甘いマイアズマータ1
かつてヒマラヤ山脈と呼ばれていた場所には大厄災償いの日によって、一夜にして巨大な地割れとなった。
山の三分の一を縦に引き裂いて現れた深い峡谷には、いつの間にか一つ、また一つと粗末な屋台が建ち始めた。
その物理的な規模と商業的な規模は加速度的に増していった。
法の束縛を受けない昏い峡谷の市場では、金銀財宝にからヒトに至るまで、ありとあらゆるモノが取引の対象となり、今では世界最大のブラックマーケットに成長を遂げたその街を人々は月の光も届かない闇の峡谷『新月街』と呼ぶようになった。
・・・
新月街は基本的に上に行けば行くほど町並みが綺麗になる。
地表から上層には上流階級御用達のカジノ等の娯楽施設が並び、町並みも綺麗で治安も良い。
そして峡谷を下に降りて行けば行く程、町並みは汚くなり治安も悪くなる。
下層の治安は通常のスラム街と比べものにならない程悪く、廃人と狂人とヤク中しか居ないと言ってもいいだろう。
新月街の住人達ですら自らすすんで行こうとは考えない場所……しかしだからこそ脛に傷を持つような人物にとって下層は恰好の隠れ家となる。
「はぁ~……」
下層に隠れ住んでいる男、アレン・アズマットはメールで送られてきた仕様書を一瞥すると溜め息を吐いた。
「またロリ巨乳かよ……」
アレンは非合法のキメラメーカーとして新月街の中堅マフィアに下で働いている。
中肉中背で眼鏡をかけている三十代半ばの地味な男で、他人からはよく温厚そうだと言われたりする。
一見すると下層を生き抜く逞しさとは無縁そうなアレンが何故下層で生活出来ているかというと、所属しているマフィアが上では出来ない様な後ろ暗い仕事の為の拠点を持っているからで、アレンはそこに囲われる形で生活が出来ているという訳だ。
そんなアレンの職業は『キメラメーカー』というものだ。
その名の通り、人造人間としてのキメラを造り出す技術者だ。
通常、七大都市では個人が好き勝手にヒトタイプのキメラを造ることは禁止されており、それは新月街も同じだ。
ヒトを造れてしまうこの時代では新しいヒトを次から次へと造られたのでは街が管理出来なくなる為、七大都市連名で禁止とされているという訳だが、しかし労働力や消耗品としてのヒトタイプのキメラの闇の需要は高く、技術者の一部はアレンの様に裏社会に潜って活動している。
倫理観を捨てる事が出来て、かつ七大都市の法さえ潜り抜けられるならば、こんなに楽でおいしい仕事は他に無い。
「はぁ、仕方ない……やるか」
アレンはこれが仕事だと割り切ってはいたが、こうも毎回同じ注文をされたのでは流石に気も滅入るというものだ。
このセカイのどこかに生きている救い様の無い金をしこたま持っている変態が、アレンの作ったキメラを玩具の様に辱めたり、弄んだりしてから……飽きたら飽きたら壊す。壊す
その『補充』を注文されるのはごく自然な事だが、アレンは顔も知らない変態の尻拭いをさせられている様な気持ちになるので嫌だった。
しかしアレンはこれで日々の糧を得ているのだから、ウダウダいっても始まらないので沈む気分を堪えて仕事に取り掛かる事にする。
「……さっさと済ませよう」
キメラを造るという行為は二人の天才の尽力によって今やセカイ中に普及した技術である。
やり方を知っていて設備が整っていれば、アレンの様な凡人でも難しくない。
先ず健康な卵子と精子を用意して、受精卵を作りゲノムを解析し書き換える。
これだけで一応機能するヒトタイプのキメラは造れるが、少し厄介なのがキメラに必ず含まれる獣性細胞の扱いで、現在の技術ではこれの制御が出来ないのままなのだ。
かつて存在していた獣性細胞の制御技術は償いの日に消失し、そのせいで現在は一度獣性細胞の働きによってヒトの体に発現した動物的な特徴は書き換えが出来なくなってしまった。
ならばどうするのかというと、ここからは単純な回数勝負だ。
アレンはこれから注文通りのロリ巨乳のヒト型のキメラが出来るまで、何度も受精卵を造っては壊すという作業を繰り返す事になる。
お気に入りのアカウントが出来るまで繰り返す、ゲームで言う所のリセットマラソンというやつだ。
受精卵を破壊するのだから、数だけで言うのならばアレンは相当な数の殺人を犯している事になるが……それは既に滅んでしまった古い価値観だ。
それに何度も繰り返す内に命がどうとかいう下らない考えは意外と簡単に頭から消える。
立派で新しい倫理が今のセカイにあったとしても、それは新月街の下層で語る事じゃない。
「ふぅ……一息入れるか」
アレンがコーヒーを淹れようと席を立った時、来客を知らせるチャイムが鳴った。
客の姿をコンソールから確認すると、年端もいかない少女が一人ちょこんと立っていた。
「Mr.ゴムレス様の使いの者です。新しい注文の書類と仕事の報酬をお届けにきました」
少女はカメラに向かって柔らかく微笑んでいる。
Mr.ゴムレスはアレンの商品をよく注文してくれるお得意様だ。
(そういえば連絡員が新しくなるとメールが来てたな……)
アレンが無警戒に扉を開けると少女は最初の柔らかい笑顔のまま突然アイスピックをキャスターから取り出して、アレンの太ももに深々と二本突き刺した。
「ぐああああああ!!!」
痛みのあまり跪く体制になったアレンを少女は笑顔のままで見下ろしていた。
そして訳も分からないまま目を白黒させる事しか出来ないアレンに少女は告げる。
「やっと逢えたね、パパ」
「!?!?!?」
その少女の胸は年不相応かつ不自然に大きかった。




