世界の終わり
片手に二本の缶コーヒーを持った男が屋上の扉を開いた。
働き盛りの生真面目そうな男で、短髪でガッシリとした体つき、顔つきからは責任感が強そうな印象を受ける。
何かの研究者らしく、皺の無いきちっとした白衣を見にまとっていた。
男は多分ここに居るだろうと思われる人物に対して呼びかける。
「おーい!いるか、ツェップ!!」
するとワンテンポ遅れて返事がある。
「……ヘルメスか?こっちだ」
声がしたのはヘルメスの頭上、つまり扉の真上からだった。
ヘルメスが梯子を登ると先程の返事の主が、屋上のコンクリートの上に仰向けで寝転がっていた。
先程ツェップと呼ばれたその男はオールバックの黒髪にすらりとした痩せ型で背が高い男だった。
一見ひ弱にも見えるが、しかしながら眼鏡の奥の眼光はギラギラと危険な光を放っていて、油断ならない雰囲気を持っていた。
二人は親しい仲らしく、こんな状況でも特に互いを気にした様子は無く、仰向けに寝転んでいるツェップの隣にヘルメスは胡坐をかいた。
「コーヒー」
ヘルメスは短く言うと、ツェップにコーヒーを手渡した。
ツェップは起き上がってコーヒーを受け取るとヘルメスと同じ様に胡坐をかいて座った。
互いに何も言わずコーヒーを一口啜った後でヘルメスが先に口を開いた。
「……お前は逃げないのか?」
その問いにツェップは鼻で嗤った。
「……おいおい、アレのスペックは俺達が一番よく知っているだろ?どこに逃げても無駄だろうが」
そういって二人は顔を上げて、数キロ先で人の制御を離れて暴れまわっているゲヘナを眺めた。
視線の遥か先ではゲヘナがそこかしこを破壊しまくっているという壮絶な光景が繰り広げられているが、二人の顔には別段表情らしい表情は浮かんでいなかった。
ここにいるヘルメス・タリスマンとグラーフ・フェルディナント・ツェッペリンは今まさに暴走中のゲヘナを開発した張本人達であり……ついでに言うと暴走させた張本人でもある。
「今日俺達人間の文明が滅ぶというのに……いざその時になってみても、あまり実感が湧かないものなんだな」
「……全くだ、今日で世界が終わりだってのに何もする気が起きん」
暫しの沈黙の後、ヘルメスが独り言の様に呟きでツェップへ問いかける。
「……本当にこれでよかったんだろうか?」
「良かった何もクライアントの注文通り『戦争を終結に導く最終兵器』だし、俺達が出した結論通り『戦争を終わらせる事が出来る最適解』だろう?……まっ、戦争が続けばいずれこうなっただろうな、遅かれ早かれ、というヤツだ」
ツェップは飲みかけのコーヒーを横に置いた後、再びゴロンと地面に寝転がった。
「ゲヘナ達は世界を滅ぼした後、どうするのだろう?」
「……さあな、何れにせよ、もう俺達が気にする事じゃない」
そう言ってツェップは胸の内ポケットを弄って何か板の様な者を取り出した。
それは二つ折りにされたプラスチック製のチェスだった。
「だが……遊んでるのかアイツら?その気になりゃ世界滅ぼすのに半日だってかかりゃしねー筈なのによ……まあいい、まだ時間が掛かりそうだ、暇潰しに付き合え」
ここでヘルメスは初めて笑顔を見せた。
責任感が強い不器用な男が見せるのは珍しい、何か諦めた様な、それいでいて屈託が無い笑顔だった。
「ははは……相変わらずだなお前は、だが時間までに勝負が付かないんじゃないか?世界が終わる方が早そうだ」
「ただの暇潰しだからな、別にどっちでも構わねえさ」
ツェップはまた身体を起こすと、二つ折りのチェスボードを広げて駒を並べ始めた。
こうして二人がチェスをしたり昔話に花を咲かせながら煙草をふかしている間に、旧い世界は一旦の終わりを迎えたのだった。
二人はここで死んだのか、それとも滅びを生き延びたのか誰も知らない。
『命の錬金術師』の異名で呼ばれるキメラ技術の祖ヘルメス・タリスマンと『空間の魔術師』の異名で呼ばれる空間と次元技術の祖グラーフ・フェルディナント・ツェッペリンはこの日を最後に歴史の表舞台から姿を消した。