第23幕:レッツ、人生相談
「あづ~~い、だる~~い」
「溶ける……溶けるぅ。いま溶ける、すぐ溶ける……ぁ」
「溶けだぁ~~」
「うるせーー!」
七月も、そろそろ熾烈な後半戦で。
もう、夏休みが近いんだね。
セミの声は聞こえないけど。
長い廊下の通り際。
換気と開け放たれた教室の扉からは、生徒たちの声が聞こえて来て。
「おばぁさんや、換気はまだかのう……」
「まだかのう……?」
「まだ、です……?」
「お爺さんたち。10秒前に扉開いたばっかでしょ。あーー、あっつ」
死屍累々とはこの事。
よもや、私の勤めている学校は、浦島高校だったみたいで。
お弁当は玉手箱だったんだ。
もう、老人ホームだよこれ。
暑さゆえか。
生徒たちのやる気も下降気味で。
「あ、ルミ先生……! こんちには……ぁ」
「やぁ、こんちには」
「「こんちには」」
「……神対応」
すれ違う生徒に挨拶をしながら覗く教室は、何処もあんな調子で。
……………。
……………。
「さぁ、皆。今日も一日、お疲れ様―――おぉ?」
それが、どうだろう。
私が教室に入って目を配せば、びしりと。
誰も夏服を崩しておらず。
溶けて流されてもおらず。
むしろ、余裕綽々と。
既に下校時刻なのに。
熱心に教科書を読んだり、机を拭いたり、床を箒で掃いたり……。
幾つもの教室の中に在って。
異常にしっかり者が集っているのが、うちのクラスで。
「―――凄いよ、皆は。本当に、感心だね」
「「……………」」
「んん? ショウタ君、教科書が逆向きだよ?」
「………違うんすよ」
「何がだ」
「これは、更に難易度を上げて読解に取り組むモードで……」
うちのクラスの平常点。
イツキ先生が言うには、他と変わらないらしいけど。
いつ覗いてもこれだし。
凄く模範的だよね。
どういう訳か、一人もヤンチャさんがいないんだ。
「おい、阿呆共。だるまさんが転んだヤメロ」
「「しーーー!」」
「まだバレてない!」
「ギリギリを攻めるんです」
「……ははは」
「何で航までやり始めるかな」
「……僕も結構キテるからね、気分転換。―――でも、本当に普段通りビッシリ過ごしてるのなんて、それこそ生徒会か風紀委員位だよ」
果たして、先生いじめか。
私に聞こえないようにしているのか。
皆がヒソヒソ話してるけど。
断片的に聞き取れるのは、生徒会など、学校では聴き慣れた言葉で。
「生徒会がどうかしたのかい?」
当然、ウチにもあるけど。
この暑さの中で、話題に上がるようなモノだっけ。
選挙はまだまだ先だし。
「ルミさんは、ウチの生徒会知ってます?」
「超の付く真面目ばっかで」
「凄く整理されてる室内で」
「ポット完備です」
「……私は非常勤だから。特に、生徒会と関わったりはしないけど……皆は、随分と内情に詳しいみたいだね?」
普通の生徒なんて。
そういう部屋に入る事はほぼない筈なんだけど。
何故か、皆詳しくて。
「優斗が、ね」
「入学の時、今の会長さんに誘われてたんです」
ふむ、読めてきたよ。
確かにあり得る話だ。
ユウトは頭が良いし、力仕事も出来る。
面倒が無いように外面を取り繕っていることもあって、大分いい子に見えるだろう。
「でも、毎日ゲームなんかやっているところを見るに――断った」
「そそ。誰がやるかぁ……って」
せっかくのお誘いですが――ってやつ。
容易に想像できて。
「それからも、偶の手伝いを頼まれる事はあるみたいですけどね」
「……それ、マークされてる?」
なんて面白い話だろう。
それこそ、最近読んでる漫画の話を思い出して……。
「凄く楽しそうな日常だね? ユウト」
「主人公してるよね」
「止めろ」
