星のクオリア38
「やったか!?」
ガレスの斬撃が袈裟かけに命中するとサファイアの体は斜めに両断された……かに見えたが、それはサファイアの能力で作り出したダミーの氷像であり、サファイアの自身は斬撃を避けながらスケートの様に地面を滑って移動していて、既にガレスの間合いから離れていた。
「……クソッ!またか!」
先程からこんな感じに何を考えているのかさっぱりわからないサファイアに翻弄されていた。
戦いを挑んできたかと思えば本人はのらりくらりと攻撃を避けるばかりで、やる気が全く感じられない。
仕舞いには遊び半分なのか、地面を滑りながら鼻歌まで歌い出す始末。
「ありの~♪」
「……このっ!!」
オニキスも重力球でサファイアを狙い撃つが器用に避けられてしまう。
「……なんか今一瞬、アブなくなかったか?」
「え?……何がですか?」
「あ、いや……なんでもない」
「???」
サファイアは二人を挑発する様にトリプルアクセルを決めていた。
「もう……終わり?」
やる気が感じられないサファイアにオニキスがキレた。
真面目なオニキスにとってサファイアの態度は腹に据えかねるものらしく、珍しく声を荒げていた。
「貴方、任務で此処へ来てるのでしょう!?いい加減真面目にやりなさいッ!!」
「ぴゃ!」
「ぴゃ!ってお前……どうにも調子狂うなぁ。それより落ち着けよオニキス、挑発してこっちのペースを乱す作戦かも知れないぜ?」
「いーえ!絶対に違います!サファイアは普段からボーっとしてて何も考えてないんです!」
「…………なるほど、つまり不思議ちゃんって事か?」
「概ねそういう感じですね」
「そ、そんなことないもん……ひどいよオニキス、私の事そんな風に思ってたの……?」
サファイアが泣きそうな声で鬼の様な形相のオニキスに反論した。
「いい加減に……!!」
その時、展開しているオニキスの羽の一枚に『能力も使用してないのに』ヒビが入り少し欠けた事に、オニキスはまだ気付いていなかった。
それから更に時間が経過してガレス達がサファイアと戦闘を開始してから10分が経った、遭遇してからの時間も含めれば20分が経過しようとしていた。
サファイアは相変わらず戦いはするがのらりくらりとするばかりで強力な攻撃は仕掛けて来ず、ガレス達の攻めを巧みに凌ぎ続けている。
そうこうしている内にガレスが焦った様子で言った。
「まずいぞオニキス!……だんだん眠くなってきた……!」
「もう、ガレスまで!一体なんですかこんな時に!?」
「そうじゃない、ふざけてる訳じゃない……部屋の気温がずっと下がり続けている、もう冷凍庫なんて目じゃないくらい寒いぞ!」
「え……?」
オニキスはそう言われてもいまいちピンと来なかった。
クオリア達は『生物化した鉱物』という性質と能力の使用で体が欠損していく性質上、核以外の感覚が薄く寒暖の差にも疎い。
(気温を徐々に下げるなんて、クオリア同士の戦いでは効果が薄い筈ですが……何故サファイアはこんな回りくどい事を……?)
勿論オニキスも普通の生物は寒暖の差が生存に関わる事だというのは知っていた……が、それはただ『知っている』だけで経験した事が無い事だったので、それに思い至るまで時間が掛かってしまった。
(ガレスは先程『眠くなってきた』のが『まずい』と言ってましたね…………あ、まさかサファイアの狙いは!)
