星のクオリア31
ガレスとオニキスが新月街を発った翌日、マテリアル研究所は緊張状態にあった。
ジュラルバーム郊外にある研究所は現在、新月街のマフィアと思われる武装勢力に包囲されていた。
研究所は出入りが封じられており、中にいる所員達は閉じ込められている状態だ。
しかしマフィア達は攻め込んでくる様子は無く、建物内であれば移動は自由に行なえているし、外部との連絡手段が遮断されている訳でもない。
おそらくマフィア達はまだ武力衝突を行うつもりは無く、研究所を包囲しているのは示威行動というものなのだろう。
つまり研究所周辺の兵隊達は『こちらにはいつでも戦争の準備がある』という意思を宣伝するのが目的なのだ。
無論それでも予断を許さない状況ではあるのだが、示威行動を行っているという事はつまり、まだ交渉の余地が残されているという事だ。
「……うへぇ~どいつもこいつもおっかない顔してんなぁ~!まったく困ったもんスよね~」
チャラい後輩が恐る恐る窓から外を覗いてみると、研究所を取り囲むコワモテなマフィアの兵隊達が目を光らせているのが見える。
イマイチ緊張感の無い後輩と違って他の所員達は皆気が気じゃないらしく、それぞれ所在無さげにソワソワしていた。
後輩は周囲の研究員と同じく落ち着きなくソワソワしてはいるが、それは恐怖や緊張感といったシリアスな感情からの行動では無く、やる事が無くて退屈してるだけに見える。
先輩は組んだ脚をドッカリと机に乗っけて、外の様子にまるで興味無さそうな顔で携帯端末の画面を眺めていた。
「センパイ、何見てるんスか?」
「……ああ、ちょっとな」
後輩が先輩の手元を覗き込むと、携帯端末の画面には見覚えのある応接室の様子が映し出されていた。
「ん?これって……もしかして所長室っスか?」
「こんなこともあろうかと、隠しカメラ仕掛けておいたんだ……面白そうだろ?」
「ええっ!?……ちょっと困りますよセンパイ、面白そうな事するなら俺を通してもらわないと!」
「お前は俺のなんなんだよ……」
「あ、ホラ!誰か入って来ましたよ!」
所長室にいるのは全部で六人。
応接机を挟んで右側に座わっている老年の男はマテリアル研究所の所長、マーカス・ストーンランド。
椅子の背後には透き通る水色の肌の少女、クオリア・アクアマリンと紫色の肌をした痩躯の男クオリア・アメジストの二人が控えている。
応接机の左側にいる小柄な少女は新月街を治めるマフィア『バングレットファミリー』の大幹部『四龍』の一人、小死だ。
彼女も研究所勢と拮抗させるよう、背後に屈強な護衛二人を控えさせていた。
一見するとシニョンの可愛い小学生位の子供にしか見えないが、シャオスゥを見た目で判断し、侮って子ども扱いした愚か者達はすべからく彼女自身の手によって地獄へ送られた。
隠しカメラの映像が映し出されてから、先に口を開いたのはシャオスゥの方だった。
「……そうですネ、今回の件はこれで収めましょうカ」
「よもやバングッレットファミリー大幹部の貴方が直接お越しになるとは……ご足労をお掛けしてしまい、重ね重ね申し訳ございません」
マーカスは対面に座る幼女に深く頭を下げた。
緊張からか、その額には汗をかいており頭を下げた拍子に額から汗が顔に流れた。
マーカスは「失礼」と声を掛けてから胸ポケットからハンカチを取り出し汗を拭いた。
「十分な賠償金は頂きまシタ。我々のメンツは保たれ、無用な血が流される事も無いでしょうネ」
「ありがとうございます」
「しかし最後に一つ、今回の騒動の原因になった『メタトロン』とやらについて聞いておかなれば、私もボスに報告が出来ないですネ」
「……わかりました、お話しましょう」
メタトロンの正体を聞かねば帰らないというシャオスゥに促される形でマーカスは説明を始めた。
「一言でいうと、メタトロンというのは『超能力を持った隕石』です……このマテリアル研究所というのは、その力の解明の為の研究機関なのです」
「それが今回持ち出されたと?」
「……はい。現在我々はメタトロン奪還の為、研究所の最高戦力であるクオリアシリーズを投入し、メタトロンの奪還作戦を展開しております」
