追憶(3):ちょっと違くても良いんだって
「七海ちゃん、また明日ねーー」
「う、うん。またね、マナちゃん」
「あ、ナナミちゃん。また明日ぁ」
「リリちゃん、また明日」
下校の最中。廊下を歩いていると、違うクラスの子たちに声を掛けられる。
初めは戸惑ったし、殆ど知らない子たちに名前を呼ばれるのはびっくりしたけど。
でも……相手の名前を覚えるのは、嫌じゃなくて。
むしろ、名前を聞いて覚える。
それが楽しかった。
……相変わらず、肝心のクラスの子たちとはあまり上手く行っている気はしない。
前ほど無視って感じじゃなくなったけど、何処か変な空気だ。
声を掛ければ挨拶はしてくれるし、変な事は言われない。
けど、向こうから積極的に話しかけようとはしてくれない。
『距離感が掴めないだけだよ。本当は、話したいんだ。でも、以前の後ろめたさがあるのと、皆まわりに合わせているからね』
『……うーん』
あの人はそう言ってたけど。
私自身は、これからどうなっていくのかなって、不安で。
他のクラスの子たちだって。
いつまでも、今のままでいてくれるわけじゃない。
こういう空気は、いっかせいだって優斗君も言ってたから、自分から次へ次へと考える、攻めるんだぞって。
―――今日も、居るよね。
……………。
……………。
「―――やぁ、ナナミちゃん」
「ルミおねぇさん!」
果たして―――あの人は、やはり今日もそこに居た。
毎日じゃないけど。
不安になった時、私は大通りを横道に入って行った空き地に行く……やっぱりほぼ毎日。
行って、その日の話をして。
「今日は、アイナちゃんに話しかけた。お話しながら給食食べた。あと、ハジメ君がなくした消しゴム一緒に探してあげた」
「ほう?」
「……えらい?」
「素晴らしくね。ほら、良い子良い子」
どうしてこうなったのかは、自分でも分からない。
撫でられるのって、どうしてこんなにうれしいんだろう。
もしかして、これが恋?
「人が一番幸せを感じる時はね? 誰かを助けた時と、誰かに助けられた時なんだ。少なくとも、私はそれを肯定する。きっと、それは真実さ。本当に偉いね、ナナミちゃんは」
「こうていって?」
「偉い人の事。うんうん頷くのが仕事なんだ」
つまり―――私のしていることに、うんうん頷いてくれる……って事?
余計に意味わからないよ。
「……でも、あんまり変わってない気がする」
時折思うのは、ソレ。
おはようを言って、一緒に給食を食べて、いっぱい話して、探し物をして。
勉強を教えてあげたり、またねって言ったり。
「でも、明日になったら。また戻ってる気がする。勇気を出して、おはようって。言う所から」
今日もそうだった。
昨日沢山話した子は、今日にはちょっと遠くなっている感じがして。
一昨日話した子、その前に話した子。
積み上げた物が、目を離した瞬間にはなくなっている気がして。
自分は、意味のない事をしているんじゃないかって。
「確かに、それはあるね」
「……………」
「よくある事さ。日を跨ぐと、接し方に戸惑っちゃうっていうのは。私達の本質として、殆どの人間は、無関心だからね。好きとか嫌いとかじゃなくて。ただ、まわりの人に合わせているだけ。空気がそうなんだろうと感じたら、一気にソレが最大になっちゃう」
無関心。
だから、皆……周りに合わせて、積極的に話そうとはしてくれないの?
「けど……、それで関係が振出しに戻る訳じゃない、決して。子供の記憶力はね? 大人より、ずっと凄いんだ。仲良くなるのも、嫌いになるのも、本当にすぐなんだ。そして。大切な記憶は、決してなくなりはしない」
「きっかけ一つあれば、黒も白さ」
「おまじない?」
「そ。君が信じる限り、私のおまじないはずぅっと有効さ。時間は沢山ある。ゆっくりで良いんだよ」
時間は沢山。
確かに、まだまだ私は一年生で……でも。
だからこそ、あるのはばくぜんとした不安で。
例えば、優斗君みたいに。
自分が「そう」なっているのが考えられないからこそ。
「……本当に、私、仲良くなれるの? 皆と、誰かと」
「なれる。君の未来はこれからさ。教えただろう? 呪いなんて、読み方次第。いつでも福音に転じられるんだって―――皆、変えられたんだよって」
この人は、相変わらず表情を変える事無く。
しかし、絶対に大丈夫だと断言して。
……不安は、ある。
きっと、これからも……私は毎日のように、ここへ来るって分かる。
「大丈夫。君に出来ない筈がない」
でも、どうしてか。
諦めるって考えだけは、全然浮かばなくて。
私は、この優しい掌の温もりを……この人の事を信じてみようと思った。
◇
「嗅覚の異常発達……。確かに、珍しいわよね。多分?」
「感覚狂ってるぞ、サクヤ。人間の場合、確実に珍しい。この子の精度ともなれば、それこそ天文学的だ。普段嗅覚お化けの野生動物ばっかり相手してる影響が此処にも出てたか」
難しい会話だ。
いや、正確には、普段のあの人の言葉と大差ないのかもしれないけど……。
「―――ま、良いわ。こんなに可愛いんだから、そんなのどうでも良いしーー」
「あう……あぅ……」
もう、凄い凄く撫でまわされてる。
あの人とは違う感じの、攻めのナデナデだ。
こんなにされたら、考えが纏まらなくなるのも当然、余計に会話が分からないよ。
広い家、広い部屋の中。
この場に居るのは私を含めて三人。
今私のほっぺをモチモチしている、茶髪でモデルさんみたいな人は、サクヤさん。
私よりほんの少し背が高いくらいで、常に顔を顰めている黒髪の人が、トワさん。
二人共、ルミねぇさんの友達……親友っていうのかな?