「でも、外野からすれば。愉快な話ではありますよ」
「おい」
「二年の優斗、三年の会長……ってな」
話を聞けば。
その男の子は、随分と熱狂的な人気があるというじゃないか。
「イケメン会長―――存在していたのか」
私は、都市伝説だとばかり。
じゃあ、やっぱりアレかな。
「よもや――生徒会室を私物化していたり、学校の運営に口を出したり、権限を濫用して部活動を解体したり、冷房の温度を自在にコントロール……」
「「ないない」」
「貸した漫画の読み過ぎですよ、ルミ姉さん」
エナのお勧めに間違いはないし。
読んでみると、楽しいからね。
ついつい読み耽っちゃうんだ。
「「……………チラ……チラ」」
「……ジロリ」
「む?」
「「―――プイッ」」
擬音を口に出しながら実行するのは珍しいね。
このクラスには、自由で愉快な子が多いよ。
……ふむ、ふむ。
話に聞き耳を立てる生徒たちは。
生徒会の話が気になるみたいで。
その大半は女生徒……。
まばらながら、男子生徒もいるのは、敵情視察ってやつなのかな。
他に理由があるとするのなら……そういう可能性もあるか。
自由恋愛だからね。
良い時代になったものだ。
でも、確かに分かる事として。
どうやら、本当に大人気な三年の男の子がいるらしいよ。
「ともあれ。学生生活をエンジョイしているみたいで、大変結構だね」
クラスの状況を確認しにきただけで。
ちょっと、長話になっちゃったけど。
ここらで、話をきって。
私はログアウトしよう。
「じゃあ、私はこの辺で……」
「――そういえば」
「ルミ姉さんはどちらへ? ……ショルダーバックなんて下げてますけど」
これは、ファッション――と、言いたい所だけど。
必要な物が入っててね。
勿論、お仕事だとも。
お給料が出てるから。
その分は、真面目に働かせてもらっているんだ。
「放課後は、図書室に、ちょっとね。この時期は、司書さんが資料整理に追われているというじゃないか」
「……お手伝い?」
「そう、一日司書さんだよ。決定権は我にあり」
「まーた無免許か」
「私はモグリでね」
休みの前後だから大変だけど。
そんな中でも、やっぱりお休みは欲しいという事で。
今日は、もうひと頑張り。
代理として働くんだよね。
今から燃えてきたよ。
図書室は、火事にならないよう祈りつつ、震えて待つと良い。
「さぁ、残業頑張るぞーー。図書室を学園物の漫画でうめよーー。おーー」
……………。
……………。
「―――ねぇ。生徒会以上に職権濫用してない? あの人」
「……理事長のお気に入りだし」
「特権教師だしな」
「職員室にも逆らえる人居ないってよ」
「……悪そうです」
「……字面だけ聞くと、完全に漫画の悪役教師だな」
◇
この学校は、一応県内では名のある進学校。
図書室も、資料収集から個人趣味まで、幅広く利用できるカテゴリの多さで。
……何と言うか。
便利なのは確かだけど。
ちょっと広すぎるかな。
「――請求番号……181の……ふむ。この振り分けは―――」
「205……206……此処だ」
「で、これはこっちに……おぉ?」
広い図書室を行ったり来たり。
そんな事を繰り返しているうちに。
また、見つけたよ。
見つけちゃったよ。
たくさん並ぶ書架の陰。
秘密の読書スペースのように小さく設えられたテーブルに、ぽつんと。
今回は本ではなく。
ちょっと前から、二人でお話しする機会を伺っていた子で。
のそり、のそり。
音と気配を完全に消して、背後から近寄り。
私は、ゆっくりと手を伸ばす。
「スミカちゃーん。お兄さんと、楽しい秘密の遊びをしないかい」
「―――ひゃいっ!?」
おや、可愛い。
不意打ちにも対応できるこの可憐さ。
まさしく、天然もの。
