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ルーキスinオルトゥス ~奇術師の隠居生活~  作者: ブロンズ
最終章:フィナーレ編

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追憶(上):からっぽの光




「あらぁ、悲惨な事件だったよな……」



 真夜中。

 室内の三分の一ほどしか照明が照らされていない部署の中、退勤前の業務を行っていた彼等のうち一人が力を抜くように椅子にもたれ、呟き。

 二人しかいない空間に、会話の相手が己であると理解したもう一方が紙媒体の調書から顔をあげる。



「え?」

「ほら、三日前のあれだよ。高速走ってた一家が逆走してきた作業車に突っ込まれて……」

「……。あぁ、あれですか」

「思い出さなきゃいけない程ありふれた事件でもなかっただろ、あのレベルは流石に」



 数日前、彼等が担当した事故現場の状況は、確かに悲惨だった。

 発見された車に乗っていた家族の内、父親と母親は即死。

 生き残ったのはまだ物心すらついていない娘が一人。


 いかにそういった事件を担当する業務とはいえ、確かに簡単に忘れられるようなものではなく。


「いえ……その。思い出したくないんです、あの時の状況は……あんまり」

「誰だってそうだろうけどな。―――んで、よ。珍しい名前だってんで……報告書見て知ったんだけどな。あの家族。月見里っていえば、旧華族……遡れば平安の公家にも至る名家らしいんだとよ。今だって俺ら木っ端公務員じゃ想像も出来ねえくらいの資産家なんだと……」



「ヤベェよな。それが、呆気なく……ってよ」

「どれだけ栄華極めてても、死ぬときは突然って事ですかね」

「だな。虚しいもんだ。……さ、残りの仕事は……」



 ………。



「あの時」



 沈黙。

 先に話を振った筈の男は、先のやり取りで終わった会話だろうと思っていた。

 相手が「思い出したくない」と言ったのを汲んだ形だった。

 だが、その相手が話を続け―――ブルリと震えている顔へ、再び視線を送る。



「あ?」

「あの赤ん坊……、怖かったんです」



「上半身が見る形も……顔なんか、人間だったことも分からないような母親の、膝の上で。血塗れの膝の上で……ぼんやり包まって……」

「―――……」

「なんか、あれです……まるで。まるで……。忘れられないんです、あれが」



 事故現場から救出されたのは、たった一人。

 到着した彼等は元より、通報した人々でさえ当初は気付いてすらいなかった。

 

 赤ん坊が。

 満足な言葉も、感情も解き放つことも出来ない存在が、ただ静かに……、五体満足のままで死の満ちた車内にずっと存在していた事を。



「だから、誰も気付いてなかった。赤子らしく大泣きするでもなく、人が近付いてきて来て笑うでも、声出すでもなく……増して、疲れて寝てるでもなく。ずっと、静かに。救出されてすら、ぼーーっと……。まるで」

「抜け殻、か?」

「……ええ。分かってないはずなのに、赤子の筈なのに……。まるで、両親が死んだのをちゃんと分かって、理解した上で受け止めたみたいな。けど、空っぽだからなくことも悲しむことも出来なかったみたいな」


「考えすぎなんですかね?」

「…………。いや。考えすぎ、じゃあない。だけどな……。ああいうのは、本来色々重ねた結果行きつくもんだけどな。完全に壊れた連中ってのは」

「……それも刑務官時代の何かです?」

「そんなとこだ。当然、0歳の赤子なんて、見た事も聞いたこともねえが……いや」



 一度押し黙り。 

 考え込むようにしていた男が再度口を開く。



「抜け殻になっても、生きてる。会話も成立するし、日常生活におかしなところはない。けど、壊れてる―――お前、哲学的ゾンビって知ってるか?」

「……。いえ」

「ま、あんまり聞かないよな。簡単に言やぁ、証明しようのないバケモンだ」



 曰く、脳科学の分野における哲学。

 行動に不備なく、会話に問題がなく、客観的に何ら破綻の存在しない、只の人間。

 喜び、泣き、苦しみ……場合によっては芸術や文学に意欲的に取り組み、恋愛を経て伴侶と幸せに暮らし、やがて幸せの中で死に至るかもしれない。


 物理的・客観的な面において、何処までもただの人間でしかない。 

 では、主観的には?