オニキスが気付いた時にはガレスの動きは既に精彩を欠いていた。
最初から気温を下げていなかったのは二人を警戒させず誘い込む罠にであり、時間を稼ぎつつ徐々に気温を低下させていたのはヒトであるガレスを弱体化させる為だった。
つまりサファイアの狙いは最初からガレスだったのだ。
「なめるなよッ!」
ガレスも懸命に戦うが、寒さで全身がかじかむせいで攻撃に力が入っていない。
その甘い斬撃の隙を突いてサファイアが槍を一閃させると、低温で脆化していたガレスの両手剣がガラスの様にあっけなく乾いた音を立と共に砕け散ってしまった。
「なんだと!?」
「……これでおわり」
「しまった、ガレスっ!!」
オニキスが必死に援護射撃するが間に合わない。
ガレスはサファイアの槍の刺突を腹部に受けてしまった。
「……アブソリュート・サファイア」
「あ…………」
囁き声と共にサファイアの能力が発動すると、槍が刺さっている腹部から一瞬の内に冷気が全身に及び、悲鳴を上げる暇さえ無くガレスは全身を氷漬けにされてしまった。
「……攻撃を止めて、オニキス」
凍結し氷柱に閉じ込めたガレスを盾にしてサファイアが冷たい声で囁く。
「ああっ……!」
オニキスはひどく不安そうな表情で、ショックを受けている様子だった。
サファイアは今にも崩れ落ちそうなオニキスを慰める様に諭した。
「まだ死んでないよ、私の力で凍らせているだけ」
サファイアは話しながら先程まで槍として使っていた棒の先端を能力で変形させると、今度は巨大な鎌に変形させた。
「でも……」
サファイアは文字通り冷たい氷点下の刃をガレスの氷柱にそっとあてがった。
「わかるでしょ……ねぇ、メタトロンを渡して……?」
「……っ!」
ガレスを人質にしたサファイアの脅しは懇願というか、どこか切実な印象を受ける。
しかし今のオニキスにそんな事に気が付く余裕は無い。
「それは…………!」
オニキスは言葉に詰まった。
今までの使命に忠実に生きてきたオニキスならば、ガレスを見捨ててでもメタトロンを護らなければならない。
しかしガレスとの旅の中で新たに芽生えた気持ちが、それを断固として認めないと叫んでいる。
「苦しそうだね、オニキス……いいよ、少しだけ待ってあげるから……」
(一体……私はどうすれば……!)
オニキスにとってガレスという男は自分の旅に勝手に付いて来た只の物好きに過ぎなかった……最初は確かにそうだった。
自分達クオリアの闘いを知れば常軌を逸した強大な力を恐れて、そのうち逃げ出すだろうと楽観的に考えていたが、それが今はどうだろう?
自分の使命とガレスを天秤に掛けていて、それでこんなにも胸が苦しい。
オニキスは自分の甘さを悔いた。
(いつか何処かでこうなる事は十分予想出来た筈……やはり、早く別れるべきだったんです……でも……)
でも、それは出来なかった。
単純な話、オニキスは自分の知らない事を識っていて、新しい世界を見せてくれるガレスとの旅が楽しかった。
しかしオニキスはその状況に甘えて、こうなってしまう可能性から目を背けてしまっていた自分を強く恥じる。
いつの間にか握り込んでいた拳が強く震えた。
無論それは寒さのせいではなく、強い慙悔の念がそうさせたのだ。
(彼と居るのが楽しくて……あぁ、いつの間にか私……こんなに、こんなにも……!)
「オニキス」
サファイアの声に反応して、オニキスは怯えた小鹿の様にビクっと身体が跳ねさせた。
「……私は彼にこれ以上何かする気は無いけど……あまり時間掛けると、手遅れになっちゃうよ?」
決断を迫られたオニキスが重々しく息を吐いた。
「………………わかりました」
オニキスが任務に忠実だったのは、それが人々の役に立つと信じていたからだ。
自分のガレスに対する気持ちはともかく、任務によってヒトを蔑ろにしてしまうのならば、それは本末転倒だろうという考えに至った。
オニキスはゆっくりと自分の腹部に手を当てると、能力を発動させて自分の腹の一部を抉り取った。
腹の奥には、こぶし大の大きさの白い菱形の石が静かに明滅しているのが見えた。
それこそが全てのクオリアを生み出した隕石、メタトロンだ。
メタトロンを体内から取り出したオニキスは自分の顔の前に掲げてサファイアにも見える様に提示する。
「ありがと、オニキス……そのままこっちにゆっくり歩いてきて……」
オニキスは黙ってサファイアの指示に従った。