幕間:メリクリチョコレイト
クリスマス。
多くの日本人にとって、それは日常を彩る年中行事の一つでしかない。
宗教的意味合いを捨て去った、一つのお楽しみイベント。
当然、そう言った歴史的な事情を何一つ知らなかった当時の俺にとってもそれは同じだったわけで。
「―――部屋の飾りつけはこのくらいで良いのかしら? もっとつくる? 折り紙リング」
「充分だろ。早く降りてこい、見ててキモが冷える。どうして何の取っ掛かりもない部屋の壁でボルダリングが出来るんだ? ゴキブリなのかお前は」
「せめて蜘蛛って言ってほしいのだけど……」
ごく少数で行われるクリスマス会。
参加する唯一の男の目の前で行われる会話。
言葉にするだけならば羨ましがられるような内容だが……、もし他の何者かが現状を目にしたのならすぐさま踵を返してドアから出ていく事は必定。
高さ四メートルを超える壁に張り付いて飾りつけを行っているセーラー服の女性と、テレビに向かい淡々とコントローラーを操作する少女。
「ユウトくん? ツリーのお飾り、出来た?」
「―――……う、うん」
目の前に飛びおりてくるのはどうにかならないのか。
本人は努めて優しく話してくれている筈だが、目を向けられるだけで背筋が凍りそうになるのは避けられない。
瞳の奥に宿った眼力……、生まれついての捕食者、強者の瞳だ。
「良いのよ? 気なんか使わなくて。いつもルミと喋ってる時みたいに気安く話してくれて」
「……………」
「ふっ。考えても見ろ。人智を超える様なゴリラを前にしてふてぶてしい態度をとれるか? 人間が」
つまり、普通にそういう態度を取れている彼女もまた人でなしって事で良いのか。
……自分も大概普通の枠組みからは外れていると思っていたが、ここ数年でその傲慢は完膚なきまでに叩き潰されて矯正され、今では常識人の仲間入りだ。
日々ツッコミ技能が上がっている気がする。
……されるがまま、髪がわしゃわしゃ。
払い除けようとした日にはこっちの骨が折れるかもしれない。
「この子、きっといい男になるわぁ。今のうちに唾つけておこうかしら」
「―――ほう? それは聞き捨てならんな、サクヤ」
狩りてきた猫のまま無心で撫でられていると、女性の言葉に何を思うか。
コントローラーを捨てて立ち上がる影。
「ソイツは既に私が予約済みだ」
え、そうなの?
聞いてない、聞いてない。
確かに前々から勧誘はされていたが、了承した覚えはない。
「いや、俺は……」
「自然界において予約とか名前を書いておくとかはないの。奪えば万事解決よ。そもそも、名前ってそんなに大事かしら? 冷蔵庫のプリン美味しかったわ」
「……は?」
とてとて……スッ。
ガチャ……。
………。
……―――パタン。
「おい山育ちロクデナシゴリラJC」
「あはっ」
「―――きっっっさまぁぁぁ!! 名前書いておいたのにッ、書いておいたのに!」
向き合う龍とチワワ。
戦力差はそれほどかけ離れているだろう。
これが何かしらの電子媒体、或いはボードゲームになってくるとこの戦力差はたちまちひっくり返る訳で、機神と原始人に変わる。
あと、多分既に俺の事は眼中にすらない。
「ふん、ふーん」
そして、彼女もまた平常運転だった。
高校生として……学園では悪名高い三人娘のリーダーである彼女は、いつも通りの無表情といつも通りの抑揚のない鼻歌のまま、室内の飾りつけを嬉々として行っていた。
「―――ルミねぇ」
「うん? あ、ツリーの飾りできた?」
「一通りは。それより、進路について相談したいんだ」
………。
夏休みの間中連絡がつかなかったり、不意に行方が分からなくなって数週会えなかったり。
そんな中でも、いつだって彼女は絶対に戻ってきてくれた。
けど。
「そんなに早く決めなきゃいけないものなのかな、将来の事って。トワさんも、サクヤさんも、ルミねぇも……。皆、前を見てて。大人になって、目の前から―――」
「アレはわたしのだ!」
「ちょっとくらい良いじゃない!」
「全部を少しっていうな! お前のお菓子も……」
「よくも!」
「……あー……、子供のまま居なくなるかも」
やがては皆、目の前から居なくなってしまうのか?
会うだけ会わせて、もう一人じゃない、大丈夫だからと……そうやってふらりといなくなってしまうのか。
与えるだけ与えて、縛り付けて。
一番大きな穴を空けて、消えてしまうのか?