 

 否。

 彼等には、主観そのものが存在しないのだ。

 内面的感情、その一切が存在しない亡者、それが哲学的ゾンビ。

 感情とはあくまで脳内活動の一環、周囲に向けた見せかけであって、実感としての感覚や感情など、何処にも存在してはいない。


 

「見た目には何の違和感もないただの人間……その実、その者をその者たらしめるアイデンティティ、感覚質(クオリア)を欠片と持たない、からっぽの存在。ある種、ゲームでいうNPC……。要するに、そんなとこだ」

「けど、あの子は……」

「赤子、だろ。見せかけの日常生活すらあったもんじゃねえ、泣くだけが仕事だ。だからこそ、表層に出てきたんだろ、壊れた素が。なにを考え、何を感じてるか……。どんな感情を抱いてるか。そんなもんが、アレには何一つねえんだって。生まれながらに死んでる、空っぽの器だよ。どんな風に生きてくのか、想像する事も出来ねえ」


 


「確か、名前は……」




「―――――月見里留美」




   ◇




 最初の記憶って何だったかな。

 あったかな。 

 いや、あったかかったかな。

 そうだ「大声」と、「衝撃」と……、「暖かいの」

 

 あと、赤いのが沢山……。



「―――夕焼け……。あれよりもずっとずっと朱かったよね、確か。それで、ばーーっと広がって……それで……、それで?」

 


 園でボーっとして、帰ればだだひろい家の縁側に座ってボーっとしてるうちに終わる。

 そんな日々が、四歳である私の日課だった。

 


「留美。いつだっていつの間に帰ってきているな、お前は」

「お? ―――……。あー、お爺様だー。……だよね?」

「そしてなぜ疑う」



 振り返れば、そこには音もなく推定お爺様が居る。

 何故と問われれば、顔が分からないからと言える。


 今時こふうな着物を身に付けている彼は、当然のように縁側に座る私の隣に腰掛けて。



「園での様子、聞いているぞ。ただ座ってボーっと座っているだけ、と。まるで老人だな」

「お? ……えへん?」

「褒めてはいない。むしろ楽しいのか……? ひどく長い一日に感じるだろう、日中も家でもそれでは」

「うん……うん?」



 どういう事?



「長いとか、短いとか……違うんじゃないの? それ。さてはまた騙そうとしてるね? 私だって勉強したんだ、時間の流れは一定なんだって。どんな時だって、時間っていうのは一定に、ただ流れるものだって」

「うむ。それは正しい。よく学んでいるな」

「わああーー」



 いつも通りに髪をクシャクシャされる。

 同じ年齢くらいの子たちが幼稚園だとか保育園の先生とかに同じようなことされてるのを見たことはないよ。

 私は只座ってボーっとしてるだけだけどさ。


 ともかく、時間の流れは同じはずなんだ。

 短いとか長いとかない筈なのに……、なのに、どうにもお爺様の言い方は……。



「あ、でもお爺様の武勇伝を延々聞かされるの。アレは良いね」

「む。うむ、うむ……! 流石は我が孫娘よ。分かってくれるか! あれは実に楽しいだろう? そうだ、それが時間の流れが変わるという事で―――」

「知らない言葉が沢山出てくるだろう? 勉強になる。うん」

「……内容自体への感想ないの? 孫」

「内容って?」

「……。楽しい。わくわく……感動。あるだろう? 何か」

「うーん。絞り出す? 私頑張るよ?」

「この小娘……!」



 ………。

 もしかして、楽しいと時間は速くなるの?

