第6幕:悪夢なるもの
―――あれは……、あれは?
そう?
いや、違う?
一体全体、何がどうしてそうなって―――ううん。
そうじゃない……今は、そうじゃない。
理由なんて二の次三の次か。
今私がどう思おうが、事実としてそうなのだから、とれるべき手段なんてたった一つしかありはしないんだ。
既に、策謀なんて存在しない場所まで追い込まれてるんだ。
「逃げよう―――早く逃げよう。今すぐ逃げよう。遠くへ逃げよう」
「ルミねぇ?」
「皆、逃げるよ。あれは―――、今現在の私達の手札でにどうにかできる生物じゃない」
「「は!?」」
………。
「ルミさん―――もしかしなくても……ビビってます?」
「いや、あのルミさんが、動揺……!?」
「本気ですか?」
「本当にどうしちゃったのさ」
「どうとってくれても構わないよ。皆に、私と同じ感情を抱いて欲しくないんだ」
そして、私は手が早いんだ。
そう言ってる間にはアイテム欄から今この場で最も必要なものを選択して終えていて。
「ふぅん―――えぇ。別に構わない。確かに、今は勧誘より優先すべき事が出来たのは事実だものね。あなた達は下がっていてくれて構わないのだわ」
「逆に、我々には逃げる場所など他にありませんがね。ここ、家なので。如何なさいますか? 御嬢様」
「決まってるのだわ」
私が着々とスタコラの準備を進める中、アミエーラさんの腕が前へと突き出され、幾つもの鏃が一斉に標的へと向けられた。
「撃ちなさい……! なめた侵入者をハチの巣にするのだわ!」
「「御意!!」」
………。
それは、恐らく最善手だった。
撃ちだされる、様々な効果効力を秘めたであろう魔法弓。
それは光の一矢であったり、氷礫だったり、或いは不死鳥や東洋龍、獅子などの姿を形取り、突き進む。
逃げ場なんてない程に視界を覆う幻想のあめあられ。
「……っふ」
―――声は聞こえなかった。
けれど、その存在は……それが面白いというように、クスリと笑ったように見え。
「「―――――」」
一瞬。
空間が歪んだみたいに、ソレの姿が龍よりも、獅子よりも、不死鳥よりも……そういった強さの象徴的存在を超越した怪物に見えた。
顔の見えない影は、軽くステップを踏むように、一、二と左右へ。
驚く程の速さで動いたわけでも、人体の可動域を明らかに外れた動きを取ったわけでもない。
本当に、日常の中にあるような簡単な動作。
ゆったりとした動き。
「―――避けた……?」
「―――アホな……。てか、今なんか……」
それは、まるで配下が支配者に道を譲るようにすら。
百獣、或いは具象した龍さえもが、ソレに臆したかのようにさえ見えて。
ともかく純然たる事実として、全ての攻撃は外れた。
―――ゲーム世界だよね? ここ。
「成程、ね……。確かに化物染みた反射能力なのだわ」
「えぇ……途轍もない先読みです。これは―――敵、礼を失した侵入者でなかったら、今すぐにでもスカウトしたいところですが……」
「襲撃者なのだから仕方がないわ。それに、あれくらい、最上位ギルドのトップ層だったら出来ない事もない……。そういう手合いなんて、飽きる程相手してるのだわ! 先読みして来るなら、全部穿てばいいの。突合二段の構え―――掛かりないさい!!」
「「仰せのまま!」」
「あ、待って―――」
違う。
違うんだ。
「―――ここまでだ、侵入者よ!」
「ここは屋内……私達狩人の領域に踏み込んでくるとは、怖れを知らぬ獣同然……往生するがいい! このような平面的地形であれば……成功率は100よ!」
二段の構え……突合とは様々なデータの整合性をみる作業。
接近を得意とする前衛と、その攻撃によって生じた隙を縫うように敵を貫く後衛。
完璧な連携の成せる陣形戦術、かな?