「縛ってなんかいないさ。ずっと自由だよ。昔からそうだったんだ。君は何にも縛られてない。持ってるものが、以前とは比較にならない程に増えただけ。幸せになれるチャンスを、より多く手に入れただけ」
「けど、自由には責任も伴う。沢山持ってる分、払うものも多いんだ。所得税ってやつ。分かるね?」
「……うん」
ルミねぇの前だと……いや。
子供っていうのは同年代や下の世代の相手に対しては取り繕うことなく思いのままに振舞うが、上の世代……特に何かしらの強い思いを抱く相手の前では借りてきた猫も良い所。
人間の性なのかもしれない。
「それに、戻ってくるさ。私たちの帰る場所は此処なんだ。だから、それまではユウト。君が、助けてあげてね。昔の、君みたいな子を。沢山、助けてあげてね」
「……………」
「るみーー! ゴリラが! ゴリラがぁ……! 私のプリン!」
「陰湿幼女が言葉の暴力で刺してくるの! とっておきの和菓子が……、座敷童に……!」
「おぉ、よしよし……」
ところで、折角の相談もこんな空気じゃあなぁ。
どうやら互いに互いのものを奪い合っている両者は、どちらもが被害者意識の塊のようで。
「うーん。要するに、デザートがあれば良いんだろう? ―――あった。貰い物だけど、チョコレートなんてどうかな……ぁ。これ、中にブランデーが入ってるんだ。ちょっと待ってね? 私の部屋のお菓子ボックスを……」
喧嘩の仲裁にと、自らの財産をいとも容易く渡してしまえる。
元からそういう人だ。
ルミねぇはテーブルに小さなチョコの箱を置くと、急ぎ部屋を出ていき……。
見慣れないソレに、興味が移ってしまう。
「……アルコール入り……。トワさん。これ、未成年飲酒?」
「いや、菓子類なら法律には抵触しない。度数がどうあれ、な。……そもそも本当にお酒なんて効くのか? 思考力が落ちるというのは本当なのか……」
「酔う、というのには興味があるわね、実際。一つ失敬」
「ユウトも喰え、共犯だ」
「え? ―――んぐッ!?」
包装を破くまで、一切の躊躇がない。
それを人の口に突っ込むのにも躊躇いがない。
口の中に広がる、高級感のある甘味と苦み……とろりとした芳醇な香り、が……熱い!?
……。なんか。
景色が、モノクロになる―――。
………。
「起きた?」
「―――……ここ、は」
「すまなかったね。こんな事なら持って出て行けば良かったんだけど……仮に食べちゃっても、まさか洋酒入りのチョコで酔うとは思ってなかったんだ。さ、ユウト起きたよ? 二人共」
「「ごめんなさーい」」
視線を横にすれば、床に座り込んでいるトワさんとサクヤさん。
二人そろって「わたしはしょうがくせいにおとなげないまねをしました」という看板を首からぶら下げて正座している。
反省……、してるんだな。
「ルミ。そろそろ足が痺れて来たぞ。私も膝枕を所望する」
「何で私だけ膝にレンガ乗ってるのかしら。女の子に対して酷いと思わない?」
驚くほど反省の色が見えない。
しかし、立場ゆえに怒る事も出来ず、身体を起こそうとして……。
「―――ン、ぇ……。身体が……」
「重い? 熱いのかな。頬も赤いし……良いよ。少し休むと良い。ケーキは取っておくから、ね?」
「……う、……ん」
起きようとしても身体が言うことを聞かなかった。
立ち上がろうと思う事も出来ず、むしろこうしていたいとさえ。
後頭部で感じるふっくらと柔らかな感触。
額に乗せられる、ひんやりした感触……ん?
―――……あれ?