 じゃあ、私はそれを知らないから変わらないのかな。



「けどわかんないな、楽しいって。皆、いつも楽しいとか、悲しいとか……そんなことばっかり言うんだ。泣いたり、怒ったり……って。それって、楽しいことなのかなぁ?」

「……ふむ」



「―――――」

「わ」



 お爺様が急に大声を出した。

 私を驚かせようとしたのかな。



「……。今のは何か分かるか?」

「大声」

「では、――――。これは?」

「大声?」

「……。区別がつかぬか。成程な」



「……ルミ。例えば、私は常に憤っている。私の―――」

「いきどおて?」

「憤る。怒っている、という意味だ。私の手品を見て、やれ化石の安っぽさやら、技術が欠片もやらとケチをつけ。挙句VFXだのボリュメトリックビデオだのと……聞きかじっただけの知識で穿った見方しか出来ない者たちにな」

「難しい言葉を使うね、老体」

「ふ。―――常に憤っている。……或いは、常に楽しんでいる。常に、哀しんでいる。身近にある全てに浸り、常に刺激を受けている。若さの秘訣だ。だからこそ、分かる。刺激がないというのは……悲しいものだ」


 

 ………。

 悲しい。

 それって、どういう感じなのかなってずっと思ってた。

 けど、どう表現するべきなのか分からなくて―――お?



「……鳥?」



 隣から口笛が聞こえてすぐだった。

 目線のすぐ先にある軒先に降り立って動き回り始めるソレ等……お爺様が老後の趣味で育ててるらしい。

 勝手に飛び回ってるから、気付けばいることもあるけど……今回は呼んだのかな。



「鳥じゃない。ハトだ」

「鳥だよね?」

「違う。それがカワラバト」

「んー……」

「キジバト」

「……………」

「カラスバト……。ちゃんと、それぞれに違いがあり、当然にそれぞれ名前がある。さても、さても。我が月見里の申し子よ。その違いは分かるか?」



 ………。

 一羽目は……うん。

 二羽目は? ……三羽目も、四羽目も……。



「ん、全部同じに見えるよ」


 

 全部同じだよ。

 だって嘴があって、羽があって、足があって……。



「ルミ。人は?」



 どうしてお爺様は首を傾げたんだろう。

 ………そして、その質問は?



「……って言うと?」

「人は、どう見えているんだ。この、ハト……鳥たちと同じように。ここで雇っている人間。園の友人たち。それらはどう見える?」

「どうって」



「同じだよ?」

「……………笑い声、泣き声。先程の私が見せたそれらは……」

「園でも大きな声はよく聞こえてくるね。多分それじゃないかな。そのうちの、どっちかなんだね?」

「笑うも泣くも同じもの……と。表情から読み取る、という事はしないのか」



 うーん。



「分からないね。だってほら、あれだよ。この前言ってたんだ、皆が。鳥とか魚は、嬉しいのか悲しいのか分からないって。だから、虐めて良いんだって。多分それと同じ―――……お?」

「成程、な。道理で私の話に欠片の興味を持たなかったわけだ。ハトの表情が読めぬのだから、人間も同様。そもそも理解できぬものであると。お前にとっては人も鳥も魚も同じ、と」


 

 私の頭に手を乗せているお爺様。

 エスパーだ。

 多分、直接私が何を考えているのか抜き取っているんだ。



「相分かった。しからば……自然に任せてみるもよしと思っておったが、やはり簡単ではないな。ならば。フフ……さても、さても……。奇術師としての血が騒ぐじゃないか」

「……お? もしかして新しい手品とか見せてくれたり……あれ?」

「顔だ。私の顔を見ろ、ルミ」

「……えっと、どなた?」



 目の前のお爺様の顔が変わっていた。

 変わるっていうか、虹色なんだ、顔が。

 

 流石の私でもこういう変化なら分かるよ?

