幻想湖水伝1
学園都市ジュラルバームに点在するジュラルバーム家所有の別邸……その内の一つ。
戦後に七大都市を築き上げた大貴族のものとしては少々手狭と言えるかもしれない。
それでも十分な広さの部屋で最高級の調度品に囲まれながら、妙に部屋の雰囲気馴染んでいない普通過ぎる男が居た。
男の名はクロード・ジュラルバーム。
学園都市ジュラルバームの通り、街の名前にもなっているジュラルバーム家の現当主だ。
ジュラルバームは今のセカイの七大都市の一つにも数えられる街で、七大都市の代表者ともなれば償いの日後のセカイの主役とも呼べる存在であり、本来ならば普通過ぎるなんて感想は持たれる筈がないのだ……無い筈なのだが、彼を見たほとんどのヒトは『なんか思ったより普通だった』という感想持つ。
上品でも無ければ下品でもない、威圧感も存在感も無い男。
七大都市の代表、または政治家、実業家としての彼の施策の数々を見てみても普通。
半端な男ではあり得ない筈なのに……そうでなければあの血の気の多い女帝の伴侶なぞ務まろうはずもない。
そこが彼の奇妙な所だ。
「……失礼します」
数回の丁寧なノックの後、クロードは部屋に入ってきた人物を見て軽く手を上げると気さくに挨拶する。
「あぁ、待っていたよリキッド君……早速で悪いんだけど、首尾はどうだい?」
来訪者の名前はリキッド・マスク。
ついこの間までマテリアル研究所で研究員をしていた男だ。
メタトロン奪還に失敗したマテリアル研究所はメタトロン研究の存続が不可能になると、驚く程あっさり閉鎖してしまった。
当然リキッドも既に研究員では無く……というか元々リキッドの正体はジュラルバームがマテリアル研究所に送り込んだスパイなのだ。
「はい、上々です。残念ながら例の件でメタトロン本体の確保には至りませんでしたが、メタトロンから得られた研究データは粗方回収出来ました」
「じゃあ問題なく研究は引き継げそうだね」
「はい、すぐにでも」
「どうやってマテリアル研究所を排除したものかと考えていたものだけど……まさかこんな形でそれが実現するとはねぇ」
マテリアル研究所はジュラルバーム勢力圏の中心部学園都市の外れの郊外にあった。
ジュラルバーム中心部に近い場所に存在していながら、実質グラングレイの勢力圏だったマテリアル研究所は街としてのジュラルバームにとってまさに目の上のコブの様な厄介な存在だったのだ。
マテリアル研究所が所有するクオリアシリーズの戦闘力は明らかに異常であり、グラングレイはセカイの治安維持の為と説明していたが、ジュラルバームにとってみれば脅威以外の何物でもない。
「まぁ、研究所の閉鎖に我々は関わってない訳だけど……そのまま研究を引き継いだらグラングレイと揉めるだろうねえ、最悪武力衝突もあり得るかも……こういうの、マリィちゃんは喜びそうだけどさ」
クロードは既婚者がよく言うような軽い嫁ジョークを適当に飛ばして、一人でくつくつと笑っていた。
この街でこんな真似が可能なのはこの男な位なものだ……街の住民は皆、拷問が恐ろしくて女帝に逆らえないというのに。
戦後の何も無い荒野に、一からジュラルバームの街の基礎を創り上げた拷問好きな独裁女帝を『マリィちゃん』呼び出来るのは世界広しと言えど彼だけだろう。
「……では名前と形を変えては如何でしょう?」
「そうだね、企業にでもしようか……資本はいくつかの団体から分けて私が入れるから、代表は君に任せようと思うんだけど大丈夫?」
「仰せのままに」
・・・
「お久しぶりっス、せんぱ……あ、いやリキッドさん」
マテリアル研究所が閉鎖した後、その職員だったラファエル・メイフィールドも職を失う事になった。
再就職には苦労しなかったものの新しい職場には独特の空気感があり、未だ上手く馴染めずにいる。
そんな時、マテリアル研究所に勤務していた頃にお世話になった先輩リキッド・マスクに酒でも飲みに行かないかと誘われたのだ。
新しい職場の愚痴でも聞いてもらおうとラファエルは二つ返事で了承した。
「呼びやすいなら別に今まで通り先輩のままでも構わんぞ?」
「そうっスか?じゃあ前みたいに先輩って呼ばせてもらいますね」
「ああ、さて……今日はどこから回るか」
「俺ぇ行きたいトコあるんすけど、いいスか?」
ラファエルが最初の一軒に選んだのは、マテ研に勤めていた頃に二人でよく来た安い焼き鳥チェーン店『うぐいす』だった。
「……どこかと思えばここか、他にもっとあるだろうに」
「やっぱ、先輩と飲みってなるとやっぱここが落ち着くかなって」
「そんなものかね……まぁ俺はどこでもいいが、コストが安く済むならそれに越した事は無いか」
リキッドも口ではそんなことを言いつつも、やはり慣れた店だからか流れる様に手羽先を注文していた。
ラファエルもそれに続き、あれよあれよと言う間にリキッドの前には安い焼酎の水割り、ラファエルの前にはビールが到着した。
「それじゃ、乾杯」
「うぃ~おつかれ~ッス!」
焼き鳥屋に入ってからそれなりに時間も経つ頃になると、積もる話もそれなりに一段落し、そろそろ店を変えようかという頃合いになってリキッドが本題を切り出した。
「実はな……今度起業する事にしたんだ」
『あともう適当にお開きにして帰るだけかなー』という具合にまったりしていたラファエルにはリキッドの話は寝耳に水状態で驚きで目を剥いた。
「マジすか!?じゃあ先輩じゃなくて社長になるんスね!?」
「ああ、それで相談なんだが……ラファエル、お前ウチの会社に来る気はないか?」
「え?行きます行きます!」
「おい、もうちょっと話聞いてから決めろよ。こっちから話振っておいてなんだが不安になる」
「いやいやいや、先輩、見くびらないで下さいよ!こう見えて人を見る目はあるつもりっス……それに先輩が始めるって事はどうせ何か面白い事なんでしょ!?」
「……それは流石に買い被り過ぎだろう」
「それこそこれから判る事でしょ?それよりもホラ、早く詳しい話、聞かせてくださいよ?」
「まったく……その前にそろそろ店替えるか」
「そっスね……あーちょっと手持ちが……」
「構わん、俺が出してやる」
「いよっ!流石俺の見込んだ先輩!ゴチになりやーす!」
「奢るのは構わんが飲み過ぎるなよ?明日になってから何も覚えてないでは済まんからな?」
「わかってますってー!」
二人は焼き鳥屋を出ると夜のネオンの海に消えていった。