分かってた話だけど。
彼女は、クラスどころか、学年でもとても人気らしい。
当然だろうね。
艶やかな茶のショートボブ。
ぱっちりとした黒の瞳。
庇護欲をそそりつつも、聡明に見える顔立ち。
しっかりと起伏のある肢体。
贔屓目があるかは分からないけど、エナやナナミにも負けないくらい可愛らしい女の子だ。
方向性こそ違うけど。
ある種、棲み分け出来ていて良いかもね。
「―――そういうのは良くないと――誰で……ぁ……!」
いきなり、男性の声でナンパされて。
余程驚いたのか。
私の姿を認めた彼女は、恨みがましい視線を向けてくる。
「……うぅ、ルミ先生ぇぇ……!」
「ふふふ。こんな死角に一人なんて。随分と無防備だね?」
「言い方に悪意あります!」
間違いはないさ。
人目につかない場所で。
しかも、周りの状況も分からないくらいに本に熱中なんて。
「襲われても、文句は言えないよね?」
「……………!」
両手をワキワキと。
ゆっくりと近付いていく私に対し。
少女は、助けを求め。
しかし、律儀にも大声は出さず。
図書室で、キョロキョロと視線を巡らせ、彷徨わせるけど。
辺りは、とっても静かで。
誰の気配もありはしない。
「助けなら、絶対に来ないよ?」
「そんな筈。司書さんが……!」
「今の私は、司書さん代理なんだ。責任者を咎める人物が居ると思うかい?」
「………な……!」
「もしかして、鍵閉めてきちゃったり」
「なぁ……っ!!」
おどけて、冗談を混じえつつ。
首から下げている代理のカードを、高らかに見せると。
さながら小鹿やチワワさん。
小動物のように震える少女。
自分の置かれた状況を、ようやく理解したようだけど。
さて、どう可愛がってあげようか。
まずは、腰に手をやって。
ショルダーバックを開き。
四角い箱を取り出し。
ファイルに閉じられた資料を取り出し。
最後には、彼女の対面の椅子を引くと、横暴にもそこへ腰を掛け……!
「――よっこら……ふぅ。じゃあ、私もお仕事に入るからね」
「……………」
……………。
……………。
「ルミ先生。やっぱり、酷い人ですね」
「よく言われるとも」
「一キロ増でした」
「前のスウィーツの話なら、お代わりしたスミカちゃんが悪いね」
……………。
……………。
そこからは、二人だけの静かな空間。
暫く、本を捲る音と。
カリカリと、モノを書く音のみが空間を支配していたけど。
「―――あの……ルミ先生」
再び、彼女が口を開いて。
「うん。どうかした?」
「前にコッソリ教えてくれた、相談に乗るって話なんですけど……」
「私に任せると良い」
不安そうな少女の声に対して。
顔を上げずに、ただ即答する。
「私は、仮の仮にも皆の教師だからね。助けを求める子がいるなら、いつだって出張する。全力で助けるよ」
「……自信満々ですね」
「どんな時も前向きに考える性分だからね」
ほぼ間違いない事だけど。
彼女の悩みはゲーム関係。
それも、私がよく知っているゲームの話だろうから。
私でも、出来る事は――必ずある。
少しでも可能性があるなら、必ず。
「……実は。オルトゥスの事で、ちょっと」
「うん。事情を聞こうか」
さぁ、さぁ。
何も包み隠さず、私に……。
「……あ、そうだ。その前に」
「ん? どうかした?」
「聞いておきたいんですけど……ルミ先生は、何の一次職なんですか?」
「それ、必要?」
「ちょっと、大事かもしれないです」
……………。
……………。
「無職」
「え」
「無職さ」
「……………無職?」
「うん」
「やっぱり、ちょっと考えさせてください」
……………。
……………。
………指名依頼、無事保留にされた。




