新セカイ博物誌
アプリ「新セカイ博物誌」を創設した若き冒険家スティーブ・ジョーンズと言えば、戦後のセカイで知らない者はいない。
彼の造り上げたアプリ、新セカイ博物誌はSNSに似た性質を併せ持つwikiで、不特定多数のユーザーが新種の生物や珍しい自然現象に関係した写真や動画を投稿しあって交流する他に、多数の学者や専門家達も情報収集の場として利用しており、日々様々な項目が追加・修正されている。
このアプリはあっという間に普及し、今では専門知識に興味が無い一般のユーザーも新しい土地へ出かける際には新世界博物誌で危険生物や自然現象について予習するのは戦後の新しいマストとなっている。
というか予習を怠ると簡単に命を落とす程、戦後のセカイにおいて野生の力というものが人々にとっての脅威になっていた。
貴重な情報を提供してくれたユーザー(プロアマ問わず)に寄付金から賞金が出るシステムや、何より無料であると言うのも手伝って人気のアプリだ。
アプリで得た収入だけで、もうすでに不労所得だけで十分食べて行ける程の財産を有している彼はそれを良しとしない。
それは彼自身もまた大層な冒険野郎であるからだ。
・・・
静かな書斎で熱心にキーボードを叩いている若者がいる。
一見すると15歳くらいの少年で、背は140程とやや小さめで頭の天辺にピンと立った犬耳を生やしている。
茶髪に白のメッシュが入っているのは彼がキメラ化した際に現れたコリー犬の特徴に因るもので、長めの髪の毛を首の後ろで纏めて小さいポニーテールに纏めていた。
年相応にまだ幼さが残る顔つきだが、この書斎の膨大な蔵書量からも推し量れる通り、年不相応な知性を感じさせる不思議な雰囲気を持っている。
彼こそが偉大なる冒険家スティーブ・ジョーンズその人である。
スティーブが鬼気迫る様子で一心不乱にキーボードを叩き続けていると、そこへ書斎のドアをノックする音が鳴る。
スティーブはキーボードを叩く手を止めずに「んー」と、肯定……というよりもノックの音に反応してなんか適当に声を出しただけみたいな返事をした。
ノックした相手が見知った間柄で安心しきっているからか、ドアを方を振り返りもせずにスティーブは作業を没頭していた。
ドアを開けて部屋に入った来たのは、スティーブと同じくらいの歳の金髪碧眼のキメラの美少女だった。
身長は160位とスティーブよりも上で、別にそんなに太っている訳では無いのだが、なぜか丸っこい印象を受ける。
頭には山羊の様な角と耳が生えていた。
彼女は冒険家スティーブの助手兼幼馴染のライラ・ウェステンラ、スティーブとは物心付く戦前からの長い付き合いになる。
「スティーブ?もう……ご飯冷めちゃうよ?」
ライラが控えめに声を掛けると、呻き声みたいな返事が返ってくる。
どうやら結構な修羅場である様だ。
「ああ、もうちょっと……」
スティーブは尚もキーボードを叩きながら答えたが、締め切りに追い込まれて焦っているのか、それとも単に夢中なのか、心ここに在らずといった感じだ。
「明日からユーラシア諸島に出発だよね?大丈夫なの?」
ここでようやくスティーブは手を止めると、心配そうなライラを振り返ってバツが悪そうに言った。
かなり疲労が溜まっているのか、目元に濃いクマが出来てしまっていた。
「この原稿、実は締め切りが1週間前だったんだけど……全然予定通りに終わらなくてね」
好奇心が旺盛なスティーブは昔から約束が苦手だった。
例えば道端で見た事ない虫とかを見つけるとその日の内に帰って来なかったりする。
ライラはそれを重々承知していながらも、つい小言を言いたくなってしまう。
「もー……ちゃんと予定立てなくちゃダメだよ、編集さんに迷惑かかっちゃうんだから」
小言を言われるスティーブも慣れたもんで、こりゃまずいと話題を逸らした。
「あーうん、出来るだけ気を付けるよ……ところで今日のご飯なんだい?」
ライラは内心『今話を逸らされてるなー』とは思いつつも、それに答えた。
「……今日はオムライスだよ」
「あ、いいねえ。ライラのオムライス、僕好きだよ」
スティーブはサッと立ち上がるとダイニングへと向かった。
原稿の終わりはまだ見えないが、無理をすれば良いというものでもない。
まずは腹ごしらえだ。