かたつむりの観光客50
グラングレイの直上10000メートル……飛行機の航行する高度、雲すら見下ろせるその場所で、空の青に混じって黒い何かが静かにたたずんでいる。
それは人影……さらに言えば小柄な少女の形をしており、一見すると影に見えるがそうではない。
黒曜石の様に黒く光を反射しない肌のせいで、まるで影法師がそのまま空に浮かんでいる様な印象を受けるだけで、彼女にはちゃんと質量がある。
黒い肌とは対照的に新緑を思わせるような柔らかな緑色の髪の毛をしており、ゆるくウェーブのかかった髪をショートボブにしていた。
背中に橙色の尖った石の様なものが寄り集まった疑似的な羽を形作っており、少女と同じくなんらかの力によって浮遊している羽達は風の影響を全く受けておらず、夕焼け色の明滅を繰り返している。
そして最後に、漆黒の肌を持つ謎の少女は何故か全裸だった。
『……君の出番だよクオリア・オニキス、ゲイズハウンドの援護に回ってくれ』
耳元の小さな通信端末から聞こえるブレアの声に反応して、クオリア・オニキスと呼ばれた漆黒の少女はゆっくりと目を開いた。
漆黒の中から夜空の満月の様な金色の双眸が現れる。
「了解しました……これより作戦行動を開始、友軍の援護に回ります」
オニキスは通信を終えると、重力の任せる様にしてグラングレイへと落下していった。
・・・
一方、プリデールとロウディカの戦いは拮抗していた。
ロウディカはそれまでのゲイズハウンドとしてのチームプレーを捨てると、今度は自らの身体能力を薬品でブーストした完全なスタンドプレーの近接戦闘で戦っている。
そのあまりの凄まじさにゲイズハウンド達も援護出来ず、かといって隊長を残して撤退も出来ないまま、戦いの行方を見守るしかない状況に置かれていた。
そもそも隊員達はロウディカにレッドアイの使用を知らされていなかった。
普通の部隊であるならば指揮系統に以上が生じたなら別の指揮官からの命令を仰ぐか、独断専行したロウディカを諦めて撤退するのが普通だが、彼らの家族よりも固い絆というのがそれを妨げていた。
その内、隊員の一人がロウディカとプリデールの戦いを見ながら隣の隊員へ話しかる。
「おい……アレって……!!」
「マズイな……隊長が圧され始めてる……!」
確かに今だけを見れば戦いは拮抗していたが、お互いが決め手を欠いてるこの状態で、徐々にロウディカの息が上がり始めている。
もう四の五の言っていられない状況だと悟った隊員達に緊張が走った。
「もしもの時は俺達が体を張ってでもヤツを仕留める!このまま続けば隊長の命が危ない!」
その時、真上から風を切る音が近づいて来る事にその場にいる全員が気付いた。
隊員達が何事かと空を見上げると、空から降ってきた漆黒の人型の何かが空中に静止した状態で金色の双眸で地上を睥睨しているではないか。
「な……なんだアレは…!?」
地上の様子を見たオニキスがブレアへの通信回線を開いた。
「ブレアさん、質問があるのですが……」
「……なんだい?」
「現在の状況では敵と友軍の距離が近すぎて私の能力では友軍の援護は困難です……そちらからなんとか出来ませんか?」
現在ロウディカは薬物により判断能力が低下しているのか、ブレアの通信に対しても反応が無い。
「……どうすれば援護出来るかな?」
「敵と友軍の距離がある程度離れれば可能ですが……どうやら友軍にそのつもりは無いみたいです」
通信ごしにブレアが大きく溜め息を吐いたのがオニキスに聞こえた。
恐らくだが隊長であるロウディカを置いて先に撤退する事を彼らは出来ないだろうという事はブレアも把握していた。
戦っているのが他の隊員なら多少話は違っただろうが、司令塔であるロウディカがああなっては彼らの絆の強さが逆に鎖となってしまう。
更に現在進行形でレッドアイの副作用がロウディカの体を蝕んでいる、隊員達に状況を説明している時間は無い。
実質この作戦を指揮していたのはロウディカだったが、彼女がああなってしまった今、書面上だけのお飾り指揮官だったとしてもブレアが決断しなければならなかった。
「仕方ないね……彼女は少し熱くなり過ぎているみたいだ、目標への攻撃の際、死なない程度なら友軍を巻き込んでも構わないよ……それならどうだい?」
「……了解しました、援護を開始します」
オニキスが集中し掌を胸元で向かい合わせると彼女の周囲の空間が歪み、虚空から彼女の肌と同じ色をした漆黒の石片が現れた。
最初は三センチ程の大きさだった石片はオニキスから力を送られる事で徐々に大きくなり、直径50センチ位の結晶体まで成長した。
次にオニキスが手を前に突き出すと、四つ結晶はそれぞれ別方向へ飛んで行き、戦場を囲むように東西南北に配置された。
変化は突如として戦場全体に起こった、飛んでいた鳥が突然地面に垂直に落下したかと思うと、そのままトラックにでも轢かれたみたいにグシャっと潰れて絶命したのだ。
オニキスは潰れた小鳥をちらりと一瞥して、一瞬だけ悲しそうな顔をした。
「………………」
オニキスはそのまま次の行動に移った。
今度は自身の周囲に握り拳程の大きさの重力球を生成すると、それを礫の様に飛ばしたのだ。
「……いつ見ても凄いね、君の重力操作」
ブレアが気安い声色でオニキスの能力を褒めたが、オニキスは反応しなかった。
・・・
ロウディカとプリデールの二人はオニキスの存在や、それによって周囲の重力が変化した事にも勿論気付いていたが、しかし少なくともロウディカの方は戦いを辞めるつもりは毛頭無かった。
例えブレアが自分毎攻撃する事をオニキスに命じていたとしても、インビジブルを殺せるならそれでも良いとさえ考えていた。
重力操作の影響で若干動きが鈍くなった二人のもとへ重力球が飛来した。
勿論戦いの最中だからといって、二人ともそんなものに易々とは当たりはしない。
プリデールに回避された重力球が地面に当たると、バツンッ!と裁断機を使った時の様な大きな音と共に通常ではあり得ないほど綺麗な円形に地面が抉れた。
放たれた重力球は全てかわしたプリデールだったが最後の重力球が避けた直後に物理法則を無視した動きでプリデールへ向かってきた。
他の重力球はダミーで、最初からこの一個だけを命中されるのが目的だったのだ。
流石のプリデールもこれは想定外で回避出出来ず焦りを見せた。
「っ!……しまっ……!」
バランスを崩したプリデールを見て、赤い目をしたロウディカが好機とばかりにプリデールに組み付いて動きを封じ込めようとする。
「死ね!インビジブル!」
凶悪な笑顔でロウディカが叫んだ。
レッドアイでブーストされた尋常ならざるロウディカの膂力をプリデールはなんとか振りほどこうともがくがそれは叶わず、左腕の肘から先が弾けた重力球に巻き込まれて空間ごと抉られてしまった。
プリデールの左腕は重力で圧縮されて跡形も無く消失してしまった。