かたつむりの観光客12
かつてジャックという男は、まともだった。
今は笑いながらヒトを殺すだけの壊れた殺人鬼に成り下がってしまったが…………そんな風になってからも、たまにまともだった昔の記憶を思い出す事がある。
ジャックとプリデールの戦闘が始まってから五分後、ジャックがプリデールに実質二十七回斬り殺されたあたりで不意にジャックの攻撃が止んだ。
不審に感じたプリデールは自分から仕掛けようとはせず、静かに様子を見ていた。
(……?)
プリデールは訝しんだ。
そういえばあの五月蝿い嗤い声もいつの間にか聞こえなくなっているし、当のジャックが俯いたまま動かない。
相棒の様子がおかしい事に気付いたヨンが不思議そうな声でジャックを呼んだ。
「お~いジャック~?どしたの~?」
「アァ……今……何か……思い出しそうなんだ……」
呻くようにヨンにそう答えたジャックの脳裏に過去の記憶がフラッシュバックする。
敵の罠、部隊、撤退戦、隊長、襲撃者……断片的な単語が思い出されては、ジャックが意味を理解する前に泡の様に消えていく。
あの時……ジャックが隊長を庇った瞬間に一瞬だけ見えた、襲撃者の顔。
ジャックは突然勢い良く上げて顔を上げて、プリデールの顔をじっと見つめた。
「ゲイズハウンド……隊長……」
ジャックは何かを確認するように単語を呟く内に、やがて完全な形で何かを思い出したようだ。
するとジャックが纏っていた雰囲気が豹変した……話し方、仕草、目つき……本当に何もかも。
これではまるで別人だ。
「そうか……お前、あの時の……どうしてここに……!?」
「…………?」
プリデールは相変わらず怪訝な表情だった。
ジャックが自分の事を何か言ってるらしいが、それはほとんど独り言に近いし要領を得ない内容だ。
「いや、それはどうでもいいか……僕がお前に対してする事に変わりは無いんだ……僕がお前を殺す、あの時の仕返しをしてやる……!」
ジャックは一人納得した様に呟くと再び大鎌を構えた。
その目は狂喜に染まっていた今までとは違う、理性ある戦士のものへと変わっていた。
昔のジャックと今のジャック。
どちらが強いかと言われれば、それは間違いなく昔のジャックだ。
かつてのジャックは高い戦闘技術を持っていた。
色々あって殺人鬼になったジャックは、理性と共に持っていた戦闘技術の大半を失った。
その代わりにヨンという相棒と液状化能力を手に入れたのだ。
しかし今や一日の大半を狂気に支配されているジャックにも、短い時間だが理性が戻る時がある。
そういった時、ふと今の自分を考えると、理性の中にある妙に冷めた部分が、まるで他人事の様に乾いた感想をこぼすのだ。
『僕はもうすっかり化物なんだなぁ……』と。
「化物め……」
ジャックはたったいま自分が呟いた言葉に軽く驚いた。
我ながら化け物に成り果ててしまったとは思っていたが、まさかまだ他人に対して『化物』などという感想を抱くとは。
拘束して自由を奪った上に薬物で意識を混濁させて、更に昔の戦闘技術を取り戻したというのに……やはりジャックの攻撃はプリデールを捉えられていない。
戦闘用のキメラとして造られたジャックが、かつて所属していた特殊部隊ゲイズハウンド。
隊員一人一人の能力は極めて高く、歴戦の戦士達は如何なる戦闘でも引けを取らない……はずなのだが、プリデールに対しては全く勝てそうな気がしない。
(こんな化け物……隊長でもやれるかどうか……仕方ない……)
ジャックはおもむろに大鎌を赤い水溜りへと沈めた。
それを見たプリデールが相変わらず表情の読めない顔で言った。
「……ようやく諦める気になったのかしら?」
プリデールの言葉に若干苛立ちを感じつつも、それを押し殺して平静を装ったジャックが答える。
「……やり方を変えるんだ」
ジャックは自分の大鎌とプリデールの『ナイフとのリーチの差を生かして中距離で戦う』という普通の方法を捨てて接近戦を試みる事にした。
ジャックには液状化の力がある。
プリデールの攻撃を無効化できる身体ならば直接体当たりで掴んだ方が手っ取り早い。
しかしこの方法はジャックにとっては不本意だった。
なぜならそれは白兵戦では敵わないと負け認める事と同じであり、ジャックが戦士として劣ると認めるという事は即ちゲイズハウンドの誇りを傷付けるのと同義だから。
堕落していてもジャックの起源は戦士にある……と、本人は思っている。
戦士の誇りを自ら傷つけなければならないのはジャックにとって業腹なのだ。