つまり、凄く羨ましい人達だ。
「本当に可愛いわーー、ナナミちゃん。連れて帰りたいくらい」
「山にか? 山姥連れ去り神隠しコンボになるからやめろ。またあの小学校を一面に載せる気か?」
「だーれが山姥よ。あ、お菓子食べる? アメちゃん」
「あ、あの……」
「おい、サクヤ」
「えぇ、と……。確か、この辺に……」
「おい、女郎。ゴリラ」
「―――山奥に捨てるわよ、ちんちくりん座敷童」
本当に、羨ましいな。
私には、ここ迄遠慮なく話せる「親友」って言える人が居ないんだ……って。
「んっ」
言い合う二人の様子を眺めていると。
ちょっと強い匂いがして。
出所は、サクヤさんが空けたバッグ?
「―――あっ、ゴメンなさい。ナフタリン、匂い強いものね。じゃあ、これは匂いの届かない所へポイして……換気、換気」
「……今時バックにナフタリン入れてる女子中学生が居るか?」
私は何も言っていないのに、すぐにサクヤさんは匂いの元……よく分からない何かを遠ざけて。
部屋の窓も開けてくれる。
気を遣わせちゃうのは申し訳ないな。
「あ、あの……ごめんなさい」
「……謝る場面か?」
「感じ方の違いね。唯我独尊には分からないでしょうけど。でも……ナナミちゃん? 気にする事なんてないのよ? ここにいるのは、貴女と同じように、ちょっと変わった子……望んだわけじゃないけど、人とは違うものを何処からか持ってきちゃった子ばっかりだから」
「誰も、それを攻めはしない」と。
優しく微笑むサクヤさんは、なふなんとかをポイするついでに、部屋の隅にあったソレを持ってきて弄び始める。
「トワは、完全記憶持ちのコミュ障……サヴァンなんちゃらって言ったかしら。優斗君もそれに近いわ。私の場合は、ちょっと身体が丈夫すぎるみたいだし」
そういいながら、お姉さんは―――30って書かれてるダンベルを片手で弄んで。
やがてカーペットに置かれたソレを試しに触ると……ピクリとも動かない。
床にくっ付いてるみたい。
あり得ない程重いよ、コレ。
「凄い……」
「でしょでしょ? 学術上では……何だったかしら? トワ」
「ミオスタチン関連筋肉肥大。力持ちになるだけの、持ち主に似た単純さっぱり能力だな。あと、私と優斗のソレは厳密には全く違うぞ。サヴァン症候群とギフテッドの違いで―――」
「その手の話は別に良いわ」
トワさんは、凄く頭が良いらしくて……彼女の話は、大体全く分からない。
それは、サクヤさんも同じなのかな。
彼女は、再び私へと両手を伸ばしてくる―――来る!
「それより、問題なのは……七海ちゃん。貴女、もっと可愛くなれるわ!」
「うぇ!?」
また撫でまわされる。
あと、まーっさーじ?
溶けるみたいに気持ち良くて……身体がほぐれていく感じがする。
「表情筋、鍛えるの。で、取り敢えず、学校でも出来る限りマスクは外しちゃった方が良いわね。可愛い顔してるんだから、笑顔見せつけないとソンソン」
「……恥ずかしい」
「慣らして行かないと。匂いの方も、ずっとマスクを付けてると更に変化に弱くなっちゃうし。その分感じるストレスは好きな事とかで発散するのが良いかもね。もう、いっその事刹那的に生きるような感じで、ストレスフリーな性格を目指すの、どう?」
せつなてき……?