 ちょっと意味わからないけど……っていうか、お爺様がそういう事やってるから私が人の顔を覚えたり表情っていうのを伺うことが出来なくなるんじゃないかな。

 


「私、分かるようになるの?」

「さて……、な。しかし、何かのヒントにはなるだろう。そら―――開幕」



「……ぁ、れ……?」



 光った―――彼の瞳が、光ったんだ。

 視界が明滅する。



 ………。

 ……………。



 ………。

 気付けば、私は薄暗くて大きな空間に居た。

 ふかふかの椅子……おそらく特等席というべき観客席で―――大きなステージの上にはさっきまで私の隣に居た筈のお爺様が立っている。

 周囲には凄い沢山の人たち……お客さんが。

 私の周りにもそれらは居て。



「「―――――」」



 むちつじょで、むぞうさ……色々な声が聞こえる。

 混ざり合って、何処までも響き渡っている―――そんな中で。



 コン、コン……。


 打ち鳴らされたステッキの音が響き渡り。

 それが水面に波及した波紋のように、人たちの声を奪っていく。


 黒いマントがふわりと広がり、わさわさ揺れる立派なひげ……カイゼル髭? っていうんだっけ。

 揺れる布、何気ない動作、それすらも魔法のような力があった。


 幾つもの大きなスポットライトが一点を照らし、その中心に立つ影。

 既にそこにいる全ての注目を集めているのは、彼と、今にマントの影から現れて彼の肩に乗った……あれって。



「さて―――感情、というものを。諸君らはどう思う?」

「キキッ」

「キーー!」

「泣いたり、笑ったり、怒ったり……。それをする事で、どういう結果があるのか。私は常々疑問に思っていた」

「「キッ、キキーー!」」



「……そう、例えばこの猿たち―――なんぞ、予定にないぞ? 何処から迷い込んだ? 髭を引っ張るな。飼い主、今すぐ出てきたまえ。迷惑だ。私がこの髭に幾らの保険金を掛けていると思っている。賠償ものだぞ、これは」

「「―――――」」



 一瞬で大声が空間全体に広がる。

 皆が大声を出している。

 ……泣いてる? 怒ってるのかな? どれなんだろう。



「名乗り出ない? 結構。ならば丁度良い。このオマキザルたちは今回の題材に使わせてもらうとして……おっと」


 

 両肩に乗った子猿たち。

 それらは、両脇から綱引きを楽しむようにお爺様の髭を引っ張り―――と、つるんと髭が抜けてしまう。



「……、キ?」

「キ、キーー!? ……キッ!」

「キキッ!」



 二つに分かれた髭……子猿たちが自分の顔へ、お爺様の真似をするように付ける。

 それは、人の腕ほどの身長もない彼等が付けるとひどく大きなものに見えて。



「返したまえ、良い子だから」

「「……………」」

「―――ご褒美をあげるから。ね? ほーら、この袋には何が入っているでしょう?」

「……! キ!」

「よくできました。はい、ブドウ。次、君だ」

「キ!」

「はい、よくできました……と。はい、キュウリ」

「キ! ……キ?」



「Inequality aversion……。猿を使った不平等実験を知っているか? 諸君」



 付け髭を付け直し、付いたと思ったらまた奪われ。

 返してもらう、奪われる……返してもらうたびに、またご褒美を袋の中から出してあげる。


 その行動が何度か繰り返され、彼は何度もサルたちにご褒美を上げた。

 ……。

 一方のサルには緑の大粒のブドウを一粒、もう一方のサルにはブドウと同じくらいのサイズに切ったきゅうりを与えている。



「―――キ? ……。キキーーッッ!!」



 やがてその事に気付いたのか、キュウリばかり与えられていた一方のサルが身体を大きく振るわせて……これは?



「見えるか、分かるか。不公平……、そして怒り―――イタタタタッ! 熱ぅッ!?」

「「―――――」」



 何処から取り出したのか、キュウリ猿がマッチを擦って彼の髭に火をつける。

 暴れる、暴れる。

 言葉から、サルは怒っている筈なんだ。

 じゃあ、その様子を見ている、この空間に無数にいる人達の大声は?

 次第に、どんどん大きくなっていくそれらは―――これは、なんだろう。


 同じく怒ってる?

 それとも哀しんでる? 楽しんでいる?

