かたつむりの観光客44
月の無い暗い夜、ルルイエ何処かのビルの屋上に佇む人影があった。
屋内と屋外を繋ぐ出入り口のすぐ横の壁に背を預けながら、腕を組んで俯きがちに目を閉じていた。
街の灯りがあるものの、ここまでは光がさほど届かないせいで薄暗く、顔がはっきり見えないが、どうやら女性の様だ。
女性が持つ雰囲気は尋常ならざるものがあり、少し経験を積んだ戦士ならばその力量を察するだろう。
「……来たか、インビジブル」
女性は少し低めの声で呟くと、顔を上げて目の前の虚空を睨み付ける様に見据えた。
その眼光は鋭く、目元は深いくまで沈んだ色になっていて、それが彼女の迫力をさらに倍増させている。
「……随分穏やかじゃないわね、もう少し殺気を隠したらどうかしら?」
可憐な鈴を思わせるような声が虚空から響くと、同時に何も無い空間ジワリと滲む様に声の主が姿を現した。
現れたのは闇に眩しい薄桃色のドレスを纏った女性、プリデールだった……今は普段の呼び方ではなく、殺し屋インビジブルと言った方が良いだろう。
いつも通り平然とした調子の声だったが、その話し方には若干の警戒心が見える。
プリデールが警戒するのも無理からぬ事で、その女性の放つ殺気ときたら今にもプリデールに飛び掛かりそうな程凄まじく、また本人も一切それを隠す気は無いらしい。
それをマントの女性は不敵な笑顔で流した。
「……あの戦争を戦い抜いた兵士でインビジブルの名前を知らないヤツは居ないさ。敵にも味方にも恐れられる不可視の殺し屋『インビジブル』しかし顔を知ってる奴は殆ど居ない……そんなをフォークロアじみた存在が目の前に居るんだ、緊張だってする」
「それは随分光栄ね……はじめまして、貴方がロウディカね?」
プリデールは事前に受け取った資料から、ロウディカの写真を思い出しながら言った。
「特殊作戦部隊『ゲイズ・ハウンド』のロウディカだ、よろしく」
「……これが進捗よ」
プリデールはキャスターから携帯端末を取り出してロウディカに渡した。
ロウディカは端末を起動させ、軽く中身を流し見た。
「……仕事は順調な様だな、安心したよ」
「えぇ、貴方達の隠蔽工作のおかげね……それじゃ、確かに渡したわよ、引き続きよろしくね」
「あぁ……まかせておけ」
プリデールは再び自らの能力で闇の中へと溶け込むように姿を消した。
ロウディカも携帯端末をキャスターに収納した後、高く跳び上がって暗い夜空の何処かへと消えていった。
・・・
「意外だったな……」
スゥが病院の天井を眺めながら呟くと、横で林檎の皮を向いていたプリデールが視線を上げた。
「……何がかしら?」
プリデールが剥き終わった林檎を適当に切って皿に置いた。
「次にヘマしたら置いて行かれちまうもんかと思ってた」
スゥは林檎の一切れに手を伸ばして、それを口へ運ぶ。
「?……別にそうする理由が無いだけよ」
「あー、なんというか……もっと他人に容赦ない、シビアな奴だと思ってたというか……」
スゥが珍しく言い淀むのを見て、プリデールはスゥの言わんとしている事を察した。
「……何を考えているかよくわからないとか?」
「えーと……まあ、そうだな」
スゥがばつが悪そうに肯定する。
「……たまに言われるわ、でも私だって相手の考えてる事なんか全然分からないし、お互い様だと思うけど」
それからプリデールは溜め息を吐いてから続けた。
「……でもそういう事じゃないんでしょうね、貴方が言いたいのは」
それから、プリデールは林檎を齧りながら何か考えている様子だった。
「……関係があるかは分からないけど、私が研究所生まれだから人間性に欠けてるのかも?」
・・・
キメラには大きく分けて三つのタイプがある。
一つは元々人間だった者が獣性細胞の投与によってキメラ化した者、もう一つは上記の方法でキメラ化した元人間達の間に生まれた者。
そして研究所等で造られた人造人間である者だ。
三者の間に科学的に特に違いは無いが、一般的に研究所生まれのキメラは人間性が薄いと言われている。
研究所生まれのキメラ達はその都合上、生まれた時から既に成人の状態で『生産』されるからだ。
親を知らない研究所生まれ達が人間性の獲得にという点に於いて家庭で育ったキメラに比べると劣ってしまうのは仕方ない事だ。
そもそも研究所生まれ達はそんなものを望まれて造られる訳ではない。
なぜなら研究所で造られるキメラの用途は主に戦闘の労働の為なので、要は反逆せず仕事さえこなせれば良いのだ。
・・・
しばらく間、沈黙が部屋を支配していたが最後の林檎を食べ終わったスゥが口を開いた。
「確かに『試験管生まれは感情が無い』なんて話は聞いた事があるが……」
スゥは相変わらず何を考えてるか良く分からないプリデールを見てニッと笑った。
「……別にアンタがそうだとは思わないな」
それを聞いたプリデールはきょとんとした表情になった。
「……そうかしら?」
プリデールの顔が面白くて、スゥは思わず吹き出した。
「はははっ、なんだよその顔は。ここは『ありがとう』とか言う所だろ?……いたたた」
「……なに一人で笑ってるのよ」
「見たこと無い顔してたもんで、ついな」
スゥはまだ少し笑いをかみ殺していた。
「まったく……そんなに元気なら大丈夫そうね」
プリデールは呆れた表情のまま立ち上がった。
「ホテルに戻るわ……貴方は身体、さっさと治しなさい」
キメラは基本的に人間よりも治癒能力が高い。
スゥは肩とアバラの骨が折れていたがキメラならこの程度の怪我、回復するのに1週間あれば十分だろう。
「……プリデール」
病室を出て行こうとドアノブに手を掛けたプリデールが振り返った。
「心配させちまったみたいで……その、ありがとな」
「ええ」
プリデールは振り返らずにそのまま病室を出て行った。