この人たちと話していると、やっぱり難しい言葉が多い。
でも、好きな事……うーん。
本当に何でなんだろ。
頭に浮かんでくるのは、どうしてかあの人の顔で。
「あの。トワさんも、サクヤさんも―――」
「お姉さんね」
え、と。
「お姉さんよ? ナナミちゃん」
「……サクヤお姉さんも、優斗君も。皆、あの人に声を掛けられたんですよね?」
「ん、幼稚園の頃にな」
「そ。まだ話してない範囲でも、色々あったのよ? いつだったかしら。トワがルミを監禁したり……」
「おい、それ以上は友情に罅だぞ」
本当に……ちょっとズレてて、凄く不思議な人たち。
凄く変わっているけど、優しくて本当に凄い人達。
こんな人たちを集めている人は、いったいどれ程……。
「じゃあ、ルミおねぇ……さんは?」
「「……………」」
「生物学的な問題で言えば……只の、本当に普通の人間、らしい」
「普通の人間らしいわね、アレで」
そんな。
まるで、普通の人間じゃないみたいに。
「例えるなら、哺乳類の癖に卵を産み、乳がないのに母乳で子供を育てる。一部の魚類にしかないセンサーを持ち、爬虫類の特徴を持つ。クリエイショニスツ・ナイトメア……創造論者の悪夢みたいなヤツだからな、アレは。アレを只の人間と定義してしまうと、ではそこらを歩いている連中はどれだけ人生を楽しめていないんだと。どれだけ人生怠けているんだ、と。そう思える」
難しい言葉をつらつらと放ちつつ。
窓から外の景色を眺め、道行く人たちをあきれ果てるように見物するトワさん。
人間観察ってやつかな。
やる人の気が知れないって優斗君が言ってたけど。
「ただいまーー」
と、その時。
聞き慣れた声と共に、ドアの開く音が聞こえてくる。
買い物に行っていた家の主が帰って来たんだ。
「やぁ皆、お待たせ。いやぁ。相変わらず、あそこのスーパーは品ぞろえが良くて助かるね。近くにある事に感謝感謝。あ、色々あるよ? 塩、のり、コンソメ……」
「ポテチばっかりじゃないか! チョコって言っただろ!」
「勿論あるよ? ほら」
「……チョコ掛けポテト……また変なもの買ってきて」
家主の帰りで、一瞬にして賑やかになる室内。
本人は声が大きい方でも、よく笑う人でもない筈なのに……どうして、居るだけでこんなに賑やかになるのかな。
お菓子、ジュース。
買ってきたモノを開けて広げて、今にパーティーを始める三人。
不意に天井を見上げたルミおねぇさんは、首を傾げて。
「ねぇ、トワ」
「うん?」
「―――創造論者の悪夢って、なんのこと?」
……さっきの話聞かれてた!?
いや、そんな筈ないよね。
じゃあ、猶更どうやって?
「ガッデム。口元見られてたか」
「というか、ずっと窓の外見てたのに。ルミが帰ってきてるの気付かなかったの?」
「目立つのに目立たないんだよ、コイツは」
「置物ってよく言われるんだ。嬉しいよね」
何処に嬉しさを感じる要素が?
私の隣に座り込み。
ガサガサと、色々なお菓子を取り出していく彼女は―――でも、ずっと答えを待つかのようにトワさんの顔を覗きんでいて。
怖いよ。目もそうだけど、何もかもが怖いよ。
何でチラリとすら見てもないのに正確に箱開けたりジュース人数分注いだり。
「悪夢って、誉め言葉じゃないよね? もしかして、悪口?」
「あーー、その、だな……」
「何のことなの?」
「ほ、ほら! カモノハシさんの事だ……!」
「おぉ、カモノハシ……! 良いね、カモノハシさん。私好きだよ。爪に毒持ってる所とか」
「―――じゃあ、食べようか」
「私塩ね」
「コンソメ」
「ナナミちゃんは? どれ食べたい?」
「……のり」
…………。
あ、納得して終わった。
良いの? 本当にその結論で終わって良いの?
カモノハシって、あのカモノハシ? そんな名前で呼ばれてるの? 嘘じゃなくて?
あと、好きな所がそれで良いの?
「なんだか、難しい顔してるね。悩み事でもあるのかな? いつでも乗るよ? 相談」
「……いつでも?」
「勿論」
―――分からない事も多いけど。
ルミおおねぇさんがそう言ってくれるだけで、大丈夫だって……どうしてか、そう思っちゃう。
私のこれからは……多分、こんな風に過ぎていくんだって。
自分次第では、もっと良いものに出来るんだって……。
もう、一人じゃないんだって。
「―――あ、そうだ。ゴメンね、ナナミちゃん。私、暫くあの空地へは行けないんだ」
「え」
そう思っていたのに。
一瞬にして、頭が真っ白になる。
「隣町へ出張なんだ。ちょっと、急に寺社巡りがしたくなって」
「出たな、ルミの病気が」
「出たわね。大方、まーた気になる子でも見つけたんでしょうねーー。優斗君の前に会った、あの子……月、月……なんて言ったかしら。元気かしらね」
「ここ2、3年で拍車掛って来たよな。特性ものひろい」
「……会えない?」
「連絡先、三人分教えてあるだろう? 勿論、この家には危なくないようにしていつ会いに来てもらってもいいし。あ、あとあと……状況によっては、ナナミちゃんにも協力して欲しいんだけど、どうかな?」
―――良かった。
会えなくなるわけじゃないんだ。
でも。
それはそれとして、別の問題が。
「……ルミおねぇさん」
「何かな」
「気になる子、出来たの? どんな子? 男の子、女の子?」
「女の子だね。神社さんの子なんだって。年齢も、丁度ナナミちゃん達と同じくらいで―――」
……………。
……………。
うわきもの!!




