第3幕:世界喰らいの大穴
「マリアさん、な。……ルミねぇが気に入った理由が分かったよ」
「ふふふ……だろう?」
彼女の後姿を見送り。
こちらへと振り向ったユウトは、自然と顔を綻ばせる。
珍しく緩い顔なのを見るに。
相当気に入ったんだろうね。
とても珍しい事だ。
「―――なぁ、航。カメラないか?」
「うーーん、残念」
「それに、もう戻っちゃいましたよ」
「久しぶりに仏頂面が取れたと思ったんだけどねぇ。何でか、コロコロ変わって不機嫌に……へへっ。多感な年頃なんだねぇ?」
でも、それだけ珍事だから。
他の皆に、あの手この手で茶化されて。
折角の笑顔が一瞬で消失。
でも、これも仲間故かと。
顔を顰めたユウトは、一つ溜息を吐き。
そのまま、急かすように言葉を切り出す。
「一応、目的は達した。マリアさんもお開きとは言っていたが―――この後は、どうする?」
そう、今後の事なんだけど。
大規模ギルドの事を考えるに。
また、彼女が一緒になって遊ぶというのは、かなり先の話で。
それ迄、この先へ行く事を待つのは現実的じゃない。
そもそも、彼女自身は。
既に、新たな世界……秘匿領域へ行った事もあるだろうし。
「うーん。ここはやっぱり、あと少しって所だね。ログアウトしなきゃっていうのは、あるんだけど……」
「ここ迄来てお預けって言うのも……ちょっと酷だしな?」
なれば―――先へと進む。
どの道……いや。
定められた道が、すぐそこに存在しているんだからと。
「じゃあ、決まりだ。手っ取り早く、入り口へ飛び込みに行くか」
話は纏まったようで。
活気のある大通りを抜けて歩き始める皆の後ろに付いて、何も知らない私と、知らないであろう少女も行く。
マリアさんに誘われた段階では。
余りのスケールの大きさに、本領域への到着は時間が掛かるだろうと思ったけど。
この都市にさえ着いてしまえば。
案外、そうでもないようで。
『―――あな?』
『つまり、そういう事らしいんです』
『私達も、とんでもなく深くて大きいって事しか知らないんだけどね~~』
『というか……ね』
『場所のネタバレされたんだよなぁ……』
それは、ナイトールへ到る道中で聞いた話。
秘匿領域への、そもそもの行き方。
実は、この世界における人間種は、基本的な会話が可能な生物――知的生命の中で、最後に生まれた種族らしく。
彼等が生まれ落ちる以前。
今より遥か、神代の世界。
地底の神々が生み出した魔物。
地上全土を呑み込む様な、その圧倒的な物量に、只蹂躙されるだけの妖精、小人などの亜人。
それを見かねたのが、天上の神々で。
心清き亜人の為に用意された逃げ場所は、やがて彼等の楽園となり。
しかし、その隠れ家は。
空の上でも、地上の何処かでも……その実、地下空間ですらないと。
聞くだけでは、非常に難解な話で。
ただ一つ確かなのは。
地上より消えた世界へと到る道は、余りに暗い……昏いと。
……………。
……………。
大通りから、徒歩で坂道を下る事数分。
最早NPCさん達の姿はなく、まばらに存在していたPLさえも、少し離れれば姿は見えない程に、一寸先は無。
前方は本当に無だけど。
踏みしめる砂の感触と、横風の多さから探るに。
やってきたのは、広大な砂浜。
となれば、広がるのは大海原。
深い霧に満たされた海辺。
……その筈なんだけど……果たして。
海にしては、さざなみの音が全く聞こえず。
そもそも、この都市は三国の境であり、海などは存在しない立地で。
やがては、身体が濃霧へ適応を始め。
景色に目が慣れて来て。
ようやく、理解できる。
浜の先に見える宵闇。
何処までも続く暗闇。
その正体は―――底の見えぬ、巨大な虚空。
恐ろしき、深淵の入口だった。
ポッカリとくり抜かれたように。
地の底から、風だけが吹き抜け。
奥底には、まるで巨大なナニカが存在して、寝息でもたてているかのような音が耳を撫で続ける。
ソレは、今に。
今にも、眠りから醒め。
この途方も付かないような巨大な口で、世界を飲むだろう……と。