「「打ち鳴らせ―――“蛇腹応龍”」」
今に、複数放たれた鏃は跳弾するように激しく壁と天井を跳ねまわり―――そうか。
一見、飛び込んだ前衛さんをも巻き込むような一撃。
けど……、恐らく前衛後衛いずれもが、当てない軌道、当たらない軌道を理解し、動いている。
模範解答を完全に理解しているからこその連携。
……どれだけ途方もない訓練をしたんだろう。
敵は遠距離の射撃を避けなければ当然に命を刈り取られ、左右に避ければその隙を縫い前後から襲い掛かった彼等に斬られる。
言うは易く、行うは難い……賞賛するべきだ。
シンプルかつ、最も難しく、あまりに強力な技だ。
常識の通じる相手なら、だ。
「「―――――」」
一本一振りで一人……一回転の内で二人。
たった一瞬で、ソレの握る双刃が一回転し、二回転―――華麗に舞うように、単純な円をかくように前衛四人の命を絶った。
連携を差し込む暇すら。
「……―――ティリネルッッ!!」
「……今、星は煌めき進む―――“極光の一条星”!!」
動揺はあってもブレはなかった。
番えられた矢が極光の輝きを纏い、廊下の何処にも逃げ場を創ることなく空間を喰らい進む。
絶滅の光。
これなら、逃げ場なんてない。
この空間の、何処にも―――。
「―――そと」
皆がそう認識した時、既に相手の姿はそこにはなかった。
窓の外側で空を蹴り抜き、虚を舞う姿は―――翼を持つ、しかし鳥でも竜でもない、何か。
枠の出っ張りに剣を引っかけるようにして身体を躍らせる―――地上七階……その中空から遠心力を生かすかのように一瞬で別の窓へ……屋内へ跳び込む。
埒外の動きのまま、逃げ場の存在しない筈の一撃を避け。
「ふざ―――けるなァァ!」
「くっ―――ぬぅ!!」
先の連携を生み出した後衛さん達から次々と放たれた乱れ撃ちも、その全てはすり抜けるようにして身体に触れる事すら許されない。
まるで、実体の存在しないもの。
どれだけ逃げようと足掻いても、遅々として歩みは進まないし、走っても走っても距離は広がらない。
焦れば焦る程、却って全てが飲み込まれる。
幻視する姿は、人が根源的に恐怖を覚え、畏怖する幻想の生物を束ねたような……真なる怪物。
悪夢―――これが……。
「全部―――避けた。……なんだよソレ……映画か?」
「PL、なの……?」
「ふざけろ。異訪者どころかNPCにだってあんな化け物染みた馬鹿―――馬車!?」
「皆、逃げるよ、今すぐだ」
「「!」」
「ちょ、ルミね……、マジか!? こんな所で馬車出すか!? 普通!」
「なにこれェ!?」
「馬車さんです!?」
相手が常識を着て来てないのだから、こっちだってかなぐり捨てなきゃいけない時もあるだろう?
「今すぐ乗って、そら、ルイちゃんもアミエーラさん達もだ」
「―――良いんです? じゃあ失礼……」
「え、え? じゃあ……って、何を言ってるのかしらッ。ダメよ! ギルドの拠点を捨てて逃げ出すなんて、そんな無様をギルド長である私が―――」
「いや、今この場であなたが討ち取られる、その事実の方がよっぽども無様だと思うぞ! 早く!! てか押せ、ティリネルさん!」
「―――。申し訳ありません、主」
「私が引っ張りますねー」
「きゃひゃあ!?」
いつもだったらその可愛らしい叫び声に一つ言葉の華でも添えてあげたい所なんだけどね。
今は急ぎ―――あれ?
ギルド名が冠するまま、風のようにいち早く乗り込んだ子達―――半ば強引に押し込められたアミエーラさんに、中へ引き摺り込んだルイちゃん……。
けど、共犯者として彼女を押し込んだ妖精公子さんは、自分が乗り込むという行動をとらず、すぐにドアを閉めてしまう。
「ティリネルさん? 御者席に乗りたいのは分かるけど、残念ながらこの馬車一人のり―――」
「ははは。切符を買い忘れましてね」
「な―――ティー!?」
「なあに、駄賃稼ぎにあれを倒してくるだけですよ。―――ルミエール殿。貴方ならば、任せられる気がします」
「ティリネルさん……」
―――彼の好感度を稼ぐような場面あったっけ?
