる様な神秘性を孕んでいた。
それは一つの命として、ただただ圧倒される光景であり、冒険家の二人はしばらく無言のままピースウォークという現象に魅入っていた。
ピースウォークはそれから丸一日に渡って続き、それ以降は生物達はそれぞれの本能に従って生活を始める。