 猿が怒っているのだから、多分楽しんでるという事はないだろう。

 それじゃいじめっこだ。



「どう、どう……、ぶどう」

「「……………」」



 ……気付けば、怒っていたサルは一度に四粒ものブドウを与えられてご機嫌のままに大人しくなり。

 お爺様がお猿たちの顔の前で指をくるくる回せば、どちらも寝そべり大人しく―――寝てる?

 そのまま、二匹とも運ばれてきた檻の中に入れられて。

 身じろぎせず、裏方に運ばれるようにして幕内へと消えていった。



「Three in the Morning and Four in the Evening……。朝三暮四。中国の諺だが。猿を喜ばせ心を奪う事は、まさに袋の中から餌を出すがごとく、容易い。代償は払ったが……な。あのクソ猿め。次もきゅうりだな」

「「―――――」」

「さて。今回の話題へ戻ろう。感情というものを語るにあたって。私のような顔の良い人間をして、よく言われる言葉がある。―――心を盗む、だ」



「まさに怪盗であるわけだしな。あぁ、それも良いだろう。何せ、私が心を奪った相手は性別を問わん。人気者はつらい」

「「―――――」」

「今日も……ふむ。盗み甲斐があるな。客席は中々に美人さん揃いじゃないか」



 今に、彼はこちら……客席を指差して。



「16列目、左から―――別嬪さん、別嬪さん、三つ飛ばして別嬪さん……」

「「―――――」」



 「こら」、「飛ばすな」……断続的に聞こえ続ける大声に混じり聞こえる言葉の数々。



「さて……。何故笑うんだい? 君たちは」



 何処までも広がり伝播する声―――そうなのか。

 この大声こそが「楽しみ」……今までずっと、笑っていたんだね? 彼等は。

 笑うっていうのが、こういう感じのこえで、顔なんだね?

 流石の私でも、ここまで大勢……沢山の人たちがモデルになってくれるなら、理解出来るよ。



「飛ばされた御婦人方―――謝罪させてほしい。……ところで、何でおこなの?」

「「―――――」」

「先のサルたちもだ。何故、キュウリ猿は怒った? かっぱ巻きは最高だろう?」



 ………。

 何でだろ。



「どのような関連性、連続性があるのか。そうだ。人は常に自身と他者を比較し、全ての事柄に意味を見出そうとする生き物。神話など、意味を見出してきた典型例だ。―――星々、星座」



 今に、天上に映し出される星々。

 ぷらねたりうむ、ってやつだよね。



「オリオン座。……では、星が狩りを行い浮気をするか? うお座……。喰えん。絵に描いた餅より不毛な魚だ」



「特定の名前を付けたとて、決してそれそのものに成るわけではない。光が登るにも、夜が来る事も。それは単なる当たり前の摂理であって、それそのものに善悪といった意味はない。流れ星に祈ろうが願いは叶わぬし、太陽に神はおらぬし、月にウサギはおらん。光が崇高である必要も、闇が恐怖を齎す必要も、ない。ダイヤモンド……只の石ころに価値を見出す必要も、だ。この前王室から盗んだが三日で飽きてな。丁寧に連絡して返しに行ったら何故か牢屋に入れられた」

「「ははははははッ!!」」



 ………。



「は、は……は」



 大声……笑ってる。

 これが、笑ってるって事なんだよね。



「星に祈り、宝石に喜ぶ……。どうしても意味を見出そうとする愚か者どもを見続け、最終的に私が出した結論はこうだ。闇も、光も。それ自体は、からっぽで良い。どうでも良い、と。大切なのはそこではないのだと。私が諸君らに教えるべきは手品のトリックでも、エッフェル塔の盗み方でも、確定申告のやり方でもないのだと。……簡単な事だったのだと」



「最もたっとぶべきは、そこに宿る形なき感情だ。感情とは誰もが持ちうる武器であり、希望であり、我々の未来を支えるもの。質量を持つ物質であれば、持たぬ者は与えられない。だが……感情は、己が持たずとも与えられる唯一にして崇高な領域なのだ。例えば―――」