これって膝枕……。
「や、やっぱ、り……起き……」
「うん? やっぱり熱帯びてるね。二人共、ちょっと換気しよ。暖房弱めて」
「えーー。寒いじゃないか!」
「ふっ。この程度で寒いなんて、鍛え方が足りてないわね。開けたわよ」
「……イエティと一緒にされてもな」
「あ?」
「こら、喧嘩しない」
「「はいはい」」
「ハイは一回」
「「はーい」」
遠のく意識と、対照的に賑やかさを増す声。
耳奥にこだまするチャイムの音。
確かに、七海と恵那も来る頃だが―――果たして、この状況を見られたら後で何を言われるのか。
「おじゃま……うわぁ! 飾りつけ綺麗―――取り敢えず優斗ずるい!」
「ツリーも良い感じ……どうして一人だけ膝枕! 私も!」
「しー、だよ。二人共。ちょっと諸事情があってね」
……いつもと同じ、賑やかなクリスマス。
賑やかという点は一緒だが。
折角のクリスマスパーティーでご馳走に一つも手を付ける事無く眠りについてしまったのがソレが初めてのことだった。
………。
……………。
………。
……………。
「―――って事があったんだ。昔な」
「えぇ……」
「反応に困る話やめーやシスコン」
「なんか……昔から賑やかだったんだね、ルミ先生周り」
「懐かしい話ですね。あの後、私達二人もチョコレートに手を伸ばそうとして……」
「結局一つを半分こしたけど、全然酔えなかったんだよねぇ」
「まぁ、そういうわけだからな。こっちに一般的なクリスマスの感性を求めてもらっても困るんだ。常識が通用しない手合いしかいないからな、基本的に」
「こーの主人公属性」
「皆で優斗だけオルトゥスの属性増やしてもらうように申請してみない? 運営に」
そもそも酒についての話から話題が飛んだだけだろ。
聞きたいというから話したのに、聞かせたらこれだ。
……とある古い喫茶店の一角。
最近ではとんと営業していなかったから、てっきり廃業かと思っていたが……時代の変化と共に拠点を移していただけで、年に数回だけこっちを使うこともあるとの事。
不在でも自由に使って良いって、どれだけ信頼されてるんだろうな。
と……、窓越しに伺える玄関。
不意に灯りがつき、ドアの開閉音がする。
「めり~~くりすま~す。良い子の皆、よい子にしてたかな。サンタさんが美味しいケーキのセットを買ってきたよ」
出たな。
中身の見えない紙袋を手に、揚々と店内へ入ってくる影。
浮世離れした……まさしく金色としか表現できない髪を一本に束ね、朱と白の服に身を纏った女性は無気力にも不機嫌にも眠そうにも見える無表情のまま、ご機嫌なステップを踏んで制服姿の皆に出迎えられる。
「サンタさん! 最高のプレゼントさんです!」
「可愛い系ファッションルミねぇ最高! それ寒くないの!? 写真撮って良い!?」
「三千円ね」
「おい、サンタ」
「うわぁ……、妙に生々しい金額ぅ……」
夢見る子供に現実を見せつけていくスタイル。
小学生にねだった時より明らかに値上がりしているし、高校生にとっても三千円は結構な額だ。
しかし、それだけの価値は確かにあるかもしれない。
普通ならばまずコスプレの域を出ることはないだろうサンタ服が……何だ、これ。
取り敢えず性癖は歪めておきたいという感じだ。
果たして、何処にあんなものが売っているというのか。
特に、艶めかしい脚部を覆い隠すスカートと黒のストッキングが……これ以上の言及はやめておこう。
「なんてけしからん! 俺も撮影させてください! 三アングルくらい! 一万円からで!」
「僕も正直どうかと思うね、これは。健全な男子高校生には刺激が強すぎるよ」
「ガン見しながら言わないで」
「大概二人共血走ってますね」
「血迷ってるの間違いでしょ。ところでケーキだよ! ケーキケーキ! どんなの買ってきたの!? チーズが良い! チョコでも可!」
「そりゃもう大容量さ」
「質の方も重視したいのですけど」
「私はホイップクリームの奴が食べたい気分かなーー……ん?」
我慢できないと、テーブルの袋に手を伸ばす女性陣。
しかし出てくる出てくる、上白糖、薄力小麦、パックの生クリーム、卵……。
「材料じゃねーか!!」
「ケーキセットってそっちぃ!?」
「ルミ先生!? 食事の方は任せてほしいって話だから何も準備してないんですけど!」
時刻としては既に18時頃。
これから作るにしても、設備はともかく焼きたての生地ではクリームが溶けるしヒンヤリした美味しさがまるでない。
「クリームも馴染まないぞ……。どういう事だルミねぇ。ケーキは馴染んでからが勝負なのに」
「「そうだそうだ!」」
「二日目のケーキがジャスティス!」
「……全く、話は最後まで聞くものだよ? 私はただケーキのセットとしか言ってないじゃないか」
「だからソレが顰蹙を買ってるんだが」
「なら、弁明の機会を求めるよ。ほれ、こうして、ね……」
今にサンタへ襲い掛かりそうな健康優良高校生たち。
宥めるように左手を胸に、右手を横に広げてお辞儀のポーズをとった彼女は―――中身の空になった紙袋を折りたたんで小さくし始める。
既に、何かが始まる予感を皆が感じていた。