「さぁ、お早く!!」
「……有り難う、忘れないよ。具体的には―――」
「はいはい、はよ!」
「別れの挨拶は時間が空いたときにな! どんだけさっきのロールプレイ参加したかったんだよ!」
だって楽しそうだったんだもん、あのやりとり。
私だって物語の一幕みたいな舌戦や攻防を……おっと。
「―――さぁ跳べ、世界巡りの馬車。私を世界の外側へ」
危険地帯から脱出する為の乗り物として、これほど便利なものもないだろう。
そら、皆も馬車を買おうね。
………。
ゆっくりと、じっくりとこちらを観察するような遅々とした足取りで歩む存在と、一瞬の隙も逃さないというように弓の弦をしならせる狩人。
今に夢幻と消えゆく世界の中……交差する両者の視線の中で……ほんの僅かな一瞬―――ソレと、御者席にいた私の眼が合う。
紅い瞳……。
長い耳……。
闇を纏うフードの隙間から覗いたソレは……その表情は、間違いなく笑っていた。
見つけたとでもいうように、笑っていたんだ。
私も―――とてもよく知っている誰かの顔が透けて見えたようだったよ。
◇
「秘匿領域に伝わる伝説の聖遺物……世界巡りの馬車……まさかフレーバー上の設定だけでなく、本当にアイテムとして存在していたとは」
「―――ふぅん。凄いわね、アレ。消えちゃったわ」
「えぇ、全く……おや?」
妖精公子の言葉に、同意するように紡がれたソレ。
誰が?
否……既に一人しかいないだろう。
「……てっきり、会話など無いのだと思っていました」
「それはあなた達が次から次と問答無用で襲ってくるからじゃない」
「侵入者が言います? まさかお茶でもって歓迎されると思っていたのですか」
「―――それも良いわね」
……言葉と共に、フードが取り去られる。
それは、女……半魔。
黒髪、朱の瞳―――自然な微笑みを浮かべる、女だ。
「女性、とは……。―――ナイトメア……最上位のギルド拠点すら陥落させる、圧倒的な暴。情報が交錯している故、数十人だったとも、たった数人だったとも。或いは……ひとりだった、とも。様々聞いていましたが……まさか、まことにあなた一人だけなのですか?」
「……………」
―――――――――――――――
【Name】 メア
【種族】 半魔種
【一次職】 魔装剣士(Lv.80)
【二次職】 道化師(Lv.9)
【職業履歴】
一次:戦士(1st) 拳士(2nd)
剣闘士(3rd) 魔装剣士(4th)
二次:鑑定家(Lv.2) 道化師(Lv.9)
【基礎能力(経験値*P)】
体力:*** 筋力:*** 魔力:***
防御:*** 魔防:*** 俊敏:***
【能力適正】
白兵:* 射撃:* 器用:*
攻魔:* 支魔:* 特魔:*
―――――――――――――――
………。
彼……ティリネルの二次職は、鑑定職ではない。
しかし、秘匿領域産の激レア装備……見通しの魔眼たる精霊眼の効果によってそれがしかと見えた。
魔装剣士―――恐らく、魔族側専用の職業。
その他、気になる事は多い、が。
「メア、と……。その、外套の下に存在するいで立ちも―――どうやらあなたが悪夢と呼ばれる理由が分かりました」
「察しが良いのね。言葉遊びよ、只の」
「それに―――別に私が名乗ったわけじゃないの……。ホントにクオンったら」
「―――悪かった、何度でも謝ろう」
「……ッ!」
再び、妖精公子の表情に緊張が走る。
今に、窓の外から軽業師のように飛び込んでくる影。
……音に聞こえた―――否、名の轟く暗黒騎士の長まで。
どうやら、万に一つとて生き残りはないらしい、と。
一瞬で思考を巡らせるままに彼は息を吐き出し。
「……はは。どうやら私の天命はここまでのようだ。ツイてないとは、まさに今の私の為にあるような言葉」
「妖精公子ティリネル……人界ギルドランキング四位の大ギルド団員にして、最高峰の遠距離職」
「……光栄ですよ、暗黒将軍」
「―――知り合い?」
「いや。名のある猛者だ。統一大会でもベスト16……8位? 県内には入っていた。前衛有利の戦場で、だ」
「へェ。……成程、強いわね。貴方も」