そんな思考を隆起させ。
実際、大昔の人々も同じ感想を抱いていたのだろう。
故に名付けられたのは。
この道の名は、【世界喰らいの大穴】
秘匿領域と人界を繋ぐ扉。
或いは、ここと、ここではない何処かを繋ぐ門。
「おーー」
「これは―――凄いね……」
思わず、感激も止む無し。
世界遺産待ったなしだよ。
高層ビルを山と束ねて、そのまま丸ごと放り込めそうな巨大な穴へ向けられる視線。
一斉に目を奪われる私達。
余りの威容に、平衡感覚さえ失われたような気が。
深淵が、私を誘っているような気さえしてきて。
本来なら……。
本来ならば、底の見えぬそれに、ヒトは生理的恐怖を覚える筈なのだろうけど。
「―――やっと、秘匿領域……っ!! 妖精種や小人種以外の種族もいるんですかね?」
「……どうなんだろうな」
「私達も楽しみたいから、出来るだけ情報サイトを覗かないようにしてるしーー?」
「待ってろエルフッ!!」
「……うん。早く、行こうか……!」
新しい小説を読み始めた時。
彼等の年齢で言わせてもらうのなら、全く新しいゲームを始めた時。
未知との遭遇というのは。
いつだって、心躍るもの。
恐怖なんて、とんでもない。
皆、凄く楽しみみたいだよ。
「でも、本当に……あぁ。飛び込むって事で良いんだろうけど……本当に、魂ごとスポンって持っていかれちゃいそうだよね? ハクロちゃん」
いま、この高鳴る思いを共有せんと。
私は、隣の少女へ声を掛けるけど。
彼女は、果たしてどんな感想を―――んう……?
……………。
……………。
「―――あれ、ハクロちゃんは……?」
「「え?」」
おかしいね。
ほんの十秒前には、確かに。
「というか。さっき迄、間違いなく隣で覗き込んで………ぁ」
……………。
……………。
「もしかしてだけど……」
「「持ってかれたぁぁぁ―――――っ!!?」」
スゥッと穴に入って。
そのままスーーって。
まるで導かれるように、自然に入って行っちゃったのかな……?
彼女なら、それも普通にあり得る気が……。
『まだ、こない?』
心配に溢れる私たちの元へ、すぐにメールが到着して。
これは、間違いない。
小さな剣士、深淵の中で一人歩き。
「「……………」」
そして、その事実とメールは。
決心の暇さえ与えず、プレッシャーとして皆へ圧し掛かり。
一番手が名乗り出れば。
誰か一人でも飛び込めば。
皆、次々に飛び込まざるを得なくなる物。
しかし、そういう意味では、実際の投身現場を目撃していない彼等は、一時の安心を得るため、更なる生贄を欲している訳で。
「―――という訳で……誰が最初に行くんだ?」
ショウタ君が疑問を提示。
慎重な声色で、議論の糸口を探り始めて。
こうなるのは、明白だけどさ。
こうなってくると、もう一つ。
その後も、ほぼほぼ明白。
この五人のやり取りをよく知っている私には、よーく理解できて。
「言い出しっぺの法則って知ってる?」
「流石に反応良いよな、お前は」
「本当にね。将太君って、反射神経? 動体視力ぅ……っていうの? そういうの、凄いよね~~?」
凄くふわっふわだね。
間違いなく、そのどちらでもないし。
「魔法も、私の中で一番ですからね?」
それは、確かに。
メンバーには魔術師が一人しか居ないんだからね。
少し考えれば。
明らかに、おかしいと分かる誉め殺し。
しかし、次々に賞賛される本人は、冷静で客観的な分析などできなくなるのが常というもので。
「……そりゃ、まぁ。俺の炎は深淵も照らす紅蓮の……」
「あの戦鎚さんと被ってるし」
「暗くてもアトミックがいるしな。これは、決定だ。墜として死亡ログが出なければ確認完了っと」
「うん、うん―――うん……?」
言い出しっぺさんは、すぐさま後ろから押され。
巨大な穴の前に立たされる。
これ、アレだよね。
海賊が捕まったり捕まえたりした時に、板の上を歩かせてサメの餌にするっていうアレ。
どうしてこうなったのかな。