「恐怖」

「「―――――」」



 また、大きな声が上がった。

 けど、それは今までのものとは何処か違うような。

 恐らく、お爺様が何処かから取り出した(なた)で自分の片腕を斬り付けたのが原因だ。


 彼は今に皮一枚で繋がりぶら下がったソレを千切り、そして客席へ投げる。

 


「「―――――」」



 それは朱を舞い散らせながら飛んで、やがて客席に落ちて。 



「安堵」



 次第に、大声が収まる。

 スクリーンに映し出された客席……観客の数人が取り上げたのは、遠目では分からない、けどよくよく見れば造り物だと気付く、偽物の腕だと分かって。

 今にニョキっと生えてくる代わりの腕。



「ご心配なく、えぇ、大丈夫、大丈夫。見ての通りだ。結構時間と金がかかるんだ、それ作るの。ざっと10万くらい? どうぞ、お手に取って確認を」



「うむ……よく出来てるだろう? ではそろそろ返したまえ。―――ダメ? あ、そう。じゃあ、あとで十万円ね? 高い? ……3000円ね?」

「「ははははははッ!!」」



「―――笑い、即ち楽しみ。喜び……」



「……。では、今の私はそれを持っていたか。恐怖したか? 安堵したか? 心から楽しんで、それを君たちに分け与えたか? 髭を燃やされ、腕を失い―――燃える怒りの中で、それを見世物に笑われ。果たして、心から楽しんでいたと言えるか? いや、言えないな。そも、私が喜んでいたからと言って、それを君たちに与えたわけではない。他人の不幸は蜜の味……。その逆として、終始私が何もせずただ笑い転げているだけの一幕を見て、諸君らは楽しいか? つまらんだろう。金返せ、だ」



「自分が持っていないものを、他者へと与えることができる……。それが、感情。生きとし生ける全ての人間は、それを与える魔法使いの贋作に。奇術師になり得るのだ」

「「……………」」

「人が一番幸せを感じる瞬間……所謂、オキシトシンやドーパミンがドバドバな状態だが。私の持論では、それが最も起きやすいのは人の器を満たす感情を与えた時、そして与えられた時……だ」



「他には、深く考えずとも良い。意味など、深く考えてくれるな。覚えることはたった一つ……与えよ、されば求められん。人に必要とされたときは応えよ。逆に、人を必要とした時は頼れよ。さすれば、君たちは幸福に生きられる。例え、空っぽだったとしても……」



「与え、与え与え与え……与えられたものが与え。そして何処までも広がる。世界に、幸福が満ちるだろう。君たちも私のショウをお友達に伝えるがいい。私の小遣い稼ぎのために、な」



 ………。

 気取ったような一礼があり、ゆっくりと幕が閉じられていく。


 スタンディングオベーション。

 いつしか、彼等は皆が立って、手を叩いていた。

 

 私も、立っていた。

 胸の奥から、じんわりと広がっていくような―――そう、ぬくもり。

 私のはじまりの記憶に強く刻み込まれた「大声」と「暖かさ」と「衝撃」……その三つ、全てがお爺様のショウには揃っていたんだ。

 まるで、探していたもの全てが一つの場所で見つかったような。



「―――凄いなぁ……、良いなぁ……。あれ……出来るかなぁ?」



 喜べなくても、喜ばせれば?

 怒れなくても、怒らせれば?

 ………。

 私自身は喜べなくても、それを与えることはできる。

 持っていなくても、あげられる。


 私がそれを出来れば。

 世界中の人を笑顔に出来れば、いつかは私も……って。


 別に、そんな風に考えたわけじゃないんだ。

 けど、どうしてか……。


 何でか、私もお爺様みたいに沢山の人たちにソレを与えてあげたいって、そう思ったんだ。

 そして。

 その過程で、もしかしたら私と同じ人たちが何処かにいるかもって……探したいって……そう、思ったんだ。

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