「―――照れますね、私など軽く蹴り飛ばせる強者二人が、そこまで褒めてくれるなど……そこまで上げられると……」
「諦めていない。今の自分に出来る戦い方を、全て分析している……そういう眼、そういう身体の置き方」
「―――……。どうやら、貴方は精霊の瞳以上の。悪魔、或いは魔王の瞳を持っているようだ、麗しき悪夢殿」
「ふふふっ」
情報を引き出す、という点でこの会話も悪くはなかった。
だが、それは後手に回るということでもあり。
今の己に、そのような口戦に使うような容量など無いと。
今に、妖精の狩人は息を吐き出し、十メートルほどの先にいる悪夢へと、矢を構える。
一矢で仕留める。
しかし、二人共を倒そうなどとは考えぬ。
ただ一人。
あの、悪魔だけを瞳に捉え……彼は矢を番えるのだ。
「破魔矢。古来より、悪しきを祓うは我らの仕事。妖精賛美団員、ティリネル。参ります―――」
◇
「……。アスター、シフォン、メレク、レルニラ……フルフル、―――ティリネル、これで、全員」
「あの拠点にいた団員は、みんなキルされたわ」
「妹ちゃん……」
………。
虚空を進む幻想の馬車。
駆動音すらない、静謐の空間。
後ろから聞こえてくる会話は、あまりによく響いて。
「ふ、ふふふ……あはっ。あなた達も、笑ってくれていいのだわ。ついさっきまで圧を掛けてた側が、たった一瞬で命を握られる側になっちゃうんだもの。追放された悪役令嬢ってこんな気持ちなのかしら」
「自惚れてますね」
「大きく出たな」
「ですね」
「しばくわよ。本当に自分が強者側だと強いわね、人って」
もしかして虐めかい?
それは良くない。
悪い子は馬車から出して虚空に放り出しちゃうからね。
「……御者さん、聞こえてますよね」
「勿論」
「えと……何でルミさんはあの人がヤバいって分かったんです? ―――いや、ルミさんだからか」
「だよな、絶対」
「おかしいわあなた達」
うーむ。
ここら辺は、私にとっても分かって当然、みたいな感じだからね。
聞かれれば、表現に困るけど。
「何故、と……敢えて答えるなら……」
「「……………」」
「本能、かな」
「だろうな」
分かってくれてうれしいよ。
「さて―――ところで、何処行きたい? 皆」
「ドライブかよ……」
「悪いのだけれど、今はそんな気分じゃ……」
いやね、目的がないと車に乗り込んじゃいけないわけじゃない。
ぶらりと、旅に出たい時だってあるからね。
けど、どんな旅路もやがては終点に到るモノで。
「いやさ。今こうして虚空を走ってるけど、目的地が決まるまでずっとこのままなんだ。最悪迷子になって一生出れなく―――」
「何処行く!? 決めるのだわ!」
「多数決、多数決!」
「甘いものが食べたいですー」
「そうじゃ―――ない! 呑気か!」
そもそも、当初の目的とは違う形。
旅は道連れ。
「道連れ、道連れ……ね」
「心中させられる! 出る!」
「だから出たら死ぬんだって!」
……元気だ。
勿論、これは皆なりの不器用な元気付け方。
心が沈んでいる人が一人いるだけで、旅っていうのはつまらなくなるものだ。
「アミエーラさん、決めてもいいよ? 何処行きたい?」
「……。何処へなりとも。どうせ、向こう二週間はギルドとしての活動なんて出来ないもの」
「―――それは?」
「システム的な問題だ。拠点陥落したのに次の瞬間には報復始めたらおかしいだろ」
「確かに」
という事は、彼女は暇人って事か。
「―――何か嫌な事考えてる気がするのだわ」
「「賢い」」
「流石は妹ちゃんですーー」
「「さすいも」」
「さすいもやめるのだわ!」
……。
目的地、か。
「じゃあさ、招待いただいた通り、残った時間で騎士王くんに会いに行こうよ。情報っていう手土産も……アミエーラさんもいるし?」
「―――? それってどういう……」
「ねぇ、ユウト。確か、ギルド長ってポイント高いんだよね?」
「あぁ。最上位ともなると、とんでもない値打ちだ」
「最悪なのだわ!? 姉さん助けて!!」
「ふえー?」
「ふえーじゃない!! 降りる! 降ろしてーー!」
冗談さ。