「あーーーっと、ちょっとタイム! おれ、ついさっき高所恐怖症になったんだよ! だから放して……放せェ!」
「大丈夫だ。すぐ放してやる」
「意味が違うっ!」
「大丈夫です。私達が隣に居ますから」
「そうそう。傍で支えてるからね」
「逃げないように矢を番えながら言わないで! あと背中短剣でツンツンすんのやめーや!」
あぁ、逃げられない。
両サイドからナナミとエナが圧をかけ。
さぁ行けと背中を叩かれている状況を、彼は振りほどけない。
「あ。将太、良かったね」
「そうだな。合法的に女性とお触りが出来たじゃないか」
「なんか思ってたんと違うのぉぉぉ!!」
流石はショウタくんだね。
その往生際の悪さは健在。
これは、まだ暫く掛かりそう……。
「な、なぁ……? やっぱ、ジャンケンで決め―――」
「早く行って(ください)」
「―――――うわああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
でも、なかったか。
……………。
……………。
いやはや、悲しきかな。
彼の仲間には、情なんて欠片も存在していなかったみたいだ。
皆、手だけでなく、足も引っ張り合ってるんだ。
私には、とても真似できないよ。
両脇から背中を強く押され。
悲鳴と墜ちていく姿を目に。
砂漠に墜ちた針を探すように。
虚空へのまれた彼を見逃すまいと、私は瞬きを忘れて穴を覗き込むけど。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ……………」
断末魔の悲鳴が。
……………。
……………。
―――突然―――ぷつりと途切れて。
どれだけ深い穴でも。
地下へ続く穴である以上は、切断されたように音が途切れるという事は無い筈なんだけど。
「やっぱり……本当に、世界が違うのかもしれませんね」
「どういうこと?」
「悲鳴、半ばで途切れたじゃないですか」
その不可解な現象について。
淡々と議論を始めるエナ達。
たった今、人を突き落としたとは思えない冷静さだ。
「……なんか。女の子って怖いんだね? 優斗」
「今更か? あと、俺に意見を求めるのは止めてくれ―――よっと」
「………ぇ?」
これ、本当に日常なんだよね?
ユウトたちは、常時パーティー崩壊の危機でもやってるのかな。
まるで、朝の挨拶のように。
友人の肩を軽く叩くように。
トン……と。
隣で覗き込んでいた友達の背中を、ゆっくりと押すユウト。
「じゃあな、航」
そのまま、ワタル君の身体が前のめりになって……。
「―――まぁ、そう来るだろうなとは思ってたよ」
「……………ッ!!」
未だ浜を踏みしめていた一方の脚を軸に。
燕尾服のまま、華麗に一回転したワタル君は、疾風とユウトの脚を掴み。
そのまま、自由落下と。
仲良く墜ちていく二人。
「……バカなのかね? あの二人も」
「バカなんですよ」
そして、聞こえるべくもないから。
残った二人は、言いたい放題。
呆れかえったような白い目で穴を覗き込んでいるけど、少し前の自身たちの行動を思い返しはしないのかな。
ここ迄の時間、僅か一分。
私が介入する暇もない程に華麗なパーティー崩壊。
もう、参加して良いだろうか。
「じゃあ。そろそろ、私たちも行くかい?」
皆が待ってるんだ。
時間も押しているし、久しぶりの紐無しバンジーと行こう。
「ルミ姉さん。私、映画のワンシーンみたく、抱き締めてもらいながらが……」
「あっ! ソレズルい! 私もそれが―――」
本当に久しぶりだし。
基本技で攻めようか。
私は、挨拶の為に二人へ向き直って背面の形をとり。
そのまま、つま先で浜を軽く蹴る。
「じゃあ、二人共。私も、お先に失礼―――っと」
「「えぇ……っ!?」」
こういうのは度胸だ。
奈落へ身を躍らせるのが怖くて、どうして冒険が出来ようか。
幾多の先人に倣い、私も虚空へ。
暗い、昏い大穴へ。
まるで、世界その物を呑み込みそうな程に深い暗闇へ、身を躍らせた。




