かたつむりの観光客46
グラングレイ到着後、プリデールの携帯端末にBBSの管理人からメールが届いた。
要約すると『今回は報酬額がかなり大きいので、依頼主から支払いは直接会って現金で行いたいと打診があった』という内容だった。
取引記録の残る電子決済では足が付く危険があるからだそうだ。
今回の旅でプリデールは殺し屋として各都市を回り、指定されたターゲットを暗殺してきた。
依頼は正しく完遂され、後は報酬を受け取るだけだ。
「私は報酬の受け取りに来たのだけれど……一体これは、どういう事かしら?」
プリデールはいつもの調子だったが、その周囲の状況は仰々しいものだった。
報酬の受け渡し場所には普段から人通りの少ない閑静な団地にあるちょっとした広場が指定されたが、どういうわけかプリデールが姿を現すと、団地の建物の中からグラングレイ最王手のPMC(民間軍事会社)『ボーダレスナイツ』精鋭一個中隊がワラワラと現れて、臨戦態勢でプリデールを包囲していた。
「何って……まだ分からないのですか?見ての通りですよ、インビジブルさん」
包囲している兵隊の一部が左右に割れて道を作ると、その間から指揮官らしき小男が姿を現した。
士官の制服を見に纏った小男は余裕綽々で自慢のヒゲを撫でながら言った。
「凶悪な殺し屋インビジブルは無謀にもグラングレイを単身襲撃するが、返り討ちにあって死ぬ……というのが我々のシナリオでして」
「はぁ……」
プリデールはつまらなそうに溜め息を吐いた。
(またこの手合い……)
殺し屋が依頼主に裏切られるのは実はそう珍しい事では無い。
依頼主からすれば自分が殺しを依頼したという事実は将来の汚点となり得る……その汚点を消し、安くない報酬も踏み倒せるならば裏切りも起ころうというものだ。
しかしそれが頻繁に起こらずに殺し屋という仕事が成立しているのは、約束を反故にされた殺し屋の報復を依頼主が恐れているからだ。
「さて、そろそろ死んで頂きましょう……投降なさるのでしたら、我々も楽ですし、何より無駄に苦しまなくて済みますよ?」
指揮官の男は勝ち誇ったように言った。
たしかに訓練されたPMCの精鋭一個中隊を動員出来る力があるならば難なく殺し屋の報復を返り討ちにしまえるだろう。
「……つまり報酬を支払う気は無いという事なのね?」
いまいち危機感の感じられないプリデールの態度に指揮官の男は嘲った。
プリデールがああいう態度とるのは突然の裏切りに対する戸惑いからだと勘違いしたからだ。
「ふふふ……察しの悪い方ですね、貴方はもう終わりなんですよ。観念なさい」
「そう……」
プリデールはまた溜め息を吐いた。
それは別に生存を諦めた無気力から来るものではなく『これからこの大勢を相手に報復行動をしなければならない』という面倒臭さから零れたものだった。
・・・
ボーダレスナイツの計画は完璧だった。
多額の報酬を用意し、腕のいい殺し屋インビジブルを使って七大都市それぞれの反グラングレイの要人を亡き者しつつ、最後にインビジブルを始末する事で全ての証拠を消す。
その為に用意された完全武装かつ高い錬度を誇る精鋭部隊百人、凶暴なガネーシャの群れですら鎮圧しきれる強靭な白兵戦力、それをサポートするための狙撃手と後方支援部隊、サバイバーを無効化するための拠点防衛用アンチサバイバーの起動、姿を消すアブノーマリティを持つインビジブルへの対策としてサーモゴーグル等々……殺し屋一人を始末する為に用意された戦力としては明らかに過剰だ。
殺し屋インビジブルを始末する為の戦力としては明らかに不足している事に彼らは気づいていない。
「はぁ、本当に面倒だわ……」
指揮官が命令するよりも早く、プリデールはその場で姿を消した。
それを見た指揮官が反抗の意志ありと判断した事で号令を出し、戦闘が始まった。
「さあ、奴を始末しろ!」
プリデールが行なったのは『接近して斬る』ただそれだけだった。
だがそれだけで粒揃いの精鋭部隊は装備諸共体を斬り飛ばされたし、団地の屋上にいた狙撃手はスコープにその姿を捉える事が出来ないまま殺された。
閑静な広場は相変わらず静かなままだったが、3分も経たない内に綺麗に切断されたヒトの部品が転がる地獄絵図へと早変わりし、広場で生存しているのは既にプリデールと指揮官だけになっていた。
・・・
プリデールは今回の仕事を社会的に信用のある大きい組織からの依頼だという事で請けた。
しかし実際には社会的に信用のある大きな組織程、容易く個人を裏切るのだ。
結局は社会的信用、権力、武力などで個人の権利を踏み潰して搾取する方が組織全体の利益の最大化に繋がると勘違いしてしまうからだ。
自分の精鋭部隊が成す術無く蹂躙されていく様を半ば放心状態で眺めていた指揮官は、ここでようやく我に返った。
あまりの状況に理解能力が追いつかなかった故の放心だった。
こそこそとヒトを殺すしか能の無い殺し屋風情が、これほどの戦闘力を持っているなんて普通は想像出来ない。
しかしこれはこの指揮官に限った話ではなく、ある種仕方ない事だ。
とにかくプリデールの強さというのは非常にわかりにくい。
大抵の相手ではプリデールと戦闘にすらならず、自身の姿を見えなくする特殊能力だって、暗殺に特化した能力で高くない戦闘力を補うものであると考えるのが普通だ。
姿を消した状態で、反応すら困難な超スピードで接近し、ロストテクノロジーで造られた非常識な切れ味を持つ短剣ブラック・ロータスで攻撃する。
相当な手練れでもなければプリデールの存在に気付く前に、一方的に、一撃で殺される。
生半可な武器ならブラックロータスの一撃を受ける事すら適わず、装備を貫通してヒト諸共に即死する。
この指揮官は明らかにプリデールの戦闘力を見誤っていた。
なぜならプリデールが何人暗殺を成功させようと報告書にプリデールの戦闘力は載らないのだから。
「ひっ!く……くるな!……っ!?なんだ!?き、聞いてないぞ、こんな事は、バ、バ、バケモノめ………………っ!!!」
悲鳴を上げかけた指揮官だったが、一瞬で声帯と胴体を切り離されたので、それすら叶わなかった。
「報復、見せしめ……あんまり得意じゃないのよね」
プリデールの不穏な独り言だけをその場に残して再び姿を消すと、閑静な広場は再び静けさを取り戻した。