「で、魔法の袋を作って広げて……さて。じゃあ、何が欲しいのかな。今からじゃ遅いかもしれないけど用意できるかどうか試してみるからさ。まず飲み物は?」
「ジュース」
「オトナの飲み物」
「スパークリングワインみたいなヤツ」
「ええ、……と。何かないか何かないか、がさごそ……ほい、お待ちどう」
「「!」」
出てくる出てくる。
一度は折りたたまれた、間違いなく何も入っていなかったことが確認できた紙袋から、出てくる飲料の瓶が二つ。
栓もコルクで、高級感のあるジュースだ。
「すげぇ……」
「流石ルミさん……」
「そういう……! クリスマスはそういう趣向ですか……!」
「なんか地味だね」
「ですね」
観客の評価は半々。
確かに見た目のインパクトはあるが……昔から奇術に触れている面々の食い付きはそうでもないな。
単純に、トリックが分かりやすいのもある。
恐らく裏側に切れ込みの入った紙袋をつくり、開け口から手を入れて切れ込みからコッソリ出す……後は死角となる服の中に元々隠してあったものを取り出したように見せたんだろう。
多少マジックの心得があるなら誰でも出来る―――。
「当然ケーキも欲しいよね。あとチキンと、オードブル、プレゼントと……」
……。
服の中に元々隠してあったものを取り出したように……服の中……。
そうはならないだろ。
物理法則って何だ。
何で皿に乗った状態のケーキやらこんがり焼けた丸鳥が出てくるんだよ。
「本当に何でも出てくるじゃん!」
「凄い紙袋です!」
「さぁさ。今ならこの封筒がたったの五百円だ。ただし、おひとり様一点限り。買うなら今の内だよ? 本日クリスマスセール限定の大特価だよ」
「―――今日やたら金にがめつくなってないか?」
見ようによっては訪問販売に宗教的側面が悪魔合体した一番怪しいやつになって来てるが。
こんな場面、それこそ誰かに見られたら誤解なんてレベルじゃ……。
「皆さん! 私達が来ましたよ! こんにちは―――……」
「わ~~……お?」
………。
「場所を間違えたみたいです。行きましょうか、寧々さん」
「うん?」
不意に喫茶店のドアが開いたものの。
現れた高校生よりも大人びた雰囲気を持つ女性は、もこもこの耳当てを付けた少女を連れて回れ右。
歩き出そうとしたところで回り込んだ面々が取り囲む。
「いらっしゃいお二人さん!」
「初めまして寧々ちゃん! ……あ、取り敢えずハクロちゃんの方が良いのかな」
「あぅ……誰?」
「クオンだよー」
「……! おー……!」
「麻里さんはこの間ぶりですね」
「えぇ。文化祭の折はお世話に……」
一応、招待客はコレで全員か。
皆が店内へ入ったことを確認し、いつの間にか御馳走で満たされていたテーブルへ案内。
全員がコップを持ったのを確認する頃、主催が音頭を取る。
「では、えうん、えうん。コホン。本日皆様にお集まりいただきましたのは他でもない。思えば、今年一年も―――」
「それ長くなる?」
「でしたらカットでお願いします」
「……オフ会と、クリスマス会と、少し早いけど忘年会。諸々を兼ねて、始めようか。プレゼント交換もあるよ。楽しんでいってね」
「「乾杯!!」」
………。
……………。
「……結局あのケーキの材料って何だったん?」
「余興で作ろうかなって。折角だし」
「作ったのどうするんですか?」
「私が後で独り占め」
……和気藹々と、ゆっくりと過ぎ去る時間。
食事が終わればプレゼント交換にレクリエーション……夜は長く。
「作っちゃう? 本当に。えぇ、っと……カップケーキとかならすぐに出来るかも」
「ケーキ……!」
「どちらにせよ、クリームとかくらい冷蔵庫に入れておいた方がよさそうだな、流石に―――ん?」
ひとまず紙袋と材料を整理していると、袋の中に小さな箱がある事が分かり。
取り出したのは……ブランデー入りチョコレートの箱。
飾りつけにでも使おうとしたのか?
いや、あの人の性格なら個人用か。
……あの時と同じブランドだ。
記憶力のお陰か、はたまた当時のインパクトが強すぎたせいか……微笑んでしまいそうな懐かしさに、思わず箱を開け……
「……あっ」
「ふふん。まだだーめ」
今や目線もこちらの方が高く、しかし簡単に横からひょいと取り上げられる。
「お酒は二十歳になってから、ね。……あむ」
「……はは。一緒に飲んでくれるのか?」
「勿論さ。時間はいっぱいある―――んう……? ユウト、背伸びた?」
「ルミねぇ。それコートスタンドだ。まさか……いや、流石にチョコのブランデー程度で」
「酔ってた人いたやん」
「らしいな」
「……ん? ちょこ?」
「何の話ですの?」
「いやね? 昔の話なんだけど―――」
皆の腹が膨れてきた頃、再放送が始まる余興話、賑やかになる店内。
最初は、家族だけで祝うクリスマス。
やがて誰かと祝うクリスマス会。
年の数だけ、色々な形のソレを経験してきたわけだが。
この人に出会ってから、楽しくなかったそれなんて……記憶に残らなかったクリスマスなんて、一回だってなかったな。
今回も、そんな思い出が……最高の思い出の一つが、追加されそうだ。