「フム……しかし荒事は研究職であるあなた方の専門外では?スポンサーのグラングレイを頼らないのでどうしテ?」
「確かにおっしゃる通りですが……しかしそうも言っていられない事情がありまして。メタトロンの回収を行なう際、下手に刺激すればメタトロンの暴走を招く可能性があるのです」
「暴走した場合どうなるのですカ?」
シャオスゥの質問に、マーカスは少し考えてから言った。
「……最悪の場合、ネオパンゲア大陸の形が大きく変わる事にも成りかねないかと……」
「やれやれ……めんどうな事ですネ」
マーカスの話を聞いても、シャオスゥは軽く溜め息を吐いただけだった。
「メタトロンの奪還と抑制を同時に行なえるのは同じメタトロンから生まれたクオリアシリーズを於いて他には無いと考えています」
「……たしかメタトロンを持ち出してウチの縄張りでドンパチしたのも、そのクオリアシリーズとやらの一体でしたネ?一体彼等はなんなのですカ?」
「クオリアシリーズはメタトロンの一部に獣性細胞を与えてキメラ化させた鉱物生命体です。現在全部で十人居ますが、いずれも親であるメタトロンから何らかのアブノーマリティを受け継いでいます」
シャオスゥの目がマーカスの背後の二人を見た。
「……その後ろのお二人もですネ?」
「そうです」
「話はわかりました。でハ、我々はそろそろ帰るとします……が、その前にお節介ひとツ」
「?」
シャオスゥはおもむろに応接間の観葉植物の方に右手を向けた。
するとバシュ!という音と共にシャオスゥの肘から先が発射され、観葉植物の葉の中に隠してあった小型カメラを指で潰した。
腕はそのままワイヤーで巻き戻って元の位置に収まった。
「所長……貴方、もう少し身の回りに気を配った方がいいですネ」
「……いや、本当に面目ない」
小型カメラが壊されると携帯端末の画面が真っ黒になり、画面にはNO SIGNALという味気ない文字が標示されたっきり、うんともすんともいわなくなった。
「……切れちゃいましたね」
「ああ……結構高かったんだがなぁ、あのカメラ」
先輩と後輩は黒くなった端末の画面を見ながら言った。
「結局どういう事なんスかね?」
「……おそらくだが、クオリアが新月街で何かやらかしたんだろ……で、ウチの所長がその落とし前を金でつけたって事だな」
先輩の説明に釈然としない部分があったのか、後輩は何か考え込むような素振りを見せた。
「ふーん、それにしても……」
「……なんだよ?」
「いや、マフィアという割に随分あっさり引き下がったな、と……」
「マテリアル研究所は微妙なパワーバランスの上に成り立ってるんだ。ジュラルバームの勢力圏にあってグラングレイの管轄化にある……いくら新月街の連中といっても大勢力二つと同時に揉めるのは避けたいんだろう」
「なるほど……先輩さすがっスね」
「……ニュースでも見てりゃこの位は誰でもわかる」
「いやいや……それはニュースをチェックしている先輩が、オレに教えてくれればいい話じゃないですか?」
「お前な……」
先輩は嘆息し大いに呆れた。
後輩の言い分と、それでもそんな後輩を嫌いきれない自分自身に。
・・・
「……シャオスゥ様、よろしかったのですか?」
「何がネ?」
マテ研からの帰りの道すがら、部下の黒服がシャオスゥに話しかけた。
つまり部下が言いたいのは『やり方がぬるいのではないか?』という意味だ。
「別にボスが抗争を望んでいる訳じゃないからネ、それなりに誠意さえ見せてくれれば問題ないケド……確かにあの男、まだ何か隠してるネ」
実際に会った感じではマーカスは別に交渉事が得意なタイプの人物ではなさそうだ。
海千山千のシャオスゥにはマーカスが何かを隠しているだろうという事は一目瞭然だったが、今回は敢えてそこの部分を問い詰めなかった。
「……別に相手の全てを知る事が最良の関係の条件という訳でもないしネ」
「仰る通りで」
「そんな事よりも今は重要な事があるネ」
「なんでしょう?」
「ボスへのお土産を用意しないとネ、忘れたなんて言ったら臍曲げられて面倒ヨ」